第8話 糸目女
両方の頬がジンジンするのを堪える。
女子二人から平手打ち喰らうのとか全然面白くないな。
これもあれも何もかんも、アイツのせいだ。
「うぉらっ! グウェンさんよぉ! もう降参しちまいな!」
怒りに任せてまるで物語の冒頭で主人公にやられてしまうような……叙事詩では決して語られることのないような情けない台詞まわしで、俺はアランにダガーを突きつけられている白髪の女を怒鳴りつける。
白髪の女――『リャティースカの使者』グウェン=デイズは、遠くに落ちた杖を気に掛ける様子もない。それどころか絶体絶命の状態に窮している風でもない。
――まだ何かあるっていうのか!?
「おうおう! 今泣いて謝れば許してやらないこともないんだぞ!」
「えいっ」
「ぐあぁっ!」
エリスに後ろから蹴り上げられる。幼女体型の軟弱キックの上、運動能力が欠如しているキックなど実際は痛くはないが、大きな声を出していた惰性というものだ。
「俺ばかり攻撃せずに、あそこの糸目女に究極魔法喰らわせてやれよ!」
「やかましい。愚か者めが。お主が喰らいたいか」
「なんでだよ!」
「おい! ふざけてる場合か!」
俺たちに向かってアランが痺れを切らしたように声を上げる。
「とにかく、この女が本当に『リャティースカの使者』なら、こいつを捕らえてしまえば
アランが、ダガーを握り直してグウェンを睨みつける。
「抵抗するなら……そっちの方が話は早いがな」
「おやおや、物騒ですねえ」
「ですが……アラン――いえ、アン王女の仰る通りです。私をここで始末すればこの国は悪夢から解放されるでしょう」
『アン王女』という言葉にアランが身を震わせる。
「なぜ、という顔ですか? 貴女も経験したように
「……そうか」
アランは心底嫌そうな顔をしながら、口をゴシゴシと擦る。どっちが嫌なのかは、この際を置いておこう。ダガーの切っ先がグウェンに近づく。
「抵抗はしなくてもいい。捕らえる気はなくなった」
「おやおや、よほど知られたくないことだったのですねえ。ですが、良いのですか? 私をここで始末してしまっては聞きたいことも聞けませんよ?」
「俺の目的は元々、カティエバを救うことだ」
「術者がいなくなれば
グウェンの薄ら笑い顔が、煽るように歪む。
「アン王女」
「その名前で……っ呼ぶなぁぁあ!!!」
叫ぶが早いか、次の瞬間にはダガーは既にグウェンの喉元に突き立てられていた。
「アラン!!」
しまった! あまりにも動きが早すぎて止められなかった。いや、違う。本気で刺すわけがないと思い込んでいた。それに――グウェンもさすがに避けるだろうと。
「ばか野郎! 生かしておかないと――」
慌ててアランの肩を掴んで引くと、奇妙な光景が広がっていた。
「ぐっ……く、どういうことだ」
ダガーを引き抜こうと力を込める顔面蒼白のアラン。そして真っ赤に染まっているはずのグウェンの姿。その真っ白な髪も、肌も、レースのドレスも、床にも血がついて……いない!?
「おやおや」
今日何度聞いただろうか。無感情の極みで放たれる無機質な言葉。
「可哀想に。怯えているのですか?」
くっくっ、と小さく笑いながらグウェンが話し続ける。喉元にダガーナイフが刺さっている状態で。
「なぜ普通に話しているのかと?」
スッと、グウェンがアランに手を伸ばす。
「――アランっ」
俺はアランの肩を引っ張って、背後に追いやった。グウェンの手は緩慢な動きで空を切る。グウェンは、つまらなさそうに言う。
「……あなたでも構いませんけどね」
ガシッ。
俺の手を掴み、グウェンは白いレースの上から自分の左胸を触らせてきた。
「――んあっ!?」
むにゅん、と柔らかい感触に俺は思わず声を上げるが、すぐに黙った。
――なかったのだ。
「……お前、心臓動いてないのか」
「ふふ、いい
「人形――いや、皮膚とかは人間そのものだ。だが、冷たい」
グウェンは俺の言葉を愉快そうに聞いている。次の言葉を待っているようだ。
「…………
「素晴らしい」
「なるほど。つくづく悪趣味だな」
「私の価値観を理解してもらおうなどとは思いませんよ」
「っつ……」
人間とは思えない力で、掴まれている手をさらに強く握られる。
「何のつもりだ」
「いえ、あなたに興味を持っただけです。記憶喪失の男。境界の魔物にも詳しく、黒呪術の中でも禁忌とされている死霊術師のことも、すぐに見抜いてしまった。古めかしい珍しい装束に――その剣。あなたのことが知りたくなりました」
「……何度も言うが、ナイトメアをけしかけようとしても無駄だぞ」
「そのようですね」
「それに、お前の杖はあっちに落ちてる。杖なしで何をしようって言うんだ?」
「ふふふふふ」
糸目の女は、薄気味悪く笑っている。
「象牙の杖で術を使っていると思っていたんですか?」
「……なんだと?」
「残念ながらあれはただの趣味です。魔術の道具はこちらですよ」
そう言って、グウェンがゆっくりと目を開く。
初めて見えたそれは眼球ではなく、小さな宝石が埋め込まれていた木製の球のようだった。色とりどりの宝石は模様を描くように配されていた。
黒い霧に飲まれたアルドフェ=パルゴのものにそっくりだが、魔法や魔術に素人の俺ですら瞬時に理解した。いや、悟ったと言うべきか。
これは完全な術式ってやつだ――と。
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