第35話

 金銭の分配比率については結局平行線のまま……ひとまず金銭を得てから考えよう、ということになった。


 俺とルーチェはアイテムを売り捌くために、まずは〈破れた魔導書堂〉を訪れることにした。


 ……ここの店主は腹黒そうなのであまり高値で買い取ってくれるとは思えないのだが、〈技能の書スキルブック〉については捌けそうな店が少なすぎるため、ここに頼ることになるだろう。

 下手にあちこちの店で相談して、〈技能の書スキルブック〉を非合法に販売しようとしている、という噂が立っても困る。

 

「へえ、また来たさね。今度はめんこい子連れとるね、アンタの仲間かい?」


 前回同様、煙管を手にした老婆が出迎えてくれた。


「……まだアレはあるよな?」


「疑り深いね。〈燻り狂う牙〉の〈技能の書スキルブック〉なら勿論あるよ。こんな店だからこそ、ウチは信用を大事にしとるんね」


 ……どうだか、全く信じられない。

 値段を上乗せして置いておいて、あっさりすぐ買ってくれる客が見つかったら手放しそうな気がしてならない。


 前回も一応約束には応じたが、俺も別に信じたわけではない。

 ただ1%でも〈燻り狂う牙〉が売り飛ばされる可能性を減らしたかったのだ。

 汎用性では〈中級風魔法〉に劣るが、稀少性では〈燻り狂う牙〉の方が〈技能の書スキルブック〉の稀少性が高いのだ。

 規制の厳しいこの世界で、ここで逃せば次に手に入るのがいつになるか、わかったものではない。

 正直、一億ゴルドでも、払えるなら支払って即決で買っている。


「エルマさんが欲しいものあるって言ってたの、ここの店のアイテムだったんですね」


 ルーチェは合点がいったらしく、手を叩いた。


「純粋そうな子さね。まさかアンタ、そっちの子にあのスキルツリーを覚えさせるつもりかい?」


 店主が口許で小さく笑みを浮かべる。


「……馬鹿なことを言うな、そんな趣味の悪いことをするか。俺用だ」


「ふぅん、どっちにしろアレを……それも新人冒険者が欲しがるなんて、けったいな話だけどね」


 俺と店主のやり取りを聞き、ルーチェは不思議そうに首を傾げていた。

 

 店主の言いたいことはわかる。

 〈燻り狂う牙〉は、普通に使えば使用者の危険が大きすぎるスキルツリーなのだ。

 俺が死に急いでいるのか、そうでなければ新人冒険者を捕まえて捨て駒にしようとしているのではないかと考えたのだろう。


「今回は買取じゃない。アイテムの査定を行ってもらいにきたんだ」


「へえ? 聡明そうなアンタなら、ウチでの売却なんて端から考えないと思ってたんだけどね」


 店主は赤裸々にそう口にした。

 俺からの印象が最悪だったことは自覚しているらしい。

 ルーチェは店主へと細めた疑惑の目を向け、それから不安げに俺の顔を見た。


 俺は〈天使の玩具箱〉でドロップしたアイテムを次々に見せていく。

 〈ブリキソード〉二本に、続いて〈輝くラーナの飾剣〉二本である。

 これだけで市場価値は総額四千万ゴルド近くになる。


「こりゃ驚いたさね。〈輝くラーナの飾剣〉が二本……妙に自信ありげなガキだとは思ってたけど、この短期間でまさかこんなとは。へぇ、こんな大物だと知ってれば、こんな明け透けには接さなかったのに。こりゃ損したね」


「面倒な駆け引きはしたくない。三千万ゴルド出してくれるなら、ここで売っていい。それ以下なら別の店を当たる。元より、あまり期待はしていない。参考までに聞きに来ただけだ」


「三千万は、良心的な店こそ難しかろね。ウチみたいに貯め込んでなけりゃ出せんさ。ここなら一括で引き取ってやれるから、変に噂になって妬まれることもない。アンタの実力で、少額を惜しんで余計な危険を負うべきじゃないよ。二千五百万さね」


 こ、この婆さん……!

