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帰ります! というところで男性の声がそれを遮った。
「それなら、お支払いは次回来られたときでも大丈夫ですよ。せっかくですし、ね?」
男性の低く甘やかな声。そのとき、彼の瞳が完全に私を捕らえた。クールな顔立ちから覗いた白い歯に、私の体内バロメーターが一気に沸点を通り越し爆発する。
完敗だ。充電どころかショートして動けなくなってしまった。完全にペースを奪われた私は、結局、男性の勧めで野菜カレーを注文した。
待っている間は、ぼんやりとしながら店内を見渡す。ブラウン調で落ち着いた店内には、ところどころ目に映えるグリーンが飾られている。置かれている家具もアンティークな作りで凄くオシャレだ。ん? と、そのとき目についた。あれはなんだろう。
そろそろと近づいて見る。付けられた棚にはパステルカラーに染められた食器が色とりどりに飾られていた。コーヒーカップにティーポット、平皿や小鉢。どれもシンプルですっきりとしたフォルムをしている。なんとも現代的で洒落たデザインだ。
(へえ、可愛い)
カップを手に取ると、予想に反して軽かった。しかも薄い。中を覗くと外の愛らしいパステルカラーとは一変、透明感のある白色がなんとも美々しい。
「お待たせいたしました」
「あ、はい、ありがとうございます」
席に戻ると、テーブルにはふかふかと湯気の立つ鮮やかな野菜カレーが置かれていた。
わあ、と感嘆し、「綺麗」と、思わず声に出してしまう。たぶん、カレーを見て綺麗だと思ったのは生まれて初めてだ。まあるく盛られた雑穀米に、新鮮な野菜が映えている。南瓜に、蓮根、黄色と赤のパプリカ。フレッシュで華やかな食材たちの彩りに胸が躍った。
少しオレンジみを帯びたカレーは、真っ白なスープカップに入っている。これをかけて食べるスタイルらしい。と、手に取って気付く。
「このカップ、棚に置いてあったのと同じ」
「それ、ここで作ってるんですよ」
驚いて、男性に目を向けた。
「自分で作られてるんですか?」
男性は、少し照れたように微笑んで頷く。
「すごいっ、こんなものが自分の手で作れるなんて素敵ですねっ」
思わず大きな声が出てしまって、あっはっはっ、と男性が笑う。ちょっと恥ずかしい。
「ありがとうございます。実を言うとカフェの営業よりも、磁器を作る方に重きを置いてて」
「じき?」
と、あまり聞き覚えのない単語に頭を傾げた。
「磁器。波佐見焼ってご存知ですか?」
私の頭がますます斜めに落ちる。それを見て男性はまた微笑むと、棚に置いてあったパステルカラーのカップをひとつ持ってきて話し始めた。
「いわゆる“陶器”っていうのがおもな原料が土になるんですが、これは原料が岩石で、それを砕いた粉で作るんです」
薄くてふんありと軽いが、硬くて丈夫なのだと彼は言う。私は感心して、相槌を打った。
「なかでも長崎で作られている波佐見焼は“使いやすい日常の器”をコンセプトにしていて、モダンで現代的なデザインが特徴です。しかも、他の陶磁器よりも値段がお手頃だから若い人の間でも人気があるんですよ。私の作品は、それらを参考に作っているんです」
「へえ、そうなんですね。あの、良かったら写真撮ってもいいですか。こんな素敵なお店、友達にも紹介したくて」
言うと男性は、また声を出して笑う。クールな顔を崩して、屈託なく笑う表情が愛らしかった。
「是非、宣伝よろしくお願いします。それと、カレーも冷めないうちに召し上がれ」
カレーは見た目通りとても美味しかった。ルウは深いコクがあるのに、後には爽やかな風味が残る。女性好みのコッテリとし過ぎない味付けで、サラサラと何杯でも食べられそうだ。
それに、いっしょに食べた雑穀米のぷちぷちとした食感が口の中で楽しかったし、添えてあった野菜がどれもみずみずしくて甘いこと。味わっているうちに何度もほっぺが落ちそうになった。
しかも、カレーを食べ終えた後にあの670円のレモンスカッシュまでサービスしてもらった(それも、めっちゃ美味しかった)のだから、もう頭が上がらない。
「すみません、飲み物まで頂いてしまって。お代は必ず近いうちに返しに来ます。本当にありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございました。また、お逢いできるのを楽しみにしています」
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