イヤリング

早福依千架

「あの!これ…!」


足早に僕の前を過ぎ去った女性がピアスを落とした…いや、違う。これはイヤリングだ。

赤い傘に跳ね返る大粒の雨で、僕の声はかき消されたのだろう。その女性は振り返ることすらなかった。


イヤリングか…今どきちょっと珍しい。なんて思いながら内心、少し焦った。

拾ってしまった以上なかったことには出来ない。僕が持っているのもおかしいし、かといってもう一度落とすなんてもっとおかしい。

とりあえず、数歩先にある年季の入ったドアを開け、入口のカウンターにイヤリングを置いた。


ひどい雨だった。奥からバスタオルを引っ張り出して、濡れた頭をガシガシ拭いた。寒いから珈琲でも淹れようと思って、再びカウンターに目をやる。


「イヤリング、どうしよっかな…」


ひとり呟いた声はここ、僕が経営する喫茶店に吸い込まれていった。

こんなことで悩んでいても仕方ない。とりあえず珈琲を淹れながら、妙に惹かれるイヤリングのことを考えた。そして考えた結果、良い香りのする珈琲と、画用紙、それから色鉛筆をカウンターに置いた。

お店でひっそり預かっていたって、このイヤリングの持ち主は気付かない。だから貼り紙をすることにした。別に探していないかもしれないし、彼女が再びここの前を通るとも限らない。それでも、放っておいたらいけない気がした。


少ない絵心をかき集めて、イヤリングもどきを描いた。モチーフははっきり描かずに、雲でぼやかした。

『落し物!突然の大雨の日、イヤリングを落とされた女性はいませんか?』と大きな文字で書き、その下に『本人確認のため、お心当たりのある方は、イヤリングの特徴をお教えください』と書いた。そんな人はいないだろうけど、一応詐欺対策だ。

外から1番目立つガラス窓に貼り付けて、とりあえずの任務は完了した。あとは彼女が来るかどうか。どこか心が弾むような感覚を誤魔化すように、すっかり冷めてしまった珈琲を一気に飲み干した。

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