18 望まぬ再会

「――こちらのイヤリングはどうでしょう。若奥様の真っ白な肌に映えますわ」

「どちらかと言えばこちらの方が良くないかしら。ドレスの色と合いそうよ」

「そうでございますね。ではイヤリングはそちらにして、ネックレスは真珠を使ったものに致しましょう」

「ええ、そうして頂戴」

「かしこまりました」


 テーブルに並べられた装飾具を前に、女性陣の真剣な声が飛び交う。あれやこれやと手に取っては鏡の前で当てられ、あーでもないこうでもないと試行錯誤が続く。


 魔術師団長ジェインスの実家であるロアン公爵家の屋敷。夜会の支度のために与えられた部屋の中で、鏡を前に着せ替え人形状態に入ってからそろそろ一時間。

 もうそろそろこの状態を維持するのも疲れたきた。


「あのー、正直面倒臭いですし、もう適当でいいのでは……?」


 おずおずと声をかけると、楽しげに会話していた女性陣の声がピタリと止んだ。

 気の所為だろうか。一瞬にして部屋の空気の温度が物凄く下がったのは。

 なぜか背中に寒気を感じてビクリと震える私の前で、それはそれは冷えた笑みを称えて、彼女達は振り返る。


「ひっ……」


 その顔を見て、思わず悲鳴が漏れた。

 彼女達は口元こそ優雅な笑みの形になっていたが、目は決して笑っていない。絶対零度の眼差しをこちらに向け、侍女やメイドに囲まれる中、真ん中に立っていた貴婦人が口を開いた。


「……面倒臭い? 適当? なんですって? 今そう言ったかしら貴女?」


 ゆらり、とこちらに向けて歩き出した女性に自分が失言したことを悟ったが、時すでに遅し。

 ことファッションにかけては命を懸けていると言っても過言ではない社交界の華であるハスバロン伯爵夫人リュドミカはパンパンと手を叩くと、高らかに宣言した。


「――よくも、私の目の前でオシャレを侮辱したわね。貴女達! 遠慮はいらないわ。やっておしまい!!」

「「「かしこまりました!!」」」


 悪役のような台詞のリュドミカ夫人の指示に、待ってましたとばかりに彼女らは私に襲いかかった。


 ある者はコルセットを手に実にいい笑顔でウエストを締め上げ、ある者は決して逃がさないとばかりに私の手を掴んで激痛マッサージを施し、トドメは首をがっちり固定され、髪のセットをされる始末。


 各々が使命に満ち、血走った目で任務を遂行する彼女達を見て、私は「ごめんなさい許してええええ!!」と叫ぶことしかできなかった。





 ――さらに時が過ぎ、一時間後。


 鏡の前には誰もが羨む美貌の若奥様が誕生していた。

 身に纏うのはデコルテを強調した作りのクラシカルなドレス。大胆にカットされ、華奢な肩を剥き出したオフショルダーな袖の部分にはレースがふんだんにあしらわれ、小さな真珠が縫い付けられている。


