第10話 模様替え

 翌朝、リザは目を覚ますとまだ眠っているユアンを起こさぬようにベッドを抜け出して、窓の外に目を向ける。

 太陽はとっくに昇りきっていて、今が朝と昼の中間ぐらいだと察した。

「やだ。もうこんな時間」

 疲れていたとはいえ、寝過ぎだ。

 リザは慌てて身支度を簡単に整えると、一階に降りていく。

 リビングにゲオルクの姿はなかった。

 もしかしたら彼もまだ眠っているのではと思ったリザだったが、外から何か音がすることに気づく。

 窓から顔を覗かせると、ゲオルクが剣を振っているのが見えた。

(やっぱり、もう起きてたんだ)

 外に出て挨拶をするべきか、それとも朝食を準備しておくべきかと悩んだが、外に出て誰かに見つかってしまうのも、家主の許可なく勝手に台所に入るのも、どっちもまずいだろう。

 仕方がなく、手持ち無沙汰になりながらもゲオルクが戻ってくるのを待っていると、鍛錬を終えたらしいゲオルクが戻ってきた。

「おはようございます、ゲオルクさん」

「ん、ああ。リザさん、おはよう」

「あの、朝食を作りたいんですが、台所に入ってもいいですか?」

「ああ、構わない、が……あまり大したものはないぞ?」

 そう言って通された台所には、彼の言葉通り大したものはなかった。

 家具同様、必要最低限の調理器具と食材に調味料。

 けれど、それもリザには十分だった。

「大丈夫です。ゲオルクさんは何か苦手なものとかありますか?」

「無いな」

「よかった。それじゃあ、ちょっと待っててくださいね」

「いや、俺も手伝う。初めての台所じゃ勝手がわからないだろ?」

「そうですね。それじゃあ、お願いします」

 こうして二人での朝食作りが始まったのだが、前述の通り食料は大したものはなかった。

 だから出来上がった朝食は、昨日も食べたパンに軽くベーコンと野菜を炒めた物を添えて、昨日と同じくホットミルクを用意しただけのものだ。

「それにしても、とても立派なお家ですね。ゲオルクさんってどんなお仕事をされているんですか?」

「……狩人だ。普通の獣だけじゃなく、魔獣も狩ってる」

「なるほど、魔獣ハンターだったんですね」

 魔獣ハンターはかなり危険な職業であると言われている。

 しかし、その危険度に比例するように報酬も高いので、同じく運と実力があれば高給取りになれる騎士に次いで目指すものが多い職だ。

 むろん、夢が叶わず破れる者の方が圧倒的に多いのだが、この家の様子から見るに彼は成功した側の人間なのだろう。

「でも、こんなに大きな家建てるのは大変だったでしょう。どなたかと一緒に住む予定だったんですか?」

「…………まあ、な」

 低くなった声を不思議に思って彼の方を見てみれば、ゲオルクの顔から表情が消えていた。

(あっしまった……)

 それを見て、リザは己の失態を悟る。

「そうなんですか。あ、そろそろユアン君起こしてきますね」

「……ああ、じゃあ俺は出来たものをテーブルに並べておく」

「お願いします」

 階段を登りながらリザは先程のゲオルクの様子を思い返す。

(どうしよう、まずいことを聞いたかもしれない……)

 おそらく、ゲオルクがここで家族と暮らす予定だったのだろう。だが、今は一人。

 何かあって別々に暮らしているのか、それとも亡くなったのか。

 どちらにしても、ゲオルクからすれば踏み込まれたくない話題だろうし、会ったばかりの自分が厚かましく聞いていい話ではない。

(こんな大きな家に一人で住んでいるんだから、何かあったのかぐらいわかるじゃない。私の馬鹿……)

