第4話 菫色の髪、藍色の瞳

「エリス……」


 先ほどまでエリスが眠っていたベッドは、もぬけの殻だった。魔力を使い果たして、長い睡眠でどれほど回復したというのだろうか。


 だが、答えはすぐに分かった。アランが青白い顔で部屋に入って来たのだ。


「……船牢が、空だった」

「それは、つまり……」

「誰かが鍵を持っていたのか、、陸地に近づいたのを察して逃げたようだ」


「小船も無くなっていた」

 船を捜索していたテオがそう言って戻って来た。

「おそらく、あの少女を連れてカルマ・ノウァへ」

「ああ」


「エリスを連れて行ったって……いい想像はできねえな」

「お察しの通りだ。西方諸国オキシダイアは奴隷文化が根付いている。よく見なかったが、エリスという少女は愛らしく、非常に珍しいすみれ色の髪の持ち主だったな?」

「……お高いってこと?」

「下手な品物を持って行くよりも喜ばれるということだ。それなりの価値がつけば、しばらくは裕福に暮らしていける」

「うへぇ」


 俺はげんなりしながら頭を掻く。エリスなら、魔力さえ回復すれば心配することもないだろうが、万が一ということもある。


「で、くせぇ船乗りたちが、エリスを連れて行きそうな場所に心当たりは?」

「……」

 アランは、テオを見る。赤バンダナの男は、赤いシャツ越しに自分の肩あたりを撫でる。なにかを思い出すように言う。


「カルマ・ノウァで最も裕福な商人アルドフェ=パルゴの館だろうな」


 ・・・


 西方七王国のひとつ、南のカティエバ王国。その王都カルマ・ノウァはオヴェスト海に面する港湾都市だ。西方諸国というのは元々貿易によって栄えた都市が独立しており、カルマ・ノウァも例外ではない。その港は、エンティア王国の港町バルクリの比ではない数の船で埋め尽くされている。


 都の入口には巨大な野外闘技場があり、街の中心には巨大な宮殿が見える。入口から宮殿へ続く、カルマ・ノウァの中央通りは馬車や人がせわしなく行き交っている。公衆浴場や酒場、宿屋からは布で顔を隠した客引きたちが怪しい香を焚きながら手招いている。エンティア王国とはまったく違う文化にむせそうになりながら、俺はテオについて行く。


 そう、俺はテオと二人でカルマ・ノウァに来ている。他の人間は離れたところで待機している。ひとつにアランの赤髪がかなり目立つこと、そしてエンティア人は西方諸国の人間にも好ましくは思われていないことが理由だった。


「ここだ」


 テオが立ち止まったのは、宮殿かと見紛うほどの豪邸の前であった。美しく左右対称に切り揃えられた庭木に珍しい鳥が散歩している庭園。その先に建つ豪奢な大理石造りの建物。


「……」

 王侯貴族でもないのに、これほどの富を持つ商人のことを考えてゾッとしながら俺は、横に立つテオを見る。他の仲間は誰もいない中で、土地勘のある巨漢が隣にいるのは心強かった。

「しかし……会ってくれるのかね? その、パルゴってのは」

「大丈夫だ」


 短くそう言ったテオは、そのままズンズンと中へ入って行ってしまう。相変わらず、無口な男だ。俺は慌ててテオを追いかけるが、そういえばそこかしこに水を汲む人間、本を読む人間、槍と盾を手にしている人間などがいるけれど……俺たちのことを気に掛ける人間は一人もいなかった。


「警備ガバガバじゃないか」

「……」

「テオはここに詳しいのか? あ、知り合いか?」

「……」

「そういえばテオは黒髪だが、西方の生まれなのか?」

「……」


 テオは俺の言葉をすべて無視して進んでいく。俺はその後について行きながら、自分の前髪を摘まんで見てみる。黒に見えるが、エリスは『濃褐色のうかっしょく』だと言っていた。もし、これがテオと同じ色なのだとすれば、俺は西方の生まれなのかもしれない。瞳の色も似てるし……。まあ、沈黙のテオがここの生まれだとすれば、の話だが。


 アランの赤髪は本当に珍しいから置いておいて――傲慢騎士ギルベルトやお団子娘キーラは亜麻色の髪で緑玉色りょくぎょくしょくの瞳だ。おそらく現エンティア王国辺りの人間が元々そういう系統なのだろう。マリアは、金髪に空色の瞳……これもエンティア人の特徴なんだろうか。


 ――エリスは……。


「パルゴ様」


 テオの声が突然聞こえたかと思ったら、俺はゴツい肉の壁にぶつかった。鼻を抑えながら、俺はテオの後ろから顔を覗かせる。気がつけば、大理石の柱に囲まれた広場のようなところに立っていた。華美な絨毯にいくつものクッションが置かれており、一番大きなものにもたれ掛かるようにして横になっている老人がいる。


「テオではないか!」

 老人は極彩色の鳥の羽根でできた扇をヒラヒラと動かしながら、笑顔を見せる。白い布を巻いていて、顔の半分は灰色のヒゲで覆われている。身体つきのよく分からない白いチュニックに細かい刺繍がされた紺色の羽織を身に着けている。

「再び友人に会えるとは実に良き日だ。酒を――」


 パルゴ老人は扇を動かし、後ろに控えていた少女を呼ぶ。少女はガラス製のワインボトルを手に持ってくる。裸足で絨毯の上を歩く少女は、明るい金色に白い刺繍が施されたドレス姿、顔はヴェールで覆われている。

 だが、薄く透けた布の向こう側に見える美しいすみれ色の髪、長い夜を思わせる深い藍色の瞳の人間を俺は一人しか知らない。


 思わずテオを押し退けて、前に出て少女の名を叫んでいた。


「エリス!」

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