第34話邂逅、そして会敵の朝✗34

 まあ、たとえ私が鬼でも悪魔でも果たしてそれ以下でも、いまはもうどうしようもないことだ。

 いまとなってはどうでもいいこと、とは流石に言えない。

 何故ならこれは私に関わることだからだ。

 私に関わる、みんなに関係することだからだ。

 しかし、いまはそんなことを考えているときではない。

 その件については後でいくれでも考えてあげるから、いまは頭のなかの屑籠にポイっ。

 いい子だから、大人しく入っていなさい。

 いまの私がやるべきことは別にある。

 今の私には、やらなければならないことがある。

 それは目の前にあるアーサの極上の肉体を、隅々まで味わい尽くすこと。

 ・・・・・・・・・じゃなくて。

 迅速かつ的確に、スーツの確認と点検作業を進めることだ。

 片膝をつきアーサの腰に手を這わせた姿勢のまま、随分時間が経ってしまっているような気がする。

 アーサからさえ、無意識の催促をされてしまう始末だ。

 ここからは本腰を入れて、本気で作業に取り組むとしよう。

 本気でアーサに入れたいのは私の本腰のほうだろうという、頭の片隅に響く煩悩の囁きには石を載せて蓋をする。

 そんな訳あるに決まっているが、いまはそのときではないのは流石の私も解っている。

 私はこれでもTPOを弁えているのだ。

 今更こんなことを言っても説得力も信憑性もないかもしれないが、本当だよ?

 仕事は真面目に楽しく完全に。

 それが私の仕事に対する向き合い方であり、合言葉だ。

 故に実務に支障をきたさない程度に自らの趣味嗜好を満たし満足させることは、私の脳内法定において「是」とされている。

 だが今回は、少々度が過ぎてしまったようだ。

 自分で定めた規範の範囲を逸脱してしまったようだ。

 いまも私の背中にチクチクと突き刺さる、ヴァルカの視線と気配がいい証拠だ。

 ここからは真面目と完全に重点を置いて、仕事に取り掛かり作業を進めよう。

 そのためにはまず、しなければならないことがある。

 己の心の裡に巣食う邪念と欲望を、何としてでも取り払わらなければ。

 何しろいま私の目の前にあるのはアーサという、とってもいい香りのする美味しそうな大ご馳走。

 私のような人間を、羽虫のように吸い寄せる。

 ただ見ているだけ、それだけで、体中の穴から涎が溢れてくるほどに。

 そんな至高を前にしてもなお常と変わらぬ平常心と正常心。

 そして思惟的かつ恣意的な、職業意識と倫理を保たなければならない。

 ただただ機械的に仕事を消化し作業をこなすだけならば、そんなものは機械にやらせておけばいいのだ。

 人間として事を為すならば、人間でしか成し得ない付加価値を追加しなければならない。

 果たしてそれは何なのか。

 この問いに関しては、私は答えを識っている。

 この問に関してだけは、私は答えを持っている。

 私がアーサに対して抱く感情。

 この気持ち、まさしく愛だ!

 エロスでフィリアでアガペーだ!

 確かにこの感情は、

 だが人間だけがこの感情を、解剖し分析した。

 そうして人間だけがこの感情を、分解し解析し続けてきた。

 愛と名付けたこの感情の、正体を識るために。

 その結果と成果は、いまだにはっきり出ていない。

 それでも解っていることがあるとするならば、それはよく解らないという曖昧なもの。

 まだまだ人間の手に、いや、心に余る、計り知れない感情だということだけだ。

 という訳で私がアーサに対して抱き、アーサに対して向ける感情が暴走することは致し方ないことなのだ。

 それはもう、学術的にも心理的にも科学的にも証明されている。

 

 しかし、私は知っている。

 私だけが識っている。

 私の懐くこの感情。

 私がアーサに抱くこの気持ち。

 私の愛が、本物だということを。

 愛とはなんぞやと問われれば、私は無言で自分の心を親指で指すだろう。

 それは報酬も対価もいらない、無償の愛。

 

 それが今回は幾分、多少、些かなりとも行き過ぎたことを認めるこに関しては、私としてもやぶさかではない。

 これでは仕事と作業に支障が生じてしまう。

 これでは先に進めない。

 それは私の脳内法定でも「否」とでている。

 ならばなんとかしてもこの感情、溢れ出るこの私の愛の手綱を握らなければならない。

 この暴れ馬のような感情を、なんとしてでも御さなければならない。

 わたしの愛は凶暴なのだ。

 悟りを開きたいなどと贅沢は言わない。

 しかしせめても明鏡止水の境地には達したい。

 それがどれほどの苦難と困難か、解らぬままに高望みする。

 それでもまずはとりあえず、私は頭のなかに過るBGMの流れに乗って、般若心経を唱えながら素数を数え始めるのだった。

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