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 もう太陽も沈んでしまう時刻(とき)だ。携帯の地図を頼りに思考錯誤してみるものの私の方向音痴は地の果てらしい。助けを求めて貴弘と千果に電話を掛けたけれど、いっこうに出る気配がない。こんなときに限って人通りもないし、脚はパンパンだし、つま先はめっちゃ痛いし、本当、ついていないときはとことんついていない。

(ここは通ったような……)

 通っていないような……。不安に脚を進めながら、ようやく住宅街を抜けて、道脇にはチラホラと店舗のようなものが窺えたけれど、電気がついていなかったり、シャッターが閉まったりしている。さっきトイレットで全てを絞り出したお蔭で、再び腹痛に襲われなくて済んだものの、今はとりあえず滅茶苦茶お腹が空いている。

 朝は食パン1枚で済ませて来たし、さっき千果からもらったペペロンチーノも既に体内に残っていない。お腹が急激にへこんで生命の危機を感じた私は、いつの間にか本能という無意識でその場所に辿りついていた。

 そこで立ち止まり、くんくんと鼻を利かせてみる。幼い頃から嗅ぎ慣れたこの芳(かんば)しい匂い。ん? これって。

(……カレーだ)

 カレーだ! この鼻孔を刺激するスパイシーな香草の香り。食欲をそそる濃厚なカレー臭!

「……風のはら?」

 美味しいに違いないカレー臭を放つ根源に繋がる入り口には『風のはら』という看板が付いていた。門は植物に覆われていて、見逃してしまいそうな小さな看板にもツタが掛かりそうになっている。興味津々で中を覗いてみると、先がまだ続いていた。敷地は結構広そうだ。

 踏み入ると土を踏んだ柔らかな感触がした。暗がりに吊り下げられた電球を道しるべに辿る。進む道のりには幾つか建物があるけれど、どこも明かりがついていない。

 と、さらに進むと明りのついた建物を見つけた。一階建てで、板チョコみたいな扉と横に付いた出窓がなんとも愛らしい風貌だ。カフェだろうか。建物についた看板には『水黽堂』と書かれてある。

(みず、かめ……?)

 読めない。うーん、と頭を悩ませていた。そのときだ。

 カラン……、という音。目の前の扉が思いがけず開いた。あ、と少し驚いたような声を出したのはそこから顔を覗かせた男性だった。

「あ、すみません、もう閉めるところだったので」

 あららら……。思わず目をパチクリ。すっきりと整った顔立ちに、やや切れ長の目が私を見つめている。

 もう一度、パチクリ――ちょっといい男、発見。

「あの、どうかされましたか」

「……え? あ、すみませんっ。終わりだったんですねっ、すぐに出ますっ」

 私は固まっていた体を反転させて行こうとする。

 けれど、よろしければっ、と引き止めるような声に動きを止めた。

「よろしければ、中に入ってみられてください。食事も、今は大したものがないですが」


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