 こっちは余計な駆け引きはしたくないと言っているのに。


「エルマさん、店主さんの言うことにも一理あるんじゃないですか? 二千五百万でも大金には違いありませんし……」


「流されるな、ルーチェ。弱気の姿勢を見せれば付け込まれるぞ」


 店主の言っていることは正しい。

 三千万はやや強気の額だ。

 頑張って店を回っても、二千八百万前後の額になりかねない。

 それなら余計なリスクを考えれば、ここの店主に二千五百万で売ってしまうことも一つの手だ。


 ただ、この店主のペースに乗るのはあまりいいとは思えない。

 最終的にはもっとずるずると値を下げられそうだ。

 乗るにしても、弱気な姿勢は見せたくなかった。


「元々魔石の換金分もある。〈輝くラーナの飾剣〉は資産として持っておいて、いい機会があるまで持っておけばいい。無理に纏めて売ろうとするから目を付けられるんだ」


 俺は堂々とそう言い切った。


「へぇ、じゃあ無理強いはできないね。残念さ」


 店主が嫌な笑みを浮かべている。

 ……見透かされている感じだが、ひとまず強気のポーズは崩さずに済んだ。

 しかしこの婆さん、明らかに駆け引きを楽しんでいる。いい性格をしている。


 まあ、この店だと二千五百万……粘っても二千六百万辺りだろうことはわかった。

 それだけでも収穫だと思うべきだ。


「でだね、別に本題があるんだろ? ここで捌かなくてもいいっていうのは本音みたいだからね」


「……〈夢の主〉からドロップした〈技能の書スキルブック〉がある。使おうかどうか悩んでるんだが、悪くない値段で買い取ってくれるなら売却も考慮してる」


 俺は言いながら〈中級風魔法〉の〈技能の書スキルブック〉を出した。


 使おうか悩んでいる……というのは、ちょっとでも値段を吊り上げるためのブラフである。

 どうせ他所では売れまいと、そう足許を見られては敵わない。


「この短期間で、本当にたまげたね……。アンタ……いや、アンタら、近い内に英雄サマと呼ばれるようになるかもしれんね。なるほど、そいつは売るならウチでやりたいわけだ」


 店主の顔から笑みが薄れた。

 交渉に乗り気になったようだが、この婆さん相手にどこまで引っ張れるかは怪しい。


「市場価値は二千万ゴルド……アタシだって、これ扱うには危ない橋を渡る。ギルドで引き取ってもらったら、七百万ゴルドってところだろうね。アンタはやり手みたいだし、今後のことも考えて、ちょいと色付けてやってもいい。千四百万ゴルドなら引き取ってやってもいいさ」


「どうせまた法外な値段で店に並べるんだろ? 〈中級風魔法〉なら、欲しがる奴も見つけやすい。相手見て引っ張るのも楽なはずだ。仲良くしたいって言ってくれるなら、二千二百万ゴルドくらい見てくれてもいいんじゃないか?」


「へえ……その歳で、〈技能の書スキルブック〉の価値をようわかっとるさね、ガキの癖に。前ここの相場見せたのも響いてるか。でもね、アンタら、自分で使う気なんてさらさらないだろ? あんまり欲の皮突っ張るもんじゃないよ」


