異世界 完全遭難 3

「……」

 自業自得である。 説明する気は、あったのだと。

 今、知ったところで、誰かの善意をふいにしたのに、変わりはない。


 沙羅は、ようやく事態を飲み込み。


 通勤のときに使っている、ウェストポーチを、急いで引っ張り出し。

 必要と思われる小物を、強引に、つめこもうと動き出す、が。


 ココで問題です。


 今、あなたの部屋が、上空にあるとします。

 そして、落下するまで、もう、三分もありません。


 おそらく、このまま、理不尽に、体一つで、上空に放り出されるのでしょう。


 しかも、ドコの世界か分からない、俗に言う異世界とやらに。

 では、部屋の中にあるもので、必要なものは何でしょう。


「何持っていけって? 財布か? 財布なのか!?」

 こういうときこそ、冷静に、考えて動くべきなのである。

 三分とはいえ、冷静に動けば、こんなことに、はならないのだ。


 だが、そんなことを、急にできないから、災害のとき、パニックが起きるのだ。


 沙羅は、焦り、迷ったあげく。

 ウェストポーチに、コンビニ装備である、財布、スマホを、ほうりこみ。

 そこで、コンポから、二度目のファンファーレが、鳴り響いた。


 さぁ、みなさん、お待ちかね、である。


 だが、当事者である沙羅は、もっと待って欲しいのだが。

 ファンファーレに、沙羅の体は、固まり、凍り付いた。


 恐る恐る、画面上を見れば、カウントはゼロ。


 画面上で、一番、重要な意味を放つ、言葉通りにしてやると。

 紙で作ったサイコロを、分解していくように、自室がキレイに、崩壊した。


「早すぎる! トイレぐらい、行かせてくれても、良いのだからね!」

 行けないのは、沙羅のせいである。


 沙羅は。

 今、地面という場所が、なくなっていく感覚を。


 恐らく、もう二度と、体験しないであろう、奇妙な、体験を味わう。


 体の重さが、ゆっくりとなくなっていき。


 沙羅は、自然の理を、体全身で、しっかりと感じた。


 重力様は、もったいぶらず、誰にでも、平等に分け与える、心の広い人だ。

 もう、語る必要もないほど、分かりやすい結果が、沙羅を襲う。


「マジか!」

 マジである。


 沙羅の体は、空に放り出され。

 自然落下のパワーを利用して、スタートテープを、全力で引き裂いた。


 パラシュートのない、高高度ダイビングが、今、始まったのだ。

 トイレに、行きたいというのに。



 ディスプレイの表示されていた「落下まで」が、落下になった瞬間。

 四散した全ては、光の粒子になって、大気に消えていき。


 上空に残されたのは、沙羅の体一つ。


 いや。

 沙羅と、役に立つとは思えない、コンビニ装備が詰まった、ウェストポーチ一つ握りしめ。

 沙羅は、なすすべなく、真下へ落下した。



 スカイダイビングと言えば、気持ちよさそうなアクティビティ的、感覚があるのだが。


 ソレにも、最低限の知識があってこそ、経験があってこそ、である。


 ダイビングの経験が、ゲームの中でしかない沙羅が。


 そのまま、空をキレイに落下しろ、と、言われても無理な話であり。

 後ろにガイドさんもなしに、初心者が、大空に放り出されれば。


 まともに体勢をコントロールできず。


 グルん・グルんと、上空で体が振り回され。


 あがけば、あがくほど、振り回され。


 諦めた頃には、一番重い頭が真下に向き。


 空気抵抗が許す、最大重力加速度を、なすすべなく、味わうしかない。


「ぎゃああ!!」



 認めよう、下手な芸人のネタを見るより面白いと。



 だが、当人は、ソレどころではない。

 沙羅は、いまだ体験したことのない、強い風圧とスピードにさらされ。

 空中で、どうやって体勢を維持したら良いか、分からないというのに。


 それでも、漏らさない方法だけは、知っており。


 頭から、まっすぐ落ちるには、ソレ相応の、ダイビング技術が必要だと、沙羅は体で思い知るのだが。


