第25話 日向と月乃/蜜柑/一人にしないで
再び日向に呼ばれたのは、俺と月乃が夕食を食べ終わった後のこと。
喉が渇いたから、飲み物持って来てくれると嬉しいな。
そのメッセージを確認し、俺と月乃は日向の部屋へと移動した。
熱と頭痛が治まってきたのか、日向の顔色は今朝に比べて良くなってるみたいだ。
日向は月乃がいることに目を丸くすると、
「つ、月乃ちゃん……? もしかして、私のために残ってくれてたの?」
「悠人一人だったら、色々大変かなって。日向さんのパジャマを洗濯とかしたよ?」
「そんな、お見舞いに来てくれただけでも十分だよ。月乃ちゃんにまで迷惑かけたくないもん、無理して看病なんてしなくていいのに」
「……? 友達が体調を崩したら心配するなんて、普通のことだよ? それに、日向さんはいつも生徒会頑張ってくれてるから。こういう時くらい、日向さんの役に立ちたい」
「……月乃ちゃん」
「だから、お手伝いならたくさんするよ? 日向さん、汗でパジャマが濡れてるね。そのままだと身体が冷えちゃうかもしれないし、脱ごっか?」
「い、今ここで!? ちょ、ちょっと待って。悠人君がこっち見てるから……!」
「あ、ああ。大丈夫、俺ならあっちを向いてるから」
月乃が日向のパジャマをボタンを外すのを見て、慌てて背中を向ける。
月乃、張り切ってるなあ。それくらい、日向のために何かしてあげたいんだろうな。
「体調はどうだ? 少しはマシになってると良いんだけど」
「朝に比べたら、ちょっとは熱が下がってきたかな。今朝なんて頭がぼーっとして、ずっと朦朧としてたから」
「そんなに酷かったのか?」
「覚えてることっていったら、夢を見たことくらいかな」
「夢?」
「湖で私が水浴びをしていると、茂みからリスさんが来て背中を拭いてくれる夢。あの時は冷たくて気持ち良かったなぁ」
日向さん、それ半分くらい夢じゃないです。
背中を拭いたのリスじゃなくて俺です。
風邪のせいで夢と現実がごちゃ混ぜになってるみたいだな……。助かったというか、何というか。
日向が着替え終えてから体温を測ると、38・5℃と出た。まだ安静が必要みたいだ。
ふと時計を見れば、八時を過ぎていた。
「もうこんな時間か。月乃は明日も学校だし、そろそろ家に戻った方が良くないか?」
「悠人は、日向さんの看病は大丈夫?」
「一晩だけなら俺一人でも何とかなるよ。今日はありがとな。日向の洗濯物洗ってくれたり、俺が買い物行った時に留守番してくれたり。本当に助かった」
「全然良いよ? 日向さんのためだから。……あっ、そうだ。二人が暮らしてることはわたしだけの秘密にするから、日向さんは安心していいよ?」
そして、月乃は日向に微笑んだ。
俺以外には見せないような、ミステリアスな月の天使には似つかわしくない笑顔。
「これからはお隣さん同士だね。今日みたいに何か困ったことがあったら、いつでも呼んでね?」
「……うん。ありがと、月乃ちゃん」
俺は玄関まで月乃を見送ると、「また明日世話になるかもしれないけど、よろしくな」と別れの挨拶をする。
俺は再び日向の部屋に戻ると、
「お腹が空いてるなら何か食べるか? 昼間みたいに雑炊を作っても良いし、蜜柑とかヨーグルトもあるけど」
「あっ、蜜柑がいいな。今は果物を食べたい気分だから」
日向の言葉に頷くと、俺は蜜柑を数個持って来て皮を剥き始める。
日向はびっくりしたように、
「もしかして、食べさせてくれるの?」
「まだ高熱だし、身体を動かすのも大変かなって思って。日向は蜜柑を食べる時、白い筋が多くても気にしないタイプ?」
「出来れば取り除いて欲しい方かな、美味しく食べたいから」
「オッケー、ちょっと待っててくれ」
丁寧に白い筋を取ってからフォークで刺し、日向の口元まで持っていく。
ぱくり、と日向が一口で食べると、
「甘くて、美味しい」
「それは良かった。たくさん買い置きしてあるから、どんどん食べてくれ」
「そんなに用意してくれたの?」
「日向が欲しがるかなって。後はリンゴとかヨーグルトとかもあるぞ? 日向には一日でも治って欲しいからな。遠慮なく食べてくれ」
俺が蜜柑を差し出す度に、日向はぱくぱくと食べていく。
けれど突然、ぴたりと日向は蜜柑を食べる口を止めた。
「どうした? もしかして、まだ食欲が戻らないとか……?」
