第36話 6月18日(金)夜

「む゛~~~~~~~~~~」


 枕に顔を埋めて唸っても何も状況は変わらない。

 アフレコの練習で声を出すことはあっても、今の自分の気持ちを台本みたいにちゃんとした言葉にすることもできない。


 その結果、家族の迷惑にならないように枕の中で叫ぶという行為に至るわけだ。


米倉よねくらくん来てくれるんだ」


 ラジフラの公開録音に米倉よねくらくんが来てくれる。

 嬉しくもあり恥ずかしくもあり不思議な気持ちだ。


 春町はるまちあかりとしてラジオのお仕事をしているところを見てもらえるのは一人の新人声優としては嬉しい。


 でも、完全に米倉よねくらくんに対する恋心を捨てられていない一人の女の子としては照れくさい。


「わたしはわたし。あかりはあかり。……って頭ではわかってるけどさあ」


 寝返りを打つと天井が迫ってくるような感覚を覚えた。

 自分の心が追い詰められているのを感じる。


「どうしよう。恥ずかしい」


 会場のどこかで米倉よねくらくんがあかりを見ている。

 それを考えただけでまともに収録できる気がしない。


 ただでさえ公開録音といういつもと違う環境な上に憧れの内田先輩がゲストに来ている。

 お客さんも全員が全員あかりのファンではない。それどころか内田先輩目当ての人が多い可能性だってある。


「うう……失敗できないと思うと余計に緊張するぅ。嬉しいのにイヤだ」


 これまでのお仕事も応援してくれているからこそ、彼はあんなにも熱く春町はるまちあかりの魅力を語ってくれるし、活躍を信じてくれている。


 もし公開録音で失敗すれば米倉よねくらくんの期待を裏切ることになり愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 恋も仕事も失うなんてあまりにも最悪だ。


「早く付き合っちゃえばいいのに」


 内探に送った恋愛相談メールの回答はまだない。

 まずはライブの感想が優先だし、来週も生放送になった。

 

 きっとわたしの相談メールはそのまま不採用になるだろう。


 だから答えは自分自身で出さなくてはいけない。


「諦められるかどうかじゃなくて、諦めなきゃ」


 これから声優として活動していくのに彼氏の存在はマイナスになる。

 身近で応援して支えてくれるのはすごく助かるけど、それはマネージャーさんの仕事だ。


「声優とファンの関係に戻るにはどうすればいいんだろ」


 学校で友達と過ごす時間は家族と過ごす時間よりも長い。

 あかりがまだまだ駆け出しの声優なのもあって、現場で他の声優さんやスタッフさんに会う時間よりも当然長い。


 今、誰よりも同じ空気を吸っているのが米倉よねくらくんだ。


「たぶん、真実まみちゃんよりも……」


 学生にとってクラスが違うといのはとても大きい。

 わたしが隣の席で勉強している間、真実まみちゃんは別の教室で授業を受けている。


 修学旅行で同じ班になれる可能性があるのはわたしの方だ。


「ダメダメ。気持ちと役を切り替えないと」


 勢いよくベッドから起き上がると仕事でもないのにウィッグを付けた。

 サイドテールになることでより一層春町はるまちあかりのスイッチが強く入る気がする。


米倉よねくらくんが好きなのはあかり。そしてあかりは彼氏を作らない」


 大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 わたしとあかりは一心同体。

 米倉よねくらくんなら絶対に正体をバラすようなことはしないと思う。


 だけど、あかりが彼氏を作らないのなら、わたしも彼氏を作ってはいけない。


 それが声優としてみんなに夢を与えるということだから。


米倉よねくらくんがガチ恋から覚めて、だけど熱心に応援してくれますように」


 窓から見上げた夜空は曇っていて流れ星どころか月も見えない。

 自分にとってあまりに虫の良すぎる願いを神様は聞き入れてくれるかわからない。


 それでもあかりは、彼の気持ちの行く末を神様に委ねるしかなかった。

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