16話:宿の朝


 翌朝。オリビアが目を覚ますと、ノアは既に武具の手入れを始めていた。

 慣れた手付きでリボルバーを分解し、全ての穴を一つずつ丁寧に掃除して行く。

 その様をを横になった視界でぼんやりと見やる。

 迷いの無い動作が何処か彼らしく、見ているだけで幸せな気分になった彼女は無意識ににんまりと笑みを浮かべた。


(あぁ……やっぱり、好きだなぁ)


 多幸感に満たされながらも、胸の奥がきゅぅと締め付けられる。

 ふわふわした感覚に流され、オリビアはにまにまとノアの横顔を見詰めていた。

 そして次の瞬間に昨晩の情事を思い出し、顔から火が出る勢いで赤面する。


(ほああああ⁉ そうだ、昨日!! ノアさんとっ⁉)


 触れ合った唇、甘い声、力強い腕。

 それに彼の匂いを思い出してしまった彼女は顔を枕に埋め、宿屋のシーツの上で身をよじりジタバタのたうち回る。


(あああああ! うわあああ! なんで私! 気絶なんてもったいない事をおおお!)


 ただキスをしただけなのに、興奮のあまり絶頂して気を失ってしまった。

 これがもし本番だったら、今頃どうなって居たのだろうか。

 それを思って怖いような楽しみなような複雑な心境になりながら、全身が羞恥で火照っていくのを感じる。

 尚もジタバタしていると、最後にガチャリと硬質な音を鳴らした後、ノアがオリビアに微笑みかけた。


「起きたか。身体は大丈夫か?」


 まるで物語で読んだ事後のような問い掛けに、恋心がき立てられる。

 こちらを気遣う何気ない一言。なのに、こんなにも気恥しいものなのか。


(声が! いつもより! 身体に響くんだけどっ⁉)


 ずくんと下腹がうずき、込み上げる羞恥心に思わず身を丸める。

 身体の芯を揺るがす甘い声に耐えるように強く自身を抱きしめるが、すでに身体が反応してしまっていた。

 内股をこすり合わせしずようとするが、劣情の炎はジリジリと燃え上がっていく。


(だめだめだめ! 朝からこれはヤバいですって!)


 自身を強く抱きしめながら、思わぬ事態に混乱するオリビア。

 そんな身も心も持て余している少女に対し、返事が無いことに疑問を抱いたノアが追い討ちをかける。


「オリビア?」


 低く甘い呼び声はオリビアの耳に官能的にひびき、たかぶり発情しきったその身体にトドメを刺した。


「ひゃぁんっ!?」


 体の奥深くを優しく撫でられたかのように感覚に、ついおかしな声を上げてしまう。

 その事を怪訝けげんに思い、自覚のない張本人は慌ててベッドサイドへ近寄ってきた。

 枕に埋められた頭の上に優しく手を置き、端正な顔を耳元に寄せてささやく。


「すまない、体調が悪かったか。俺に何か出来ることはあるか?」

(このまま抱いてください!)


 心の中で叫ぶ。想いを口に出さなかったのは僥倖ぎょうこうだろう。

 そこは小さくも強い乙女の意思で何とか押し止めた。

 但し、次は無い。すでに決壊寸前の理性は放っておくだけでも崩れ落ちてしまいそうだ。

 故に彼女は、最後の力を振り絞ってノアに微笑みかけた。


「大丈夫です。身支度を済ませてしまうので、外で待っていてもらえますか?」


 完璧な演技だった。顔だけは。

 布団に隠れたままの身体、特に下腹部はとてもでは無いが人に見せられる状態では無い。

 しかし、それをわずかもりとも感じさせない笑顔は、正に聖女そのものだった。


「そうか。何かあったら呼んでくれ」


 彼女の想い人は優しい微笑みと言葉を残し、ドアの向こう側へと去って行った。


(……とりあえず、身体を拭かなきゃ)


 ノアが部屋から出ていったのを見て、オリビアはもぞもぞと布団から這い出る。

 昨晩も使ったれタオルに手を伸ばした時。


「ぅやんっ!?」


 そ寝間着としていたノアのシャツに身体の膨らんだ部分がこすれてしまい、かなりおかしな声を上げてしまう。

 だが幸いな事に、彼が部屋に戻ってくる事は無かった。


〇〇〇〇〇〇〇〇


 ノアはドアの横の壁に背を預け、自身の胸に手を当てていた。

 やはり、ただオリビアと話しただけで、激しい運動をした訳でも無いのに鼓動が速い。

 彼女と共に過ごすようになってから幾度も訪れた体調不良。しかし、何故か悪い気はしない。

 春の陽射しを浴びた時のような、暖かく穏やかな心境だ。

 となれば、これは良い事なのだろう。

 危険なことであれば長年つちかって来た勘が働くはずだからだ。


(だが……これは、なんなんだ?)


 ドキドキと鳴る心臓。思い出すのは昨晩の情事。

 オリビアから魔力供給を求められ、見様見真似のキスをした。

 ただそれだけの事なのに、彼女の言葉や感触が脳裏に焼き付いて離れない。

 今まで誰にも抱いたことの無い感情。

 その感覚に戸惑い、胸を強く抑える。


(分からないが、関係ない。俺はオリビアを守護まもるだけだ)


 彼女は何者にも代えがたい、尊い女性だ。

 正に聖女と呼ばれるに相応しいたたずまいや言動は清らかで、神聖な少女なのだ。

 我が身をしてでも守護らなけらばならない。

 その為に。更に高みを目指さなければならない。

 もっと強く、もっと鋭く、もっと速く。

 彼女に害を成す者、その全てを斬り伏せる力を得なければならない。

 そんな使命感がノアを急き立てるが、しかし焦りはしない。

 まずは出来る事から。それを徐々に増やして行くのが一番確実な道だと、傭兵時代に幾度いくどとなく経験している。


 オリビアの障害となる物を取り除く力となる為に、修練を続けることを改めて強く誓うノアだった。



 尚、この時。

 とある少女が敏感になった身体を鎮めるためにひとり遊びをしていたのは別の話である。

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