 それ以上に、ダイビング前には、絶対に、用は済ませてくるものだと、真剣に理解した。


 ゴーグルなんて、していないのだから、目を開けば、すぐに乾き、目が、まともに開けていられず。

 自分が、どうなっているかを、把握することすら、できない。


 だが、パンツが、濡れていないことだけは、分かる。


 どう着地したら良いのか、よく分からないのに。


 必死に我慢する方法だけは、分かるのだ。


 どんどん、ヒートアップしていく、下腹部からの熱い衝動が、それ以外の思考を、沙羅から、吹き飛ばしていき。


 ただ今、絶賛落下中で、命の危険が迫っているというのに。

 沙羅は、上空で、どうやって用を足すかだけを、真剣に考えていた。


「しぬ、しぬ、しぬ、しぬぅぅうう!! まず、社会的に俺の尊厳がしぬぅぅうう」


 社会的とは、この場合、何をさすのか、一考の余地があるが。

 お空で失禁、笑える冗談である。


 本当に面白おかしい、展開だと思える。

 それが、当事者でさえ、なければ。

 沙羅の真下に白い雲が見え、そこをぬければ、広がる大地。


「誰か説明! この状況を、せつめいしてくれぇええ!」



  全て拒否したのは、沙羅である。


 沙羅のファンタジーは、何処から、なのだろうか。

 考えるまでもなく、メールを受信したところからだ。

 そうだと気づいたところで。


 白い楽園は、大地にしかない不幸を、沙羅は、悲鳴として吐き出すしかない。


「ぎゃぁあああ」


 この展開が、ファンタジーですらないのなら、もう、新しい、なにかだろう。


 だが、このままでは、救いがなさ過ぎる。


 ここまで異常なら。

 天使のような存在が、そろそろ、沙羅を助けてくれないと、だ。


 ココで、沙羅の人生、ストーリーが終わってしまう。


 沙羅は、むしろ、そういう展開を、全力でお願いした。


 現実は厳しく、つまらないと、誰が言ったのか。


 そう思っているのも、口に出してボソリと言ったのも、沙羅である。


 地面が近づけば、「何かが」おこると思っていた、沙羅の心が、急速にしぼんでいく。

 淡い期待の置き場所が、地面との距離に比例して、恐怖に奪われ。

 自分が、時速何キロで落ちているのか、想像しただけで。


 全てを、放り出したくなる大気の中。


 沙羅は、真下にせまる、青い壁に恐怖した。


 このまま行けば、大地に落下せず、海に落下するのは明らか。 


 高いところから落ちても、下が水なら大丈夫、な、ハズがない。


 ソレは、数十メーターレベルの高さまでの話である。


 行くところまで行けば、それでさえ、ワンチャンある程度の、期待しかない。


 しかも、安全に着地する方法を沙羅は、本で読んだ程度の知識で、放り出されている。


 もっと言えば、事実と想像が入り乱れる、漫画で知っただけなのだから。


 漫画の受け売り程度の知識で、何とかできるような、モノではない。


 正しい知識がないと、漫画での知識で、簡単に勘違いを起こすのは、必然だ。

 理屈をつけるための、理論なのだろうが。


 漫画の展開に対する、理由づけ程度の言い訳理論では、何一つ、成功などしない。


 なお、落下最大速度まで加速した人体が、海に衝突した場合。


 水は、コンクリートと同じものになってしまう。


 ちなみに、コンクリートの厚さは、落ちた高さによって決まる。

 だが、空気がある以上、最大加速スピードは、決まっている。


 つまり、何が言いたいのか。


 コンクリートの厚さは、限界まで、つり上げられていると言う事である。


 せまる、青い海のコンクリート。

 沙羅は、全てを諦めた。


 沙羅の体が、雲をつきぬけ。


 社会的尊厳の抹殺よりも前に。


 周囲が、一切見えない恐怖を、数秒味わい、雲を抜ければ。


 絶対恐怖なる「死」が、真下に迫った。


「定番展開に、ころされるぅうう!!」



 定番かどうかは、分からないが。

 沙羅の真下に向いた頭部についた両目に映ったのは、海の青。