 コルセットを締めて細い腰と豊かな胸元を強調し、大きく切り返しが施されたスカートはパニエでふんわりと広がり、優美な曲線を演出。

 裾から少し見える靴はなめした革を利用したハイヒール。


 結い上げられた髪には生花の白薔薇が添えられ、項に少し後れ毛を垂らしている。

 耳には控えめに小さくカットされたダイヤを埋め込んだイヤリング。対照的に首元には大ぶりの真珠のネックレス。


 所々に身体の線を強調しながらも、決して下品ではない、大人の色香を漂わせた若き『新妻スタイル』の完成である。


「よし、完璧!」


 リュドミカ夫人の合格をもらい、侍女達は嬉しそうにハイタッチを交わしている。散々彼女達にされた私は既に疲れ果て、ぐったりと脱力していた。

 そんな私の様子を見てリュドミカ夫人は苦笑する。


「お疲れ様。けれどその格好なら絶対に誰も貴女が騎士団長のフェイルリーナ・ルブセーヌだとは思わないわよ」

「まぁ……そうですね。髪の色と目の色も変えてますし、今日の私は隣国カデルネの若き伯爵夫人、イリーナ・クレスベルグですから」

「そうよ。も貴女の姿を見たらますます惚れ直すに違いないわ。あちらはもう外で待ってるはずだから、行ってらっしゃい」


 ――旦那様。

 その言葉にドキリとしながらも、リュドミカ夫人に送り出されて、私は公爵邸の玄関へと向かった。

 コツコツという足音に気づいたのか、こちらに背を向けて立っていた長身の男が振り返った。


「ああ、待っていたよ。僕のマイハニー! 今日は一段と素敵だ。今すぐお持ち帰りして、一日中その姿だけを愛でていたいくらいだ!」

「お静かになさいませ旦那様。恥ずかしいですわ。……それで、今日はその設定でいくの? ジェインス」


 大仰に両手を広げて歓声を上げた男を、冷えた目で見つめる。


「勿論。今日の僕は新しく迎えた妻が愛おしくて堪らない愛妻家の伯爵、ジェイムズ・クレスベルグだよ? 可愛い妻を褒め称えないでどうするんだい?」

「取り敢えずその話し方、今はやめて貰えませんか?」


 普段のジェインスからは想像もできないほどのギャップぶりに、そう懇願すると、彼は直ぐに表情を変えた。


「仰せのままに。それにしても本当に綺麗だよリーナ。まぁ君は元々綺麗なんだけど」

「……それはわざと? それとも素で褒めてるの?」

「素で褒めてるのに、なんで疑うかな」

「あなたの日頃の行いのせいよ」


 ぷいっとジェインスから顔を背け、高鳴りそうになる胸を抑えつける。褒められて嬉しいなんて思ってないから。あと、決して夜会の正装を纏った彼が格好いいと思ったからでもない。きっと。多分。


 二週間ほどのダンスレッスンを経て、なんとか一通りのダンスはこなせるようになった。恐らく人並み程度には。そして、ダンスレッスンを受ける中で私とジェインスはだんだん打ち解け、互いに名前で呼び合い軽口を叩く程度には親しくなっていた。


 …………本当にそれだけ。たまにジェインスに翻弄されたりはしたけれど、あれ以降彼は私に何もしてこなかった。基本的に彼は紳士なのだ。

 それが少し寂しいと思ってしまったのはきっと私の気の所為。


 彼は魔術師団長で、私は騎士団長。

 今回の調査で行動を共にすることになっただけの関係。この調査が終われば、また元の無関係に戻る。

 それが自然だ。それでいいのだ。

 だから私は気づかない。気づかないフリをする。芽生えてしまった自分の気持ちに蓋をする。


「さて、そろそろ出ようか」


 そう言って、彼が手を差し伸べてくる。さも当然のように差し出されたその手。いつかの満月の夜も、彼はこうやって手を差し伸べてくれた。

 あの月夜から生まれた不思議な縁が私とジェインスを出会わせてくれた。今、こうして彼と行動を共にするのが当たり前になっている。それが不思議でならない。


 ――今は、やるべきことをやらなければ。


「ええ、行きましょう」


 感慨に浸りそうになる頭を振って表情を引き締めた私は、差し出されたジェインスの手に自分の手を重ね、馬車に乗り込む。


 ここからは失敗は許されない。

 なんとしても『香夜会こうやかい』に繋がる糸口を掴み、潜入を成功させねばならない。

 馬車の窓から見える景色を眺めながら、私は再度気合いを入れ直した。


 *


「――クレスベルグ伯爵夫妻様ですね。招待状、確認致しました。それでは会場へお進み下さい」


 恭しく頭を下げた執事に「ありがとう」と返して私とジェインスは煌びやかな装飾が施された夜会の会場へと足を踏み入れる。


 アルペン公爵主催の今宵の夜会は、盛大に賑わいを見せ、クレデュース王国の政界の中枢を司る重鎮達が軒を連ねていた。


「さすがは公爵家主催。参加者も大物ばかりだわ」

「宰相殿までいるのか。思ったより根が深そうだね」

「同意するわ」


 小声でジェインスと会話を交わしながら、辺りを注意深く観察する。


 表向きは単なる公爵主催の夜会だが、ここには『香夜会』の会員になっている人物も多くいるはずだ。

 王国で暗躍している組織にどれほどの人物が関わっているのか、その全容はまだ把握しきれていない。


 私もジェインスも変装魔術で姿を変え、身分も偽っているが、どこからボロが出るかわかったものではない。

 演技を続けつつ、『香夜会』に繋がるツテを確保しなければ。


 そう思い、視線を移した私は、不意に視界に入ってきたに目を奪われた。


「――え?」


 瞬きするのも忘れて、つい声を出してしまった。

 その視線の先にいたのは、一組の男女。

 一人は可憐な令嬢。愛らしい顔立ちをした、まだ十代後半と思しきピンクの髪を持つ少女。


 隣に立つ男性は、薄い茶髪の男。

 なで肩気味で、妙に頼りない後ろ姿が印象的。困ったような眉に、優しい琥珀の瞳。

 幾度となく目にしたその姿。見間違えるはずがなかった。


「……ルーク」


 ルーク・エミュラス。

 私を裏切った元婚約者の姿が、そこにあった。


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