第13話 エプロンの天使/どきどきクッキング/二人の距離

 その後すぐ月乃の部屋のインターホンを押すと、すぐに彼女は出迎えてくれた。


 やる気全開なのか、月乃は学生服の上に母親のエプロンを着けていた。思えば、幼馴染の俺ですらあまり見ない超レアな服装だ。


「エプロン姿の月乃なんて、小学生以来かもな。うん、なかなか様になってる」

「そう、かな。……ありがと」


 そこで、俺は違和感を覚えて内心で首を傾げる。

 まるでそっぽを向くように、月乃が俺に目を合わせてくれないのだ。


「それより早く料理の準備しなきゃ。こっち来て?」


 慌てたように、ぱたぱたと月乃がキッチンに向かう。

 キッチンにて、俺は腕まくりをすると、


「よしっ。じゃあ、早速料理を始めよう。今日は、初心者でも簡単にマスター出来る俺のおすすめ料理、ミートソースパスタだ」


 経験上、パスタというのは調理が簡単な部類に入る。

 中でも、ミートソースは特にこだわらなければ少ない食材を炒めて煮るだけ、という非常に楽な料理だ。もしかしたら全人類が美味しく作れる逸品なのでは、と密かに思ってるほどだ。


「ただ、どうしても包丁は使うことになっちゃうけどな。もし無理だったら、俺が代わろうか?」

「ううん、やってみる」


 緊張と決意がない交ぜになったような瞳で、月乃は包丁を握る。

 まな板に乗った玉ねぎに刃を当てるが、その手は微かに震えていた。無理もない、月乃は料理の経験が浅いうえに、苦手意識もあるんだから。

 月乃は、玉ねぎを前に怯えたようにいつまでも固まっていて。

 少しでも力になりたくて、背後から月乃の手をそっと掴んだ。


「あっ――」

「大丈夫。落ち着いて切れば、怪我をすることなんてないから。ほら、こうやって……」


 共同作業をするように、一緒に包丁を下ろす。と、玉ねぎは半月状に切れた。


「なっ、簡単に切れただろ。……?」


 ふと、気づく。


 あの、いつだって無表情の月の女神って言われた月乃が――顔を赤くしていた。


 こんな月乃、小さな頃から一緒にいた俺だって見たことない。

 つい言葉を失った俺に、月乃が俯きがちに口を開く。


「近いよ、悠人。もうちょっと、離れて」

「わ、悪い。そうだよな、このままだと料理し辛いだろうし」


 今のはちょっと近すぎたか。幼馴染の悪いとこだな、お互い距離感がちぐはぐだ。

 月乃は落ち着くように深呼吸をすると、ゆっくりと包丁を下ろす。と、ぎこちない手つきながらも玉ねぎが切れた。


「すごいな! やるな、月乃」


 我ながら、幼馴染が玉ねぎを切ってここまで感動出来る男、そうそういないと思う。

 しかし、月乃は余程集中してるのか、俺に返事することなく調理を続ける。やがて、玉ねぎをみじん切りする段階に入ると、ぴたりと固まった。


「……ねえ、悠人」


 月乃が、頬を少しだけ朱に染めながら振り返る。


「みじん切りのやり方、よく分からない。だから、さっきみたいに教えて欲しい」

「えっ、でも、月乃は近いから離れてって」

「あれは、ただ驚いただけだから。……ダメ?」


 甘えるように首を傾げる月乃に、思わず頬が緩みかけた。

 そっか、さっきの別に嫌だったわけじゃないのか。


「ああ、全然いいぞ。みじん切りはこうやって――……? 月乃、何かにやにやしてない?」

「あ、あんまり見ないで。玉ねぎで泣きそうになってるだけだから」


 ――それから、俺のアドバイスに耳を傾けながら月乃は調理を進め、後はミートソースを煮るだけの作業となった。


「ほら、もうすぐ完成だ。これくらいなら月乃も一人で出来そうだろ?」

「うん、確かにそうかも。ちょっとだけ自信出た。でも、日向さんと一緒に暮らしても、悠人は今まで通りわたしのご飯作ってくれるんだよね?」

「まあな。月乃の両親にも頼まれてるし、月乃のために料理作るの嫌じゃないからな」

「そっか。……ねえ、日向さんがお姉ちゃんって知って、やっぱりびっくりした?」

「……そりゃな。日向とは、一年の頃から生徒会で一緒だったし」


 そういえば、日向と姉弟だったことを月乃とちゃんと喋るのは初めてだ。


「悠人は、大丈夫? 日向さんと上手くやっていけそう?」

「今のとこは問題ないと思うけど。元々、日向とは気が合うしな。俺のために食事だって作ってくれてるし、感謝しかないよ」

「そうじゃないの、わたしが心配してるのは別のこと。……悠人って、日向さんのこと好きだったから。大丈夫なのかな、って」


 言葉に詰まって、何も返答出来なかった。

 ……ああ、もう。どうして動揺するんだよ。


「さて、何のことかな。俺にはさっぱりだけど」

「……そっか。じゃあ、わたしの気のせいなのかな。悠人と日向さんはただのお友達だった、ってことでいいんだよね?」

「そーゆーこと。別に、日向に特別な感情なんてないってば。……それにさ、もしも、仮に、万が一に、天文学的な確率で日向のことが好きだったとしても。そんなの今更どうにもならないだろ」


 昨日見た動画の話をする高校生のように、何気なく口にする。


「俺たち、姉弟なんだから。弟として、姉の日向と一緒に暮らすだけだ」

「……うん」


 気のせい、だろうか。

 料理をする月乃の横顔は、何だか悲しそうに見えた。

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