8

 酒場。

 ベルは依然、悩んでいた。


 シィナのことが心配だが、自分が動くべきでは、ないだろうか。



 『手癖の悪い猫』。


 ザブによって燃やされてしまったが、後半部では、彼女はちゃんと助かるようになっている。



 シィナは、あの冒険者パーティから短剣を盗んだが、その前に、この街の領主の息子から腕時計を盗んでいた。


 今、彼女は短剣と共に、その腕時計も持っているはずだ。



 スリに遭ったことに気付いた領主は、街の住人から、「きっとそれはスラム街のシィナの仕業だろう」と聞かされる。



 そして、その少女について住人から詳しく話しを聞くのだ。




 手癖の悪い生意気な小娘だが、捨て子であり、まともな環境で育ってきていない。

 その境遇を、街の住人は知っている。


 だから、実は、彼女のスリは半ば黙認されているような状況だったのだ。



 なにせ、あの娘がスリを働いているというのは周知されているわけなので、しょっ引こうと思えばいつでもできる。


 それをしないのは、街の住人たちが陰ながら彼女を見守っているから。




 この街の領主の息子は、とても人の好い好青年だ。



 だから、それを聞いて、その少女をなんとか救ってやろうと考える。

 盗まれた腕時計を取り戻そうというのではなく、少女にまともな仕事を斡旋してやりたいと考えて、彼女を捜すのだ。



 スラム街に向かうが、そのときはすでにシィナは、冒険者パーティによって連れ去られてしまっていた……。



 でも領主の息子は根気よく彼女を捜し、そして見つける。


 ――街の地下にある、怪しい施設を。



 冒険者パーティ『蜘蛛のレグレッチ』は、その裏で非常にあくどいことをしている連中であった。


 スラム街から身寄りのない子供を攫って、地下施設に監禁する。彼らは冒険として各地を巡るが、それは、……その子らの買い手を求めての旅なのだ。



 人身売買。この街の闇である。

 領主も、一枚かんでいる。



 息子は、冒険者どもの悪事、何より父親の悪事を目にしてしまうのだ。



 領主は悪人だが、その息子は、実直な青年。


 父親の本性を知ってショックを受けるも、しかし今は傷心などしている場合ではない――と気を奮い、すぐに警備隊を動かす。

 冒険者パーティは逮捕される。

 息子は父親を告発し、そして、自身が領主となる。



 彼はスラム街を封鎖し、そこで暮らす者達には仕事を与えた。

 そして、孤児院を建てるのだ。




 …………。


 というのが、『手癖の悪い猫』という小説の筋書き。



(これは、ハッピーエンドなんだ。シィナは地下施設に連れ去られてしまう。けど、それがないとその結末は得られない……。歯痒いけど、俺はこのまま何もしない方がいいよな……)


 ベルは、そう考えた。




 ふう、と彼が一息ついたところで――突然、酒場の扉が荒々しく開かれた。



 一人の青年が、酒場へ入って来た。




「あ゛ー、クソっ! やってらんねえぜ」


 ベルの座っている場所から、一人分の間隔を空けて、どかっと座り込む青年。




「今日も来たんですかい」


 酒場の主人が、少し呆れた様子で、青年に声をかける。


「ああ。呑まなきゃやってらんねえよ、まったく」


「今日はずいぶんと荒れてらっしゃいますね」



「ああ。腕時計を盗まれたんだ。ったく、聞けばスラム街の小娘が頻繁にスリを働いてるって話しじゃんか。ったくよォ」



 青年が、ぼやく。


 ベルは、ぴく、と肩を震わせた。



 この男、腕時計を盗まれた――と言ったか?




「ああ。シィナだね。有名だよ」


「有名だと? 俺は知らねえぞ」


「市民の間では有名ですよ。猫人族の血を引く女の子でね、この街でスリをやってる」


「オイオイ、なんでそんな小娘が野放しにされてんだ」


「いやァ、なかなか可哀想な境遇の子だしね。それしか生きる道がないんだろう。みんな、黙認してやってんだよ。――そうだ、あんた領主サンの息子だろう。あの子に、何かまともな仕事でも斡旋してやってくれないか。そうすれば街のみんなも安心するんだが」



「はぁ? なんで俺がそんなことに手回してやんなきゃならねンだよ。嫌だね! ていうか、むしろその小娘しょっ引いてやるよ」





(――――!?)



 ベルは、驚愕の面持ちで息を呑んだ。


 たまらず、近くに座る青年に声をかけてしまう。





「お、おい、あんた、この街の領主の息子か?」



「あ? なんだお前。……ああ、そうだけど」



「…………。あ、えっと、兄弟とか、いるのか? 兄や弟なんか」



「はぁ? なに聞いてんだ、きもちわりぃな。兄弟なんかいねえよ」



「…………」



 疎ましそうに睨まれて、ベルは、「悪い、なんでもない」と言うとすぐにその場を立ち去った。



        /



(どういうことだ……?)



 店先で立ち尽くすベル。



 違う。


 自分の書いた小説と違う。領主の息子は、非常にやさぐれたクズ野郎だった。シィナを助け、街の闇を払う実直ぶりは見る影もない。


 兄弟などもいない……ということは″領主の息子″は彼しかいない。




 小説の筋書きと違う。……これはどういうことだろうか。


 ″小説家″のスキルは、現実に起こることを小説として書き表すものだと思っていたが、そうではないのだろうか。



 ……もしかして。


 ベルはふと、思い至った。





 脱退した冒険者パーティ『太陽のキャノウプス』。彼らへの置き土産とした小説。

 この街へ来る道中に、感じていた。

 どうやらあの小説は、半分ほど、燃やされてしまったらしい。意図的かどうかは知らないが。




 ″小説家″のスキル。それはただ架空の物語を書くことではない。実際に起こることを小説として書き起こすことができる。


 その小説は、ただ現実の出来事が文字として形になっただけではなく、もっとこう、大きなパワーを秘めているのではないだろうか。



 そうだ、″小説家″は、まったく戦闘の役には立たない魔法職だが、″賢者″と並ぶ上位職であることに違いはない。そのスキルには、相応の力があるはず。




 現実の事象を小説として書き起こす。


 それを燃やすなどすれば、現実にも影響が及び、書き表された事象・事実がねじ曲がってしまう、ということなのでは――……。



 ベルは、そう考えた。




(…………)



 それは、とんでもない能力なのではないだろうか……。


 ――だが、とにかく今は、自身の手に宿った力の大きさについて感慨に耽っている暇はない。





 領主の息子はクズ野郎になっていた。

 あの男が、シィナを助けに行くとは思えないのだ。




「――――、ちっ!」


 もたもたしていた自分に向けて、舌打ちを鳴らす。




 急がなければ。

 シィナがピンチだ。


 領主の息子があんなクズになっていた……この調子では、あの冒険者パーティも、ベルが知るよりもずっと非情な連中となっているかもしれない。



 物語の中では、シィナは連れ去られこそすれども、直接的な危害は加えられなかったものだが……今ではそれも疑わしい。




 ベルは、スラム街へ向けて駆け出した。

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