 自分を責めつつ、リザは未だユアンが眠っているベッドに向かった。

 ユアンはまだぐっすりとベッドで眠っている。

「ユアン君、おはよう。起きて」

 肩を揺すって声をかけると、「ん、ん~」と小さな唸り声をあげながら、僅かに目蓋を開く。

 そこから緑色の瞳がちらりとリザを見た。

「おはよう。ご飯ができてるわよ」

「……まだ、眠いよぉ」

 ぐずるユアンだが、リザは二度寝を許さない。

「だめ、これ以上寝たら夜眠れなくなっちゃう。さ、起きて」

「んん~」

「朝ごはん、私とゲオルクさんで食べちゃうよ?」

「やだ」

「じゃあ起きて」

 リザの言葉に観念したのか、ユアンは体を大きく伸ばながら、ベッドから出てくる。

「おはよう」

「……おはよう」

 まだ眠いのか、目をゴシゴシとこするユアンの手をそっと掴んだ。

「あまり目をこすると痛くなっちゃう。お水で顔を洗おうね?」

「うん」

 ユアンの身支度を手伝って、二人は揃って一階に降りる。

 そこではすでにゲオルクが朝食の準備を終えているところだった。

「おはよう、ユアン」

「おはようございます、ゲオルクさん」

 三人とも椅子に座り、朝食を食べ始める。

 ユアンは昨日で味をしめたのか、またパンをミルクに浸して食べていく。

 それを見守りながらリザたちもパンやおかずに手を伸ばす。

「ん、おいしいですね」

「ああ。リザさんは料理がうまいな」

「いえ、ゲオルクさんが手伝ってくれたからですよ」

 そんなお世辞混じりに他愛もない話をしつつ、食事を平らげた。


「なあ、リザさん。この後、屋根裏を掃除したいから手伝ってくれるか?」

 食事を片付けながら、ゲオルクはそうリザに頼み込んだ。

「屋根裏ですね。わかりました」

 ここに置いてくれる恩人の頼みを断るなんてこと頭に浮かぶこともなく、リザは了承の返事をした。

「それじゃあ、ユアン君はここにいてね」

「うん、いってらっしゃーい」

 ひとまずユアンには一階にいてもらい、二人は屋根裏へと足を運ぶ。

 そこは思っていた以上に広い部屋だった。

 梁がむき出しになっているものの、陽の光が入る窓がいくつもあって圧迫感は感じない。

 ただ、ここは昨日リザたちが泊まった部屋以上に使用されていなかったのだろう、あちこち汚れていてとても寝泊まりできそうになかった。

「ここを掃除して、ユアンの部屋にしようと思う」

「え、いいんですか?」

「ああ。どうせ持て余していた部屋だし、使わないのはもったいないからな」

「ありがとうございます。あの子も喜びます」

 ゲオルクの言葉に、リザは俄然やる気になる。

 ユアンの喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

 ひとまず空気の入れ替えの為に窓を開けて、それから積まれた荷物を移動させて掃除をすることとなった。

「あ、待ってくれ」

 早速、片付けをしようとリザが近くの荷物に手を伸ばすが、ゲオルクはそれを止める。

「あんたは腕を怪我してるだろう? 荷物を運び出すのは俺がやるから、掃き掃除をしてくれないか?」

 そう言ってゲオルクはリザに箒と塵取りを手渡す。

「え、でも……そんな悪いです。小さいものなら持てますから」

「いや、あんたの怪我が悪化したらユアンが悲しむだろ。怪我しているんだから、無理はするな」

「……わかりました」

 ユアンを持ち出されたら、リザは引くしかない。

 ゲオルクに出会ってからというもの、彼には世話になりっぱなしだ。

 リザは申し訳なく思いつつも、せめて与えられた仕事はしっかりこなそうと一生懸命に床を掃く。

 部屋の中の荷物は少なく、掃除もすぐに終わった。

 そうすると、ゲオルクが今度は物置から何かを運び入れる。

 それは、組み立て式のベッドや机に椅子、クローゼット。

 どうしてそんなものがこの家にあるのか、今朝の失態があるのにそれを問いかけられるほどリザは愚かではなかった。

 そうして昼過ぎには作業も終わり、屋根裏部屋は立派な子供部屋となったのだ。


「ここがぼくの部屋?」

 案内されたユアンは目をキラキラさせて部屋を見渡す。

「ゲオルクさんが用意してくれたのよ。ちゃんとお礼を言いましょうね」

「うん。ゲオルクさん、ありがとう!」

 にぱっと笑顔を向けるユアンに、ゲオルクは少し照れたように苦笑する。

「……いや、俺だけじゃなくてリザさんが手伝ってくれたおかげだ」

「そんな、私は大したことはしてませんよ」

「だけど、俺は掃除が下手だからあんたがいなかったら今日中に終わらなかったかもしれない」

「いえでも……」

 大人たちのそんな会話をよそに、ユアンは自分の部屋を探索を始めていた。

 まだ何も入っていないクローゼットを開け閉めしてみたり、ベッドの下を覗き込んでみたり、椅子に座ってみたり。

 今は何もなく殺風景な部屋だが、わくわくが止まらない。

(ぼくだけの部屋なんて初めて!)

 ずっと昔に住んでいた家は、自室を持てるほど広くなかった。だから、初めての自分の部屋に気分が高まってしょうがないのだ。

 ユアンは自分専用のベッドに乗り上げると、立ち上がって柔らかな布団の感触を足の裏で堪能する。

「こら、危ないからベッドの上に立っちゃダメでしょう」

 いつの間にか近づいていたリザがユアンをベッドから降ろす。

「ぼく、今日から一人で寝るね」

「それはいいけど、大丈夫? 怖くはない?」

「怖くなんてないよ! 平気!」

「ふふ、それは頼もしいわ」

 二人が話していると、ゲオルクがリザに声をかける。

「悪いが、これから街に行っていろいろ買ってくる。君の部屋の掃除は任せていいか?」

「私の部屋?」

「昨日泊まっただろう? 別の場所がいいなら変えるが……」

「い、いえ! あの部屋で大丈夫です」

「そうか。ならよかった……じゃあ、ユアン。俺は出かけるから、ちゃんとリザの言うことを聞いているんだぞ?」

 ゲオルクの言葉にユアンは手を振ってそれに応じた。

「うん! いってらっしゃい!」

「ああ、いってきます」

「あ、いってらっしゃい」

 去っていく背中にリザは慌てて声をかける。

 こうして、家の中にはリザとユアンだけが残された。

(……本当に行っちゃった)

