第88話 真偽
銀色に輝く女神ケレス様の手紙についた鳥のような白い羽が消失し、ヒラヒラとナギの手元に舞い降りる。
ナギは両手で手紙を持つと数瞬手紙を鋭い目で見た。今回女神ケレス様に会うならばどうしても尋ねなくてはならないことがある。罪劫王バアルの言葉の真偽を問うのだ。
罪劫王バアルは人間の記憶を読み取り、又その人の記憶にある存在全ての心が読めるという。それが例え神であろうとも……。
それが事実だとするならばナギは女神ケレスに真相を聞かねばならない。
即ち罪劫王バアルが今際の際に語った言葉が真実か否か……。
罪劫王バアルとの死闘の最後になされた問答がナギの脳裏に響く。
◆◇◆◇◆
「相葉ナギ、俺はお前の記憶を読んだ。お前は女神ケレスに騙されているぞ!」
瀕死の罪劫王バアルが叫ぶ。
「騙されているだと?」
ナギが静かに問う。
「そうだ! お前は次元震で死んだと説明されただろうが、それは嘘だ!」
「なら、真相はなんだ?」
ナギは静かに問うた。
「女神ケレスはお前を選んで殺害したのさ! 理由は、お前が相葉円心の孫だからだ!」
「俺がお爺ちゃんの孫だからだと?」
「そうだ! お前の祖父・相葉円心はかつてこの異世界で英雄として活躍したのだ!」
バアルの瞳に奸悪な笑みが閃いた。
「爺ちゃんが英雄か」
「そうだ! だから、お前が選ばれた。英雄の孫である相葉ナギよ。お前はおかしいと思わなかったのか? 『偶然、次元震に巻き込まれた』。そう女神ケレスは言っただろう? そんな偶然があるものかよ!」
「女神ケレスの陰謀でお前は殺され、この狂ったクソッタレの異世界に放り込まれたのさ!
女神ケレスは、『魔神を倒せる人間は英雄・相葉円心の孫である相葉ナギしかいない』そう計算した。だから、お前は女神ケレスに選ばれたのさ!
それにもう一つ、ショックなことを教えてやる! 相葉ナギ、セドナ、お前らは大精霊レイヴィアにも騙されているぞ! 相葉ナギよ。お前はセドナを奴隷商人から買い取ったな!」
「そうだ」
ナギが答える。
「奴隷商人は、レイヴィアの仲間だ! セドナは奴隷商人によって保護されていたのさ!」
「なるほど。潜伏するには最適だな。奴隷商人に買われている状態なら、存在を隠匿しやすい。建物に匿っているからなおのことだ」
ナギが淡々と言う。
「そうだ! それにセドナ!」
バアルはセドナに視線を向けた。セドナがビクリと怯えて身体を震わす。
「お前もレイヴィアに騙されているぞ! お前はレイヴィアに記憶を改竄されている!」
「改竄? 記憶の改竄?」
セドナの金瞳に動揺が広がる。
「そうだ! 故郷の村を滅ぼされ、目の前で両親を殺害された。その記憶でお前が苦しみ、精神が壊れるのを危惧したレイヴィアは、お前の記憶を勝手に改竄したのさ!」
バアルが悪意に満ちた声を放つ。
「お前の故郷の村。シルヴァン・エルフの村が襲撃された時の記憶は封印されている! 思い出そうとしても、その記憶は朧気だろう? トラウマとなって、お前の精神が破壊されないように護ったのさ! お前に許可すら取らずにな! 哀れだな! 味方と思っているレイヴィアに勝手に記憶を操作されるとは!」
バアルが、毒のような哄笑をした。
「相葉ナギ、セドナ! お前は女神ケレスにも、大精霊レイヴィアにも騙された哀れな生け贄だ! セドナ! お前は奴隷商人に買われている時、自分が庇護されていることに気付きもしなかっただろう?」
バアルが瞳に悪意を込めてセドナを見る。
セドナは静かにバアルに問いかけた。
「……レイヴィア様は私を護るために奴隷商人に保護させたのですね?」
「そうだ!」
バアルが、歪んだ笑みとともに言う。
「ならば納得しました。レイヴィア様が私に真実を告げなかった理由が私を護るためであるなら、それは当然のことです」
