第3話、か弱いにゃんに怯えるのは、可愛いに過ぎるだけじゃなく
神出鬼没の何でも屋、『夜を駆けるもの』。
良い噂も悪い噂も、やっぱりあくまでもひとり歩きした噂だったのかもしれない。
対面したその瞬間、おれっちはどこかごしゅじんさまと同じ匂いを感じ取って。
何の気なしに、軽い気持ちで話しかけてみる。
『そういう言い方をするって事はお前『夜を駆けるもの』だろ? 何しにこんなとこまで来たのかしれないけど、布団が汚れるからそんな所に座ってんよな』
「え? あっ、ごめん! うちで洗って返すよ……っ」
何にせよ初めの交渉は強気で。
そんなノリでそう言うと、一瞬で剥がれる化けの皮。
どうやら素らしい声をあげ、少しペンキの付いてしまった掛け布団を纏めようとして、はっと我に返る。
「そ、それはともかくだ。何をしに来たかと、そう聞いたね? 実は今日、あるお方に頼まれてね、君たちに伝えたいことがあって来たのだよ。……それと、ヨースからの預かり物もある」
取り繕うようにそう言ってきたが、しかしそれ以上茶化す気にはなれなかった。
たぶんそれは、おれっちを抱える君が、目の前のどうにも力の抜ける相手に対して、緊張感を高めたのが、鼓動の早さで感じられたからだ。
『何だお前、ヨースの奴と知り合いなのか? 最近ここに来ねえけど何しに』
「……っ、どういうことっ?」
そう言えばここ数日顔を見ていないなと思いそう言い掛けたら。
そこにかぶせるようにして、最近の君にしては珍しいくらいに動揺し、焦った声が頭上から響いてくる。
ぴんとたった耳をつんざく君の声に、全身が痺れる感覚に襲われた。
それにブルブル身を震わせていると、それを止めるみたいに、絞められそうな勢いでぎゅっとされる。
ぬくもりと柔らかさ以上に、力の強さを感じ、おれっちが目をしろくろさせていると、君はそのまま赤仮面に詰め寄っていく。
おぉ、君が走るなんていつぶりだろう。
強めに抱きしめられるのも悪くないなと思いつつ、君を襲う危機感にも気づけず。
その時のおれっちはそんなのんびりとして事を考えていて。
「……ティカ。今君が感じた通りさ。ヨースは、この世界から剥離してしまった。いつまでも自分を赦そうとしない、君のせいで」
「そんなっ。どうして? 私のせいなら、私に罰を与えればいいのに! どうしてそんなっ」
君がここまでたくさんの言葉を喋ることは本当に稀だ。
そんな叫びとともに、一滴、二滴と冷たい水がおれっちの背中に零れて。
かっとなった。
おれっちは言葉にならない威嚇の声あげて、思ったより小さい赤い仮面に飛び掛る。
「うわっ、うわぁぁっ!? やめて、来ないでーっ!」
すると、赤い仮面はさっきまでの優位性を台無しにする声をあげて逃げ回った。
やっぱり、こいつはおれっちのことが怖いらしい。
『やめてほしいなら、ティカに謝れっ!』
叫びつつ、追い掛け回すおれっち。
だが、その言葉が何かの引き金となったらしい。
恐怖に打ち勝つようにその場に留まると、赤い仮面は君に向かって叫んだ。
「し、謝罪し自省すべきはティカ、君の方だろう。ヨースは数少ない君に対する擁護派だった! なのに君はヨースを受け入れず、ここに留まった! その責任を負う形で、彼は飛ばされる羽目になったというのに!」
飛ばされる、擁護派。
話を聞いているうちに、おれっちにもようやく会話の内容が理解できた。
ヨースのような、人間族の敵である魔人族に慈悲を与えようとするのは、ごく一部の者達だろう。
彼がいなければ、きっとごしゅじんさまは今ここにいなかったに違いない。
だが、自分を赦せなかった君は、ヨースの手を取ろうとはしなかった。
それがどっちつかずになって、擁護派でない大多数が痺れを切らしたのかもしれない。
飛ばされるというのは、このユーライジアの『スクール』における仕事上の言葉だ。
今おれっちたちのいるユーライジアという国には、世界の哀しみを消し去る、ということを生業にしている、『ステューデンツ』と呼ばれるやつらがいる。
『スクール』はそんな彼に、ユーライジアではない別の世界での、任務を与えたのだろう。
言葉通り異世界に飛ばされたのだ。
帰ってこられるかどうかも分からない、命の保証すらできない、どこともしれぬ世界へと。
それは、いつかは起こる気がしていた日常の破綻。
何事の変化もなく、君がこうして日々を過ごしていくことがずっと続くとは思っていなかった。
だけど、君の気も知らずに君を貶め傷つけようとする事は、どうしても我慢ならなかった。
それがたとえ、正しいことを口にしていたとしても。
「ふしゃぁぁっ!」
「ひ、ひいっ」
おれっちは、身体から溢れ出る怒りにまかせて赤仮面に突進してゆく。
相も変わらずの怯えた声。
そんなのには騙されないぞと、以外に細く白い首もとに食らいつこうとして……。
「……いじめちゃだめ」
それを止めたのはあろう事か君自身で。
首の後ろにある猫持ち点(ポイント)を掴まれたおれっちは、為すすべもなく引っ張り上げられていつもの定位置……君の腕の中に戻されてしまう。
どうして、と抗議の鳴き声を上げると、君はゆっくりと首を振った。
そして、心配しないでと目で訴えてくる。
そこには既に、さっきまでの泣き顔やうろたえた様子はなく。
代わりにあったのは、何かの決意を秘めた瞳だった。
それは、揺らめく炎のようで。
何も起こらない、平穏無音の日々にはなかったもので。
君は今、自分自身の意志で顔を上げ立ち上がろうとしている。
そう思ったらいつの間にやら怒りも消えていて。
おれっちは文字通り君に身を任せこの場を任すことにした。
それが分かったのか。
腰が引け今にも逃げだしそうだった赤仮面は。
何事もなかった体を装ってこちらに向き直って……。
(第4話につづく)
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