11話:宿屋にて


 依頼を受けた村に帰り着くと、少し魔力が回復したのか、オリビアから降ろしてほしいと頼まれた。

 体調を気遣いながらもそっと彼女を下ろすと、思いのほか足取りがしっかりとしていて胸を撫で下ろす。

 そんなノアに、オリビアはある提案をしてきた。


「ノアさん、まずは宿を取りましょう。身体を清めたいです」

「そうか。ではそうするか」


 女はそういう事を気にするのだと聞いた事がある。

 自分には分からないが、オリビアが望むなら否は無い。

 ノアはいつでも彼女を支えられるよう気を配りながら、村の入口付近にある宿屋へと向かった。


 宿の中は暖かみに溢れており、何処か懐かしい雰囲気をしていた。

 古いながらも掃除が行き届いて、温かみに溢れている場所だ。

 カウンターに座る店主も人の良さそうな女性で、眩しいものを見るような目でニコニコと二人を迎えてくれた。


「すまない、部屋を二つ頼めるか?」

「一つでお願いします」


 ノアの言葉にオリビアがすぐさま訂正を入れる。

 不思議に思い彼女を見ると、美しい微笑みでこちらを見上げていた。


「オリビア。良くは知らないが、男女は別の部屋と言うのが当たり前なのだろう?」

「路銀は節約しなければなりません。私は同じ部屋で大丈夫です」

「……そうか? まあ、オリビアが言うならそうしよう」


 ノアは男女の機微が分からないので、オリビアの意見を尊重する事にした。

 どちらにせよ自分は壁に寄りかかって座って仮眠を取るだけだし、ベッドがあろうが無かろうが大した問題ではない。

 同じ部屋であろうと、オリビアがベッドでゆっくり眠れるのであれば何でも良かった。


〇〇〇〇〇〇〇〇


 そして当然ながら、路銀は十分にあった。

 元より教会で生活するには十分な程の金額を貰っていたし、大司教から餞別せんべつとして金貨を数枚渡されている。

 宿代で換算するなら年単位で部屋を借りる事が出来る額だ。

 しかし、嘘は言っていない。旅をするに当たり、路銀を節約することは大事だ。

 何処で何があるか分からない以上、備えておくに越したことはない。


 無論のこと、それはオリビアの表向きの言い訳に過ぎない訳だが。


(ノアさんと! 宿で! 二人っきり! 若い男女が一つの部屋でなんでもやりたい放題っ!)