「……は?」
バアルは茫然とした。なぜ、セドナがレイヴィアを擁護するのかが、この悪魔には理解出来なかった。
「私が自分が奴隷だと思い込んでいれば、より安全だったというのは論理的に理解できます。全ては私を思ってのこと。レイヴィア様には感謝しています」
「……なんだと?」
バアルは訳が分からず声を低めた。
「今思えば私は奴隷でしたが、待遇が非常に良かったです。食事も美味しいし、部屋は清潔で綺麗だし。奴隷商人の方は毎日お風呂に入れてくれましたし……。
夜には必ずホットミルクとおやつの夜食がでるし……。それに高価な本やオモチャも貰えました。私は世間知らずなので気付きませんでしたが、奴隷にしては待遇が良すぎました」
セドナの端麗な顔には何の動揺も浮かんではいなかった。
バアルが、恐怖を感じて数歩後ずさる。
「罪劫王バアル。話は終わりか?」
ナギが〈斬華〉を霞構えにした。鋭い殺意がナギの瞳に宿る。
「ま、待て!」
罪劫王バアルが恐怖に満ちた声をあげる。ナギは〈斬華〉を横薙ぎにした。鋭い斬撃が走り抜け、バアルの首を切り飛ばした。首から血が噴出し、バアルの首が地面に落ちて転がった。
◆◇◆◇◆
回想がナギの脳裏から去ると、彼はワイングラスを傾けて果実酒を胃の腑に流し込んだ。弱い酒だ。強い酒が欲しい、と思った。だが、ケレス様に会う前に酔うわけにもいかない。
ワイングラスをテーブルに置くと、ナギは右手をテーブルの上において人差し指をタップした。沈思する時のナギの癖である。
(レイヴィア様がセドナを奴隷商人の下で匿っていた。これは良い)
この行為自体はレイヴィアがセドナの身を慮ってのこと。逆にナギはさすがレイヴィア様だと感心したくらいである。
まさか、セドナが奴隷商人に匿われているなど誰も分かるまい。レイヴィア様とセドナの敵対者は不明だが、奴隷商人が味方になって庇護していてはセドナを探し当てることは不可能だ。奴隷商人というのは、その職業上、秘匿性が高い。
保護対象であるセドナを数多の奴隷の1つにして隠してしまえば、保護するのにこれ程適した場所もない。
事実、古代ローマ帝国において、とある属州の王族が敵対する勢力から身を隠すために奴隷商人を利用して、政敵から逃げおおせた例がある。
よって、レイヴィア様がセドナを奴隷商人に保護させたのは道義的にも合理的現実的側面からも容認しえる。
例えレイヴィア様がセドナに嘘を吐いていたとしても、それも作戦の一部だ。実際、セドナはかなり裕福かつ安全に匿われていた。
(だが……)
とナギは思う。
女神ケレス様の嘘は別だ。ナギの黒瞳に形容しがたい光が浮かぶ。
もし、罪劫王バアルの言った言葉が真実ならば、そのままにはしておけない。
(俺が次元震に巻き込まれたのは偶然だと女神ケレス様は言った)
だが、罪劫王バアルは『偶然』ではなく必然的に女神ケレス様が俺を殺したのだという。理由は俺が相葉円心の孫であるからだそうだ。
祖父・円心はかつてこの異世界に来訪しており、しかも英雄だった。
《魔神》を倒すためには孫である俺を異世界に転移させる必要があり、そのために俺を次元震で故意に殺害した。
俺は人差し指をタップしながら細く長い息を吐き出す。
罪劫王バアルの言葉が真実であるという証拠はない。だが、もし真実であるとするならば……。
俺は女神ケレス様からの手紙を開いた。そこには流麗な日本語が書かれていた。
『相葉ナギ様。貴方を夢幻界にご招待します。どうぞお越し下さい』
その文字が手紙に浮かぶと同時に俺の身体が純白の光に包まれた。俺は神剣〈斬華〉の鯉口を切った。鯉口を切った時、宝玉が砕けるような冷たく美しい金属音が響いた。
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