第35話 日向/二人で一緒/まるで恋人のように

 さっきまで、日向は涙を流していたというのに。今では俺に楽しそうに手招きをしていた。


 俺が知ってるユキちゃんは、無口で、大人しくて、臆病な小さな女の子だ。それこそ、向日葵の女神なんて名前が似合わないくらいに。

 けれど、日向が涙を流す理由を考えた時に、確信にも近い予感がした。

 雰囲気はあの頃と全く違うけど、日向がユキちゃんだったんだ。


 ……それなのに、日向は素知らぬ顔で、違うなんて答えてる。

 じゃあ、どうして日向は泣いたのだろう。

 そして、どうしてこんなに――晴れやかな笑顔を、浮かべてるのだろう。


「ねっ、悠人君。ぼーっとしてたら置いて行っちゃうよ?」

「あ、ああ。……なあ。本当に、俺が子どもの頃に会ったユキちゃんって女の子、知らないのか?」

「……うん、ちっとも」

「……そう、か」


 やっぱり、俺の中で日向がユキちゃんなんじゃないか、って疑念は拭えない。だけど、何となく分かることがある。

 日向は、日向のままでいたいんだ。


 あの日、俺に心を開いてくれたユキちゃんとしてじゃなく。真面目で、頑張り屋で、優しい朝比奈日向として俺といたいと思ってる。

 だったら、俺はそれでも構わない。


 俺が片思いをしたのは、そんな少女なんだから。


「じゃあ、きっと俺の気のせいだな。でも、日向がユキちゃんじゃないっていうなら、ちょっと残念かも」

「残念って、どうして?」

「日向って、ユキちゃんと全然違う女の子だったから。日向みたいに誰にでも好かれるような女の子になるために、凄く努力したんだろうなって。それが、嬉しかったから」

「……その言葉、ユキちゃんが聞いたらきっと喜ぶと思うよ」


 目の前にいる少女がユキちゃんでなく日向だと言うなら、俺の想いは変わらない。

 たった一度の、日向とのデートなのだ。

 思い残すことがないように、一秒だって無駄にはしたくない。


「あっ、そういえば言い忘れてたことがあるんだけど」


 くす、と日向は笑みを零す。


「悠人君、今日の服装似合ってるね。カッコいいと思うよ?」

「えっ――あ、ああ。ありがと。でも、これ選んだの俺じゃないんだ。俺にファッションのセンスとかないからさ、槍原が色々アドバイスくれたんだよ」


 な、なんだよ。いきなり、似合ってるだなんて。今朝は日向の反応がいまいちだったから、ダサいのかなって心配してたのに。

 そんなこと言われたら、思わずにやけそうになるじゃないか。

 ……ああ、そうだ。大切なこと忘れてた。


「そういえば、言い忘れてたの俺も同じだな。……日向の私服も似合ってるよ」

「……そ、そうかな。何か、真顔で言われると照れちゃうね」


 日向がはにかみ、俺たちは園内を歩く。


「あっ! ねえ、悠人君。今度はあれに乗ってみない? 子どもの頃に身長のせいで乗れなかったら、ちょっと憧れてたんだ」


 日向が顔を明るくして指を指したのは、ウォーターライド。落下でずぶ濡れになる、この遊園地でも人気なアトラクションだ。


「俺は構わないけど、大丈夫か? 今はちょっと肌寒いし、全身が濡れたら風邪とかひくんじゃ……」

「悠人君は私が看病してくれるから平気なんでしょ?」

「日向からうつされるのと、自分から罹りに行くのは別だって」


 それに、俺よりも日向の方が心配だ。日向は体調を崩したばっかりだし、もしかしたらまた高熱を出してしまうかも。

 ……そこで、閃いた。ウォーターライドで、日向が濡れずに済む方法。


「あのさ、ウォーターライドに乗るなら条件があるんだけど、いいか?」


 きょとん、とする日向……そして。

 俺は羽織っていたロングコートを、日向に着せてあげた。


「濡れないように、これで乗ること。……どうかな?」

「えっ……悠人君は、いいの? 悠人君も水、被っちゃうんだよ?」

「後でコートを返してもらえばすぐに温まるし、俺なら平気だって。それより、日向がまた風邪を拗らせる方がずっと怖い」

「そ、そっか……えへへ、悠人君のコートかあ。男の子にかけてもらえるのって、初めて」

「……そ、そうか。けど別に問題ないよな。だって――」


 弟が姉に服を貸すなんて、ありふれた話だもんな――それが失言だと気づく前に言葉を呑み込めたのは、本当に幸運だった。


 俺は何を言おうとしてるんだ? 姉弟だからおかしくない?

 違うだろ、そうじゃないだろ。


 一人の少女として日向と同じ時間を過ごしたい、って言ったのは俺なんだ。恥ずかしさの逃げ道に、家族なんて言葉を使っちゃ駄目だ。


「――デート、だもんな。相手にコートを貸しても全然不思議じゃないよな」

「~~っ! う、うん。そうだよね。……今日くらい、恋人同士だって勘違いされても、別に良いよね」


 まるで照れ隠しのように、日向が俺のコートで口元を隠す。その仕草がやけに可愛らしくて、俺は慌てて視線を逸らした。

 ヤバい、恥ずかしくってまともに日向と目を合わすことも出来ない。


 列に並び、やがて俺たちの番が来る。

 ウォーターライドはゆっくりと上昇を始めるけど、俺は隣にいる日向のことしか考えられない。そっと隣を見れば、日向は心ここにあらず、って風に頬を染めていた。


 そのまま頂上に到達し、悲鳴が出そうなくらいの速度で落下が始まる。水面に突っ込み、水しぶきが大きく上がって……。


 ――あっ、ダメだこれ。

 身体どころか、頭までずぶ濡れになる。

 想像以上に水しぶきが大きいことを理解した瞬間、俺は日向の肩を抱き寄せていた。


「えっ――」


 日向の小さな声と同時に、全身を濡らすほどの水が降り注ぐ。

 やがて乗り物はゆっくりと動き出し、他の人たちの楽し気な声をあげる……けれど、そんな周囲の音さえ、俺にはほとんど聴こえない。

 吐息がかかりそうなくらいの距離に、日向がいたから。


 俺は指先一つ動かすことが出来ない。手のひらに伝わる日向の体温が、全てだった。

 やがて、先に口を開いたのは俺だった。


「その、守らなきゃって思って。……迷惑、だったかな」

「……そんなわけないでしょ? 私のこと、庇ってくれたんだから」


 くす、と日向が笑みを零す。


「ねえ、もう少しこのままでも良い? ……悠人君の身体、あったかい」


 その笑顔は、俺が告白をしたあの日。夕焼けに染まる生徒会室で俺に向けた優しい笑顔そっくりで――そうだよな、と胸の中で呟く。

 こんな日向の笑顔に、俺は惹かれていったんだよな。


 なあ、日向。もしも、だけどさ。

 この時間が永遠に続いたらいいな――そう言ったら、日向は笑うかな。

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