 期待に胸を躍らせながらも、やはり外見だけは清楚可憐に振る舞うことを忘れない。

 その清らかさに宿屋の店主も穏やかに微笑み、快く部屋を用意してくれた。


 部屋に着いてすぐ、オリビアは用意しもらった桶にタオルを浸した後、ぎゅっと水気を絞り取った。


「ノアさん、上を脱いでください。身体を清めてあげます」

「……俺か? しかし、必要ないと思うのだが」

「そんなことはありません。知らずに溜まっていた疲れを癒す効果もありますので」

「そういうものなのか……分かった」


 優しく微笑みうながすと、ノアは首を捻りながらも了承した。

 黒のジャケットを脱いで椅子に掛け、シャツを捲り上げる。

 厚い胸板。細身に引き絞られ筋張った腕。薄く割れた腹筋。

 照明の魔導具によって照らされたノアの姿は酷く艶めかしく、オリビアは息を飲みながら彼を凝視する。 

 恋する少女の心臓は張り裂けそうな程に速まり、その目は彼の全てを脳裏に刻み込む事に必死だ。


「ふう……オリビア、すまないが頼む」


 低く甘い声。母性本能が湧き上がる無垢な笑み。

 オリビアの理性は蒸発寸前だが、長年つちかってきた聖女としての姿を何とか保っていた。


「はい。こちらへどうぞ」


 ベッドの縁に腰掛けてノアを手招く。

 彼が腰掛けるとベッドがギシリと鳴き、その音にオリビアの身体がビクリと反応した。

 半裸のノアと同じベッドで二人きり。

 それだけでも淫らな妄想の種火としては十分だが、オリビアは更に先を求めた。


 ひたり、と熱く火照る彼の背中に手のひらを当てる。

 つい、と筋肉の起伏を指で撫で、その硬さに興奮する。

 自分の鼓動が煩い。いっそ心臓なんて止まってしまえば良いのにと思う。

 彼に触れている。ただそれだけなのに、嬉しくて恥ずかしくて、そして身体の芯が熱くうずいている。


「……オリビア? どうした?」


 低く甘いささやき。痺れるような音色。

 その声にかくりと腰が抜けてしまい、オリビアは慌てて左手を体の横に着いた。

 欲情が湧き上がり、心をチリチリと焦がしていく。


「ななななんでもないです! 大丈夫ですよ⁉」

「そうか。じゃあ、頼む」


 ドキドキと心臓が早鐘を打つ中、絞ったタオルで彼の背中を拭う。

 広く大きな背中を上からゆっくりと。

 この至福の時間がすぐに終わってしまわぬように、ゆっくりと。


 最上級の回復魔法が使われた彼に汚れなどあるはずも無い。

 ましてや疲労など、溜まっているはずも無い。

 ただ彼に触れたい。彼を感じたい。ただそれだけの事だ。

 そしてそれだけの事で、少女の心は多大な幸福感と強い劣情に掻き乱されてしまう。


 いっそ自分から求めてしまおうか。

 彼はきっと断りはしないだろう。

 一言、抱いて欲しいと願うだけ。

 それで全てが解決する。この欲望が満たされる。

 けれど。


(やっぱり初めてはノアさんから来て欲しい……!!)


 恋心。それは何よりも強い欲望を生み、オリビアの言動を制限してしまう。

 願わくばそう。優しく、雄々しく、甘く、乱暴に。

 華奢きゃしゃで繊細な身体を組み敷いて、耳元で愛をささやきながら貫いて欲しい。

 どうせなら最高の初体験として生涯の想い出としたい。

 そんな願望が、オリビアを葛藤の渦へと導いていた。


(あああああ! 目の前に半裸で居るのに! 早く手を出してくれないと悶死するううう!!)


 既に瀕死状態の体に鞭を打ち、性欲をガッチリ抑え込みながらも、丁寧にノアの背中を拭き終える。

 悦ばしくも辛い時間を耐えきった、その時だった。


「オリビア、前はどうする?」


 くるりと振り返る、半裸の愛しい人。

 その色気の溢れる姿に限界を迎え、オリビアは頭から湯気が立つ思いをしながらゆっくり後ろに倒れ込んだ。


「オリビア!」


 ノアは慌ててオリビアの後頭部を抱き止める。

 少女の顔が、彼の身体に密着する。


(うわああああ!! やばいやばいやばいぃぃぃ!! ちか、匂いが……たくまし、あぁ、尊死するぅぅぅ!!)


「大丈夫かオリビア! 体調が悪いのか!?」

「だ……大丈夫でしゅ……それよりその、離して……」

「あぁ、すまない。咄嗟とっさの事で……」


 頭を沸騰させながらも何とか返答し、身体を離してもらう。

 これ以上はもう、無理だ。我慢のしようが無い。

 次何かあれば、確実に一線を超えてしまうだろう。


「私も、その、身体を清めますので……外を見張っていてくれませんか?」

「そうか、分かった。終わったら声を掛けてくれ」


 ノアは手早く黒衣を着込むと、そのまま部屋から出ていった。


(あっぶなぁぁぁ! ノアさんガードが甘すぎない⁉ 滅茶苦茶近かったんだけど⁉)


 しばらくの間、オリビアは真っ赤に染まった顔に両手を当てながら、くねくねと身悶えていたのだった。


〇〇〇〇〇〇〇〇


(……なんだ? オリビアに触れた時、確かに何かを感じたが) 


 部屋の入口で見張りをしながら、ノアは自身の心の動きに戸惑っていた。

 オリビアが絡むと鼓動が速くなる。

 しかしそれは嫌な感じはせず、むしろ嬉しいと思う感覚で。

 無垢なる青年は、芽生えたばかりの感情の名を知らず、それでもオリビアの事を想い頬を弛めた。


(何でも良いか。俺はオリビアを守る。ただそれだけだ)


 ノアは強く拳を握りしめ、改めて決意を固めた。

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