 仮にも会ったばかりの他人である自分たちを家の中に残して出かけるとは、人が良すぎるのではないか。

 そんな思いがリザの中に生まれる。

 しかし、彼からの恩と信頼を裏切るなんてことはもちろんできるわけもなく、リザは自分に割り当てられた部屋だけではなく、リビングやキッチンなども掃除しながら彼の帰りを待つことにした。


 ゲオルクが帰ってきたのは、日が沈む前だった。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 出迎えると、彼は両手に大量の荷物を抱えている。

「わぁ、たくさん買ってきましたね」

 荷物の一部を受け取って、共にリビングへ運ぶ。

「とりあえず食料とあんたたちに着られそうな服を買ってきた。合わなかったら言ってくれ」

「そんな、ありがとうございます。何から何まで……」

 ここまでいたせりつくせりだと、逆に居心地が悪い。

 何かゲオルクに返せるものはないかと考えた時、一つだけ思い浮かんだ。

「あ、ちょっと待っててください」

「ん? ああ」

 リザは自分の部屋に割り当てられた部屋に戻ると、そこに置いてあったポシェットを手に取る。

 そしてその中に入っていたお金を取り出すと、それを手にゲオルクのもとに向かう。

「ゲオルクさん、少ないですが受け取ってください」

「え? おい、これ……」

 リザから渡されたものを反射的に受け取ったゲオルクだが、それが現金だと気づくと眉を寄せた。

「すみません、私それだけしか持ってなくて……」

「……そうじゃない。これ、あんたの全財産なんじゃないか?」

「それは、そうですけど……でも、お礼に渡せるものがそれしかなくって……」

「……返す」

 ゲオルクは受け取ったお金をそのままリザに握らせる。

「え? でも」

「こんなはした金渡されたってどうしようもない。あんたが持っておけ」

「そんな、悪いです。こんなに良くしてもらっているのに」

「俺は俺のやりたいようにやってるだけだ。変に気を使わなくっていい」

「でも……少しでも恩返しがしたいんです」

 だから受け取って欲しいと再度お金を差し出すも、ゲオルクは頑なに受け取らない。

「……じゃあ、悪いが家事をやってくれないか? 俺はそんなに掃除も料理も得意じゃないからあんたがやってくれるなら助かる」

「それは、はい。大丈夫ですけど……」

「なら、決まりだな」

 ゲオルクはそう言うが、本当にそれでいいのかとリザはいまいち納得しかねる。

 とはいえ、どうあってもゲオルクはお金を受け取ってくれそうにないので仕方なくお金をしまい込んだ。

「ところでユアンは? 部屋か?」

「ええ。あそこが随分と気に入ったみたいで、出てこないんです」

「そうか、そこまで喜んでくれるなら、用意した甲斐があったな」

 ゲオルクは買ってきた衣服を抱えると、階段に向かおうとする。

「それじゃあ、この荷物は部屋に置いておくな」

「はい、ありがとうございます」

 残されたリザは食材を魔導保存庫にしまう作業に入った。


「ユアン、入るぞ」

 声をかけてから屋根裏部屋に入ると、ユアンの姿は見当たらない。

 その代わりに、ベッドがこんもりと膨らんでいた。

「……ん~、どこにいるんだ?」

 しかし、それに気づかぬふりをしてゲオルクは部屋に入る。

「ユアン? どこだ? 見当たらないなあ」

 探す素振りを見せながら、ベッドに近づいていった。

「う~ん、困ったなあ。どこにいるんだろう?」

 そうしてゲオルクはベッドの横までやってくると、布団をそっとめくって中を覗き込む。

 そこにはユアンが息を潜めて隠れていた。

「おっ! こんなところにいたのか」

 ゲオルクが声をかけると、ユアンはクスクスと笑う。

「えへへ、見つかっちゃったぁ」

 ベッドから出たユアンはゲオルクの持っている荷物に気づいた。

「あれ? ゲオルクさん何を持ってるの?」

「ユアンの服だぞ。しまうの手伝ってくれ」

「はーい」

 二人はクローゼットに服をしまっていく。

 それも終わる頃、ゲオルクは衣服の中に隠しておいた物をユアンに渡した。

「ユアン、これいるか?」

「え? 何?」

 ゲオルクから渡されたのは、くまのぬいぐるみだった。

「わっ! かわいい! くれるの?」

「ああ、どうぞ」

「ありがとう、ゲオルクさん!」

 ぬいぐるみを受け取ったユアンはそれをぎゅっと抱きしめながら部屋を走り回る。

 それを、ゲオルクは目を細めて見つめた。

 今朝まで殺風景な物置が、今では子供の笑い声と走る音に満たされた子供部屋だ。

 大して装飾されていないのにも関わらず、随分と活気があるようにも感じてしまう。

 まるで、これこそが本来のあるべき姿なのだというように。

(……馬鹿だな、俺は)

 そんなことを思った自分を、ゲオルクは静かに自嘲した。


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