333 マリー再び

 マイヤに服をひん剥かれた俺は、リアーネのお忍び外出用の衣服を無理やり着せられ、化粧台の前に座らされてメイクの真っ最中であった。


「あの……。とりあえず変装を見せるだけなら、そこまでしなくていいんじゃないかな? 今すぐ潜入というわけでもないんでしょ?」


 俺の言葉にマイヤが鏡越しにこちらを睨む。


「バカ、しゃべるな、手元が狂う。……やるなら徹底的にやって周りを納得させないといけねえだろうが。特にお前はお嬢様とやりあった後だし、お嬢様に同行を許していただくためにも、全力を尽くさねえとな」


 ああ、そうだった。女装のショックですっかり忘れていたけれど、リアーネと少し険悪なムードになっていたんだよなあ。勢いで潜入捜査を手伝うといった件よりも、そっちの方が気が重いかもしれない。


 その気持ちが顔に出ていたのだろうか。手を止めたままのマイヤが手の甲でコツンと俺の頭を叩いた。


「あたしもトライアン様から伺ったけど、お嬢様とご友人になるように言われているんだろ? それなら子供同士のじゃれ合いなんかよくあることじゃねえか。あまり気にしねえことだな」


「そういうものかな?」


「そうだよ。おらっ、とびきりかわいく仕上げるぞ」


 マイヤは意地悪そうに犬歯を見せながらメイク作業を再開した。さすがは伯爵令嬢お付きのメイドだけあって、その手際は実に繊細かつ丁寧だ。以前は化粧とは無縁の蛮族みたいな格好をしていたとセリーヌからは聞いていたけど、きっとメイドになるために相当な訓練を積んだのだろうなあ。


 メイクをされながらリアーネのことを考える。


 さっきはトライアンも仲裁してくれていたし、子供同士のじゃれ合いと言うのならリアーネの件は様子見でいいのだろう。万が一、向こうが貴族を盾に何かを要求してくるようならトライアンに相談だ。よし、これでいこう。


 脳内でリアーネの件に目星がついたことに安心すると、今度は勢いで潜入捜査なんか楽勝だと口走ってしまった件が心に重くのしかかってきた。そして思わず深いため息をついたところで、マイヤからゴチンとキツめの拳骨を食らったのだった。



 ◇◇◇



 メイクまできっちり済ませた俺は、マイヤと共に城内を歩いて食堂まで戻ることになった。相変わらず股の間がスースーして気持ち悪い。


 道中ですれ違った使用人は教育が行き届いているらしく、俺に不躾ぶしつけな視線を向けることはなかったけれど、それでも俺の心にはダメージが蓄積されていく。


 げんなりとした気分で前を歩くマイヤの足元だけを見つめて歩いていると、マイヤが立ち止まって扉をノックした。どうやら食堂に到着したようだ。


 ゆっくり静かに扉が開き、マイヤが俺の背後に回り込む。俺が俯いたまま垂れ下がった前髪の隙間から前を覗くと、テーブルを囲んだ面々の視線がすべて俺へと向けられていた。勘弁してほしい。


「おら、しっかり胸を張って歩け」


 マイヤが背中を小突きながらささやく。たしかにここまできたらもう開き直るしかないよな。こういうものは堂々としたほうが精神的ダメージは少ないものだ。これは酒場アイリスで得た経験である。……二度と経験したくはなかったことだけどね。


 俺が腹を決め前を向いて食堂に入ると、リアーネがなにやら短く声を上げたのが耳に入った。反射的にリアーネの方に顔を向けると、彼女が顔を真っ赤にしながら尋常じゃない目つきでこちらを凝視しているのが見えた。


 そりゃあそうだ。口喧嘩をして険悪な雰囲気だったところから退出して、戻ってきたと思えば彼女の衣装を借りて女装しているとか、普通にブチ切れて当然の案件である。


 あまりに恐ろしいのでリアーネとは目を合わさないでおこうと思い、正面に顔を戻す。すると今度はテーブルの最奥に構えるトライアンと目が合った。


「やあ、マリー。久しぶりだね?」


 テーブルに肘をつき、組んだ手に顎を乗せながら満面の笑みである。よりにもよって、この男の前で再びこの姿を晒すことになるとは思わなかったよ。俺が口元をヒクつかせていると、あちこちから声をかけられた。


「お兄ちゃん、かわいいよー」

『よくやってくれました! グッジョブです!』


「うわーマルク。すごくかわいいね!」


「ふふっ、似合ってるわよお?」


 からかうかと思いきや、なんだか機嫌のいいニコラ。素直に感心しているエステル。当然のようにからかい口調のセリーヌと様々な反応だけれど、引かれていないのは幸運だったと思うことにしよう。まあ後一人は怒り心頭のご様子なのだが。


 そんなお怒りのリアーネに、トライアンが顔を覗き込むようにしながら尋ねる。


「リアーネ、どうかな? これなら一緒に潜入しても問題ないだろう?」


「よ、よろしいのではないでしょうか!? それではわたくしは部屋に戻らせていただきますわっ!」


 赤い顔のままリアーネはまくし立てるように答えると、ガタンと椅子を鳴らして足早に食堂を後にした。


 俺の横を通りすぎる間際「マルクさんは壁、マルクさんは壁、壁……」とぶつぶつ呟いていたのが聞こえたんだけど、なんなんだ一体。壁殴りとかサンドバッグとかそういう意味なのだろうか。超怖いよ。