「……そ、そういうわけじゃないんだけど」
ほのかに頬を朱に染めて、日向は照れたように口にする。
「誰かに食べさせてもらうって初めてだから。何か、恥ずかしいなって」
「……だよな。俺も、日向にされてる時は同じ気持ちだったし。逆にされる立場になって、食べさせられるっていうのが如何に照れくさいことか分かったろ?」
「で、でも、あれは夕食に遅れた悠人君への罰だもん」
「じゃあ、蜜柑を食べるのはもう止めるか?」
「……やだ。もっと甘いの食べたい」
「だったら、少し恥ずかしいくらい我慢してくれ」
「むー……」
不満そうに、けれど美味しそうに日向は蜜柑を食べる。
そこで、くす、と日向が笑みを零した。
「月乃ちゃんも悠人君も、迷惑かけちゃってごめんね。こんな風に付きっきりで看病されるなんて、久々だから」
「久々……? 家族に看病してもらったことくらいあるだろ?」
「本当に小さな頃はね。でも、小学生くらいからは一人で何とかしてたから。……お母さんに迷惑をかけたくなかったから、風邪だって言えなかったんだ」
つい、蜜柑を運ぶ手を止めてしまう。
まただ。高熱でうなされながら生徒集会に行こうとしたように、また日向は一人で全部を抱え込もうとしてる。
「俺は別に気にしないけどな。誰かの世話なんて、月乃で慣れてるし」
「うん、知ってる。悠人君って優しいもんね。誰かのためになるならって、嫌な顔一つしないで一緒にいてくれるような、そんな人」
そして、日向は曖昧な笑顔を浮かべる。
「だけどね、悠人君に弱いところなんて見せたくないんだ。……悠人君に、嫌われたくないから」
「そんなことで、日向を嫌いになんてなるかよ。俺にとって日向は――」
初恋の人だったんだから。そう、言おうとした。
言えなかった。
その言葉を口にしてしまえば、俺と日向は家族でいられないような気がしたから。
日向が蜜柑を数個食べ終えて、俺はタオルを取り換えると、
「今日は早く寝た方が良いかもな。また何かあったらスマホに連絡してくれ、すぐに駆け付けるから。……風邪、明日には良くなるといいな」
俺が立ち上がろうとした、その時だ。
ぎゅっ、と。引き止めるように、日向が俺の手を掴んだ。
「……もし迷惑じゃなければ、なんだけど」
熱に浮かされたような、苦しそうな表情で日向は呟く。
「私が眠るまで、ここにいて。今夜だけは、傍にいて欲しいの」
「日向……?」
「お願い、行かないで。……私を、一人にしないで」
「……うん、分かった。俺は何処にも逃げないから」
そんな助けを求めるような顔をされたら、嫌だなんて言えるわけがない。
仕方ない、今夜はとことん日向に付き合おう。
「今日は、ごめんね。……悠人君には、お世話ばっかりさせちゃったね」
「別にいいって。姉さんが風邪で弱ってるのに放っておけるほど薄情じゃないし。これくらいの我が儘なら付き合ってあげるよ」
「……ありがと」
やがて、日向はゆっくりと目を閉じて……きっと、高熱で日向も気づかなかったに違いない。
眠るような表情をした日向の瞼から、涙が流れていた。
「――――――」
その光景に、俺は呼吸をすることさえ忘れていた。
日向は言う。生徒会長だから頑張らなきゃいけない。みんなに迷惑はかけられない。悠人君にも月乃ちゃんにも手を煩わせたくない。
だけど、と思う。
それは、もしかしたら――必死で、自分の弱さを隠したかっただけかもしれない。
「どうして、傍にいるだけなのにそんな風に泣くんだよ。俺は家族なんだぞ。……少しくらい、甘えてくれたっていいだろ」
日向は強い女の子だ。誰よりも優しくて、頑張り屋で、責任感があって。だからこそ俺はそんな少女に憧れて、気が付けば誰よりも好きになっていた。
けれど、それは同級生としての視点でしかない。
日向の家族となった、今。目の前にいる向日葵の女神と称えられる少女は……ひどく儚げで、今にも壊れてしまいそうな危うさを持った女の子に思えた。
「……日向」
もし、明日。日向がいつものように目を覚ましたとして。俺はこの涙を見なかったフリをして、今までのように暮らしていいのだろうか。
だから、少しだけ考えた。
俺が、日向のために出来ること。
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