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 駅を出てから小羽ちゃんは、スマホで場所を確認しながら、人ごみを抜けて行く。この辺りなら私もよく知る場所だ。居酒屋や、カラオケ、ゲームセンターもあるから、夜の時間でも人で賑わっていて、ごちゃごちゃと煩い。私は小羽ちゃんを見失わないように後を追いながら、河村さんの実家で過ごした夜をふと思い出す。あの夜は静かで、優しくて、とても心地よかった。けれども、ここでは月がどこにあるのかも分からない。それは、とても不安なことに思えた。

 ようやく、人ごみを抜けたと思ったら、今度は建物の入り組んだ路地に小羽ちゃんが入って行った。ポツリ、ポツリ、とたまにお店はあるけれど、大抵、女性が1人では入りにくい雰囲気のものだ。

(小羽ちゃん、こんなところで何をするつもりなんだろう……)

 しばらく歩いてから目的地に着いたようで、小羽ちゃんは、そこで辺りを見渡している。友達と待ち合わせにしては、場所が悪すぎる。辺りには低層のビルが幾つかあるけれど、夜の時間で人の居る気配はない。灯りは点在している小さな街灯と、小羽ちゃんの隣にある自販機だけだ。そのライトがやけに明るくて、辺りの闇を強調しているみたいに思う。

 これはまた、私のお腹が痛くなる雰囲気だ。さすがに嫌な予感がして、私は小羽ちゃんに声を掛けようとした。

 そのとき、奥の方から2人の男性が現れた。スーツを着ているけれど、真っ当なサラリーマンではなさそうだ。その2人が小羽ちゃんに不信な笑顔で声を掛けている。

「――若いねえ、本当に20歳?」

「――まあ、そういう訳ありの子たちも、うちには沢山いるから心配いらないよ」

 私はそれを聴きながあ然となる。どうしよう。これって、絶対、ヤバいやつだ。

「――荷物はそれだけ?」

「――とりあえず、部屋に案内するよ、行こうか?」

 と、小羽ちゃんが背中をぽん、と押されたその瞬間、私は震えていた足を踏み込んで、思い切り駆けだした。

「小羽ちゃん! こっち!」

 私は小羽ちゃんの細い腕を掴みとり、勢いのままに走り出す。何が起こったのか分からない小羽ちゃんは、戸惑いながらも私に引かれて走る。

「ちょ、なにっ、放してっ……」

「駄目! いっしょに帰るよ!」

 と、小羽ちゃんが腕を払おうとした。けれど、私はいっこうに腕を強く引いて、しばらく走り続けた。

「やめて!」

 けれども、そこで、掴んでいた腕を剥がされてしまう。私は、はあ、はあ、ときつく息をしながら、小羽ちゃんと見張った。暗闇のなか、私には幼い瞳が不安や恐怖で震えているようにも見えた。

「大丈夫だよ。帰ろう、ね?」

 と、歩み寄ったそのときだ。小羽ちゃんに声を掛けた男性2人が、建物の影からひょっこり出てきた。

「ちょっとぉ、何してんだよー」

「こういうことされるとマジで困るんですけど」

 辺りは暗くて人通りもない。ここで逃げてもすぐに捕まるだろう。不気味に笑いながら近づくふたりの男。彼らに何をされるか分からない。そんなことを考えて、急に怖気づいた私の足がガクガクとなった。

「な、なんなんですかっ……、あなたたちは……」

「それは、こっちのセリフだってーの」

「いきなり飛び出てきて、何してくれてんの、なんなのあんた?」

「私は、この子の……えっと……」

 そこで口籠っていると、小羽ちゃんが唐突に口を開いた。

「この人は、私の姉です」

 私は驚いて、小羽ちゃんを見る。嘘を吐くのに迷いのない堂々とした態度だ。

「はあ? 姉?」

「はい、姉は心配性なので、ここまであとを付いて来たようです」

「ふーん、まあ、姉でも何でもいいよ、ほら、とりあえず行こう。車、そこまでまわしてくるから」

「だっ……」

「私、やっぱり止めます」

 駄目! と私が言おうとしたら、小羽ちゃんの声がそう遮った。私は拍子抜けして、小羽ちゃんを見る。良かった。と、一瞬、安心したのも束の間で、すぐに険悪な雰囲気を察知した。

「は?」

「何言ってんの? 今更? 交通費、ここまで来るのも用意してあげたよね?」

「それは、ちゃんと返します」

 そう言って、1万円札を差し出した小羽ちゃん。

 男性は呆れたように息を吐く。

「あのね……、大人を舐めてんじゃねえよっ!」

 出された声に驚いて、私はかばうように小羽ちゃんを抱きしめた。

「こっちは、お前が働くのに色々と準備してやってんの! そういうの分かってるわけ? な? 分かってないだろ? その態度は!」

 小羽ちゃんをかばいながら、私の体は恐怖に震えあがっていた。ここで一発、何かかませたらいいのだけれど、あいにく、私にはそういう必殺技も勇気もない。

「ほら、いくぞっ」と、男のひとりが小羽ちゃんの腕を無理やり取る。小羽ちゃんは、「やだ」と、小さく声をあげながら必死にその腕を払おうとしている。私もどうにかして男の腕を引き剥がそうとするけれど、全くビクともしない。力では勝てないし、走っても捕まる。だとしたら。

「た、助けてー! 誰かっ、誰かっ! たすけ……っ」

 けれど、助けを求めた口が大きな手で強引にふさがれた。私はそこで必死に抵抗する。

「や、やめっ……」

 なんとかその手を振り切ったとき、私の体が反動でよろける。一歩、二歩、後ずさって、そこで、私の体が後ろに倒れた。

 空を仰いだ状態で、今まで見えなかった月が一瞬、視界に入る。ずいぶん小さい、飴玉みたいな月だ。

 私はそのとき愕然として、全身の血の気が引いたのが分かった。

「あ……」

 ヤバい――。

 私は、後ろにあった階段で足を踏み外してしまう。

 ちょと、嘘でしょ――。

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