6 友チョコと自分チョコ




「なんで、結婚式に来なかったの?」 

 恨めしげに芳乃が言った。薬指に真新しい指輪が光る。

「仕事が忙しくて」

 雫は作業の手を止めない。表情は、目深にかぶった魔女帽子の陰だ。

「ウソ。一日くらい休めるでしょ」

「人の多い場所は苦手なのよ。

 ウェディングケーキは送ったんだから、それでいいじゃない」

「鉄みたいに硬いチョコでコーティングしたやつをね。

 ケーキ入刀でナイフ振り回す羽目になって、旦那ドン引きしてたよ」

「それは悪かったわね」

 紅茶を一口飲み、芳乃は雫を見つめた。

「ほんとはまだ、結婚反対なんでしょ」

 昇進した芳乃は忙殺の日々を送っていた。幸運にも事業は軌道に乗ったが、そのおかげで婚期を逃した。妥協の末、ようやく見つけたのが今の結婚相手だった。

 雫は、この結婚に反対した。

「本当に好きなの?」 芳乃は最後まで、そう問い詰められた。

「いい加減にわかってよ。結婚は妥協なの。

 許容範囲の相手と、我慢しながらつきあうのが現実なのよ」

 雫は応えず、ついに芳乃は癇癪を起した。

「片思いで止まってる雫にはわからないか。

 嫌な現実を見たくないから、告白しないんでしょ。

 わたしは雫と違う。一人きりの人生なんて嫌なんだ」

 先に幸せをつかむ自分を、雫は許せないのかもしれない。

「反対を押し切ったのは悪かったけど。

 わたしは、雫にも祝福して欲しかったよ」 

 高校から続いていた二人のお茶会は、その日を最後に打ち切られた。  



  ────



 ばつの悪い顔で、芳乃が雫を訪れたのは、その一年後である。

「……離婚した」

「そう」

 あっさりと応じると、雫は作業を止め、お茶を淹れ始めた。

 芳乃は紅茶、雫はカフェオレ。おやつはもちろんチョコレート。

 一年の空白が嘘のような、いつもの風景である。色とりどりのカカオが飾られた研究室も、雫の魔女帽子もまるで変わっていない。

 雫が相席しても、芳乃は何も言わなかった。

 心ここにないまま、雫が並べたチョコを摘み、一つ口に運ぶ。

 豊沃ほうよくな甘味が、頭の先まで押し寄せた。

 眩暈めまいを覚えるほど強烈なカカオの風味。甘みの中に潜んだ刃のような苦み。けれど産着のようなミルクの優しさが、その傷を包み、癒してくれる。

 テーブルクロスに広がるシミが、自分の涙なのだと、芳乃は気がついた。

 心の底を塞いだ黒い塊が、涙の川に削られて小さくなっていく。

 芳乃は泣き続けた。雫のくれたハンカチに重みを感じる頃、ようやく涙が止まった。澄んだ空に大きな虹を見つけたような、すっきりした気分だった。

「……何これ」

「《泣けるチョコ》よ」

「やだ。こんなの絶対売れるやつじゃん」

「そう?」

「売ろうよ、雫。これ量産できる?」 

「チョコレートに不可能なんてないわ」

 意気込む芳乃に、雫はゆっくりと微笑んだ。


 別れ際、ふと芳乃はたずねた。

「もしかして、このチョコ、わたしのために作った?」

「もともとは自分用よ」

「ふうん。雫も泣きたい時があるんだ」

 口にして、ようやく気が付いた。

 芳乃の知らない、新作のチョコレート。

 それはつまり、喧嘩別れの後に生まれたチョコということだ。

「……ごめんね、雫」

 小さくつぶやく芳乃に、雫は照れくさそうに背を向け、作業を再開した。



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