 波の形まで分かるほどの距離で、沙羅の頭は、真っ白になり。

 沙羅の体は、海に衝突する寸前、霧となって消えた。   




 ***




 コレ以上なく、ガッカリするとき、それはどんなときだろう。


 なけなしのお小遣いをたたいて、課金してまで挑戦した、ソーシャルゲームのガチャで。

 望むものが、全く手に入らなかったときだろうか。


 それとも、何日か徹夜をはさみ、山をはったテストで。


 今までの全てが、範囲だと言わんばかりの問題が、目の前に並び、数日の徹夜の末に。

 ギリギリ赤点をとったときだろうか。


 一人で海にまで出かけ、何事もなく、夕日を眺めて帰ってきたあと。

 無駄に日焼けした肌を、鏡で見たときだろうか。


 沙羅の場合は、こうである。


 ゆっくりと目を覚まし。

 体中に、ホコリっぽさを感じながら体を起こせば。

 どこかの山のふもとだと思われる、自然いっぱい大地に、無防備に寝転がっており。


 土埃を落としながら、周りを見渡せば。

 断崖絶壁の岩の壁と、背後に広がる緑が、空を細く見せ。


 ため息一つ吐き出し、目に入ったビバークに最適な横穴が、真横にあり。


 何もないことが、目に見えて分かったとき、だと、言いたいが。


 一番は、目を覚ます要因になった、よくわからない鳥肌モノの虫を。

 蚊を潰す容量で、顔面で潰したことにより、異臭がすることだった。


「もう、帰りたい」

 だが、断る。

 そう言わんばかりに、横穴の中には、なにもなく。

 岩肌の、暗い空間がソコにあるだけだ。 


 横穴から、外を見れば、木と草が生い茂っており、さながら、緑の壁だ。


 生い茂った草木は、せいぜい、手前にある木や、草花が見えるだけ。

 奥に何があるかは、森の、薄暗い内部に隠している。


「地平線、ナニソレオイシイノ?」

 ついに頭がおかしくなったのか、そうではない。


 前には緑、後ろには茶色の壁である。


 虫で汚れた顔を、とりあえず洗い流そうにも、水はなく。

 仕方なく、ソコらへんの草をむしり取って、紙かわりに使ってみても、キレイに拭えるハズもない。


 キレイに洗い流す水を、心底求めても。

 乾燥した、ほこりっぽい空気が、ココに、水気そのものが、ないと言っていた。


 横穴がある山肌は、雲に届きそうなまで高く。

 天高く、どこまでも伸びている。


 不幸中の幸いか、体のどこにも痛みを感じず。

 冷静に周りを見渡すことが、できることが救いだろうか。


 沙羅が、本当に冷静かどうかは、このさい、おいておくとして。


 潰してしまった虫のせいで、鼻が曲がりそうな異臭が。

 いつまでも、鼻から、頭を突き刺してくるのだから、状況は、大変よろしくない。


 あたりを探索するために、緑の中に入ろうにも。

 何が、いるかの分からない、森の奥に広がる、薄暗い空間に入るのは、自殺行為だろう。


 ただの虫だけで、コレなのだ。


 この、潰してしまった、よく分からない形をしている、虫の体液が。

 有害か、無害かすら、判断がつかない。


 蚊のような形はしているが、堅い皮膚を持つ甲殻類のような姿をしており。


 手で潰せば、潰れるが、カマキリやコオロギぐらいには、皮膚が硬い。


 沙羅が小さい頃、興味本位で見た、昆虫図鑑には載っていないような、虫が生息している緑の中に入って、無事で済むとは思えない。


 安全地帯は、横穴と、山と森の間にできた、わずかな隙間ぐらいだろう。


 現状が語る問題点は。


 なんでこんなことに、なってしまったか。

 なんて、ことなどではない。


 ましてや、窓から差し込んだ光や。

 自室が、上空に浮いていたこと、ですらない。


 疑問を解決する前に。

 考えなければならない事柄が、ズシリと沙羅に、のしかかる。


「普通に遭難した…」

 おそらく、これは、天罰である。

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