351 空の飛び方

「ねえマルク。この鳥が銀鷹なのはわかったけど、結局なにしに来たの?」


 念話の違和感に慣れてきたらしく、セリーヌがうさんくさそうに銀鷹を見上げながら俺に声をかけた。その視線の先では様付けじゃないのが気に入らないのか、銀鷹が不満げにグルルルと喉を鳴らしたがセリーヌはどこ吹く風だ。


「ほら先日、銀鷹の子供を助けたでしょ? あの件で銀鷹が僕にご褒美をくれるみたい。もっとうまく空を飛べるように手伝ってくれるって」


「ふーん、領主様が祀っているくらいだし、そうじゃないかと思っていたけど、銀鷹ってやっぱり神獣のたぐいなのね」


 俺の様付けアピールは不発に終わった。まあ言葉が通じていないセリーヌからすれば魔物とさほど変わらないのかもしれないな。しかしそれよりも気になる言葉があった。


「神獣?」


「ええ。魔物の中でも、知能が高く人と意思疎通ができる生き物を総じて神獣と呼んでいるのよ。私もこんな近くで見たのは初めてだし、詳しくは知らないけどね」


 不躾ぶしつけにじろじろと眺めるセリーヌに、銀鷹が喉を鳴らしながら俺に念話を届ける。


『フン、たしかに我は人から神獣と呼ばれておる。だがこの女の無礼な態度はお前に免じて不問にしてやるとしても、珍獣のように見られるのは好かぬ。さっさと用事を済ませることにするぞ。……それではマルクよ、こちらに来るがいい。我からの褒美を与えてやろう』


 銀鷹はセリーヌをひと睨みした後、顎をしゃくるようにして俺に呼びかける。若干の不安もあるけれど、銀鷹がどのようにして俺に空の飛び方を教えてくれるのかは興味がある。俺は御者台から飛び降り、馬車に振り返った。


「それじゃ銀鷹様に呼ばれてるから行ってくるよ。ちょっと待っててね」


「わかったわ、いってらっしゃい。まあマルクなら大丈夫だと思うけど、一応気をつけるのよ?」


「ふぉにいひゃん、ふぃってらっしゃーい」


 御者台から手を振るセリーヌと、食べることで思い出したトラウマを忘れようとしているのかリアに貰ったお菓子を口いっぱい頬張っているニコラに見送られながら、俺は銀鷹の留まっている大木の根本まで歩いていく。


 俺が近づくと銀鷹がもったいぶるように、ゆっくりと地上に降りてきた。


 結構な巨体なのにまったく重力を感じさせないのは、やはり魔法を使っているからだろう。銀鷹の周囲で風属性のマナが大きく波打つのが視えた。


『我の背に乗るがいい』


 銀鷹はバサリと翼を一振りし、こちらに差し向ける。この翼を踏み台にして背中に登れということか。しかし大きな銀色の翼がつやつやと美しく輝いているのを見て、俺は思わず足を止めてしまった。


 ……うーん。高価な絨毯を土足で踏むような気分とでもいうのか、コンテナハウスを土足禁止にしている俺からすると、そのまま足を踏み入れることになんだか抵抗がある。


 ここは靴を脱いで上がるべきか? などと足を止めたまま思案していると銀鷹から声がかかった。


『どうした、早く乗るがいい。……んん? ああ、そういうことか……。ふふ、たしかに人の子が我の神々しく美しい毛並みにおそれを抱く気持ちは分からんでもない。だが気にすることはないのだ。今回は我が子の礼だからな。特別に許そうではないか、はっはっは!』


 銀鷹がくちばしを斜めに上げながら俺を語りかける。ついさっきまではイライラした様子だったが、今は少し機嫌がよさそうだ。どうやら翼を踏むのを躊躇したことが銀鷹のプライドをいい感じに刺激したらしい。


 正直なところ畏怖する気持ちまでは持ち合わせてなかったんだけれど、相手が気分よくいられるのなら否定することもない。偉い人相手には波風立てずに付き合うのが一番いいのだ。


「そういうことなら失礼しますね」


 俺はぺこりと一礼して銀鷹に歩み寄ると、首のあたりの羽根を掴み、差し出してくれた翼に足をかけて一気に背中に飛び乗った。俺が引っ張るくらいで羽根が抜け落ちることもなかったのは、さすがは神獣といったところだ。


『ふふふ、光栄に思うがいいぞ。我が背に人の子を乗せることなど、めったに無いのだからな?』


 やはり機嫌よさそうに銀鷹が声を上げる。気難しいと思っていたけれど、案外チョロいのかもしれないね。


『では今から飛ぶぞ。しっかり捕まるがいい』


 俺は銀鷹の首筋のあたりの羽根をぎゅっと掴む。やはり手触りも気持ちがいい。今まで触ったことのある動物の中で最高の毛並みだ。


 この羽根から作られた護符が俺を怪我から何度も守ってくれたのだと思うと、いまさらながらありがたみも湧いてきた気がする。後でしっかりお礼を言おう。


『それでは行くぞ』


 銀鷹は俺を乗せたまま翼を広げると、そのままふわりと飛び上がった。揺れは少ないし、冬空の寒風もまったく気にならない。やはり翼の力だけではなく、魔法の力も使って飛んでいるようだ。


 マナを視ようと目に魔力を込めると、俺と銀鷹の周りに規則正しく流れるマナの奔流が視えた。これは特等席でマナの使い方を見学できるいい機会だと思う――


 ――ああ、なるほど、そういうことか。どうやら銀鷹は一緒に飛ぶことによって、俺に空を飛ぶコツを教えようしているみたいだ。


 あっという間に地上の馬車は小さくなり、それでもなお銀鷹はグングンと高度を上げていく。


 すごい早さだ。俺が浮遊レビテーションで上昇するにしても、ここまで早くは飛び上がれない。


 やがて雲の層を抜け、雲を眼下に捉えたところでようやく銀鷹の動きは止まった。もちろん浮遊レビテーションでも、ここまで高い場所に来たことはない。


 さっきまで地上から見ることができた空は雲が多く薄暗かったが、雲の上から眺める空は澄みきった青一色の世界だった。しかし美しい景色だと思うと同時に、未体験の高度なだけに少し怖さも感じる。


 俺が雲の上の景色を眺めていると、銀鷹が静かに語りかけてきた。


『マルクよ……。我がどのようにして子に空の飛び方を教えているか、わかるか?』


 簡単すぎるクイズだ。ヒントは既に出ているもんね。


「今みたいに一緒に飛んで、飛び方のコツを教えているのだと思います」


 とはいえ、ただマナの流れを見ているだけじゃさっぱりわからなかった。翼とマナの併用となると、あまり人の参考にはならないからだ。そろそろ銀鷹からマナの扱い方の詳しい解説が欲しいところだね。


 だが銀鷹は俺の答えに前を向いたまま首を傾げる。


『うん? 何を言っているのだ。ここまでは下準備に過ぎん』


「え、違うんですか? それじゃあこれからなにかをするんですか?」


『知りたいか?』


 顔をこちらに向けて銀鷹が問いかける。


「はい、それはもちろん」


『うむ。こうするのだ』


 そう言って銀鷹が首を大きく振った。


「――えっ?」


 その瞬間、俺の体はあっさりと宙に投げ出され、下に向かって真っ逆さまに落ちていった。

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