 リアーネが出ていった扉を使用人が閉め、俺はいそいそと自分の席に座る。すると先ほどまでの笑みを引っ込めて真剣な顔のトライアンがセリーヌに話しかけた。


「さて、保護者はあなたということだが、マリーに手伝わせてもらうことを承諾してはもらえないだろうか? もちろんあなたがどうしても否と主張するなら、私としても考え直すつもりでいる。遠慮なく意見を述べてほしい」


 これはもしかしてセリーヌ次第で一発逆転もあるのか!? だがセリーヌはふるふると首を振って答える。


「ウォルトレイル伯爵様。これはマルクが自ら言ったことですから、責任を取らせたいと思いますわ。こういう事も今回の旅で学んでほしいことではありますし、なによりマルクなら小悪党程度に不覚を取ることなんてありませんもの。あっ、今はマリーでしたわね」


 ですよねー。まあ俺も精神年齢ではいい歳なのに、九歳の子供相手に熱くなりすぎたと今更ながら思うよ。これもペナルティだと思って粛々と受け止めたい。


「ということだが、マリー。手伝ってくれるかな?」


「はい……」


 にこりと微笑むトライアンに、俺は力なく答える。すると突然トライアンが立ち上がった。


「よし、それではさっそく打ち合わせを始めよう。マイヤ、モリソンは城内の詰め所にいるのだろうか?」


「はい、おそらく。こちらに呼びますか?」


「いや、私が向かおう。マイヤは供を頼む。……それではお先に失礼するよ。こちらの手配が済み次第連絡をするので、すまないが今日は城で待機しておいてほしい」


 トライアンは歩きながら俺たちにそう伝えると、あっという間に食堂から去っていった。数人の使用人も揃って出て行くと、後はいつもの俺たち面々と一人の使用人が部屋の隅に残っているだけになった。


 急にがらんとした食堂で、俺は服の胸のあたりを摘みながらセリーヌに尋ねる。


「これって脱いだら駄目なのかな?」


「んー。化粧くらいは落としてもいいかもだけど、スカートには慣れておいたほうがいいと思うわよ? 慣れないまま急に走ったりして、つまづきたくはないでしょう?」


「あはは、ロングスカートって動きにくいもんね。ボクも苦手だな」


 エステルが俺のひらひらスカートを見て眉尻を下げる。俺もどうせならエステルみたいなキュロットスカートが良かったな。クローゼットになかったのでマイヤに却下されたけど。……そういえばエステルのロングスカート姿を見たのは一度きりだった。


「そういうエステルだってポータルストーンが完成する日はロングスカートを穿いていたね。あれはすごく似合っていたよ」


 記念の日ということで気合を入れたのか、あの日のエステルの服装もとてもかわいかったと思う。


「あっ、あの日のことは忘れてよ! そ、その、似合ってるって言ってくれるのは嬉しいけどさ!」


 どうやら照れたらしく、エステルは赤い顔をパタパタと手で仰いでいる。そしてその様子をニコラがニマニマとしながら眺めていた。


『あっ、そういえばニコラ』


『なんですか? マリーお姉ちゃん』


『うぐっ……。今回お前はどうなってるの? お前もダルカンに顔は見られてないよね?』


『あー……。私はそもそもメンバーのリストにすら上がってませんよ。お兄ちゃんと違って、魔法を一つも見せてないですし』


 たしかにニコラは貴族の方々には何一つ魔法ができるところは見せてない。こいつは力を見せないことで自衛とサボリを両立するタイプだもんな。未だに俺ですらニコラに何ができるのかを把握していないし。


 ニコラは俺にだけ見えるように、やれやれと肩をすくめながら念話を続ける。


『なにより私のことが大好きなリアが反対するんじゃないですか? 本当は行きたかったんですけどね~。かぁーっ! 愛されてつれーわー! かぁーっ!』


『それなら俺が推薦しようか?』


『絶対やめてください』


『はい』


『まあ……。私の予想では今回は感知はあまり必要なさそうですし、普通に足手まといになる気がしなくもないですよ。感知のしない私なんて、ただのすごくかわいい女の子ですからね』


『ああそう……』


 ということは俺、エステル、リアーネの三人と後はトライアン側で集めた人員で潜入ということになるのだろうか。色々と不安なことも多いが、作戦が決まらないことには何も始まらない。俺たちは雑談を切り上げると揃って食堂を後にしたのだった。



 ◇◇◇



 それから俺は自室に引きこもって時間を潰した。ファティアの町の母さんに共鳴石で定時連絡をしたのだけれど、まさか母さんも通話の向こうで息子が女装しているとは思うまい。


 ニコラもからかい半分で母さんに女装をバラすようなことはしなかった。なぜだか知らないが俺が女装してから妙に機嫌がいい。


 昼食や夕食時にトライアンは出席しなかった。会議が長引いてるのだろう。食事中は相変わらずリアーネが俺をジロジロと睨みつけてきたのだが、声をかけてくることはなかったので、気づかない振りでやり過ごす。


 こうして夕食も終わろうかという頃、食堂にトライアン、モリソン、マイヤが疲労感ありありの顔を浮かべながらやってきた。そして挨拶もそこそこに作戦の概要を説明し始めたのである。どうやら潜入作戦は今夜決行のようだ。



――後書き――


 書籍二巻にはアイリスで女装をしたマルクの挿絵があります。マリーに興味がおありの方はこの機会に書籍をご購入いただけるとすごく嬉しいです!\(^o^)/

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る