「そりゃそっちの方だろ? 俺は今後、客としても利用させてもらうって話になってるんだ。ちょっとくらい隙を見せてくれてもいいんじゃないのか」


 ここは退けない。

 〈技能の書スキルブック〉の相場は、取引が公に禁止されている上に、一つ一つが稀少すぎてあってないようなものになっている。

 油断すればカモにされる。ここはしっかりと取っておきたい。


「その歳で見識がある上に、度胸があって、おまけに弁が立つね、アンタ。生意気な」


 店主がぺろりと舌舐めずりをする。


 参ったな……あまり本格的な交渉になると勝算が薄いから、なるべく聞く耳を持たずに突っぱねる形で行きたかったんだが。

 さすがに〈技能の書スキルブック〉についてはそうも行かないか。


「……あのう、エルマさんの欲しがってる〈燻り狂う牙〉の〈技能の書スキルブック〉って、おいくらなんですか?」


 ルーチェがすごすごと手を挙げる。

 店主が目を細めて彼女を睨んだ。


「なんね、小娘。今が一番楽しいところだってのに、水を差して。そっちの重騎士のガキが欲しがってるのは、五千五百万のレア〈技能の書スキルブック〉さね」


「ご、五千五百万ゴルド……。話の流れで覚悟はしてましたけど、凄い高い……」


 ルーチェは額に驚いたらしく、顔を強張らせていた。


「……市場価値でいえば、三千万ゴルドが相場なんだけどな。なかなか足許を見てくれる」


「な、なるほど……」


 俺が補足すると、ルーチェは真剣な表情で頷いた後、口許を押さえて考え込んでいた。

 それからぱぁっと表情を輝かせ、手を打った。


「あのっ! 店主さん、アタシ思い付いたんですけど、〈中級風魔法〉の〈技能の書スキルブック〉とここに出したアイテムで、その〈燻り狂う牙〉と交換っていうのはどうですかぁ!」


「はんっ、何を言い出すかと思えば。そんなの交渉になってないさね。思い付きを口にはさんで、邪魔するのは……」


 店主はそこまで言ってから、顔を顰めた。


「……むむ、いや、なかなかどうして、痒いところに届く提案するさね。買い手が少ない〈燻り狂う牙〉が捌けて、かつ扱いやすいアイテムがバラで手に入ると思えば悪くない」


 確かにルーチェの提案は、金額でいえばこちらもかなり美味しい。

 今回査定してもらったアイテムの市場価値は四千万ゴルド……一括で捌けば、せいぜい二千八百万ゴルドが限界だろう。

 それも上手くやれば、の話である。


 そして〈中級風魔法〉の〈技能の書スキルブック〉も、この調子だと高めに見積もっても二千万ゴルドより上にはならない。

 合わせて四千八百万ゴルド……元々の〈燻り狂う牙〉の値段は五千万ゴルドで、これも改めて交渉すれば値段を吊り上げられかねない状態である。

 

 ここで纏めて交換してもらえるのは美味しい。

 魔石の換金額やエンブリオ討伐報酬がまるまる手許に残った状態で、〈燻り狂う牙〉が手に入る。


「もうちょっと遊んでやりたかったけど、そこまで丁度いい塩梅の条件出されると、商人として何も言えんさね。その条件なら飲んでもいいさ」


「いや、ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 その条件だと大きな問題がある。

 これらのアイテムは、今回の報酬額の大半なのだ。


「ルーチェ、それだとお前の分配金を渡せなくなる」


「……エルマさんにはパーティーの件といい、レベル上げを手伝ってもらった形になったことといい、感謝してもし足りないくらいですから、これくらいいいですのに」


「い、いや、恩で済ませていいような額じゃ……」


「仲間の装備に投資するのは当たり前のことじゃないですか、ね? 活動経費みたいなもんです。お互いの装備も整えていかないといけないのに、あんな比率じゃ今後効率が悪いですよう? しばらく稼いだ分は共同って形にして、必要に応じて分けて行ったらいいじゃないですか。それがあったらエルマさんがぐんと強くなって、いっぱい活躍して稼いでくれるんですよね? じゃあ問題ないじゃありませんか!」


 ……確かに〈燻り狂う牙〉は早めに確保しておきたい。

 しておきたいが、しかし、今五千万ゴルドもらうのでは、あまりに俺に有利すぎる。


「あのな……ルーチェ。今回は上手く行ったが、次も上手く行くとは限らない。例えば事情ができて、パーティーをすぐに解散するようなことになったらどうするんだ?」


「……エルマさん、まさかアタシを切り捨てて他の方とパーティーを組むおつもりなんですか? なんだか後腐れをなくそうとしているように思えてきたんですが……」


 ルーチェがジト目で俺を上目遣いに睨み、がっちりと俺の腕を掴んだ。

 逃がすまいという気迫があった。


「い、いや、そうじゃないけど……万が一だな……」


 ルーチェの表情がぱぁっと晴れた。


「だったら問題ないじゃないですか! ね? アタシからの感謝のプレゼントだと思ってください。どうしても折り合い付かないんだったら、ばっちり活躍して取り戻してくれればいいですから!」


「まあ、そうなんだが……いや、しかし……」


「ささ、店主さん、さっさと交換しましょう! エルマさんがまた余計なこと言い出す前に!」


「よく説き伏せたよ、小娘。しっかり捕まえときな、逃がさんように」


 ルーチェと店主が、互いの奮闘を讃えるようにハイタッチをしていた。

 なんで意気投合しているんだ、この二人……?

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