第11話 力

(なn)

 タロウが自分の行動に驚くより先に、左の拳がクマの右手に触れた。瞬間、クマの右手が弾け、クマは大きくのけぞった。

「何で」

 タロウは唖然とした表情で右の拳を見た。その甲には、魔方陣の輝きがある。

『肉体生成の応用だ』とアルケミアの声が聞こえる。『お主は今、多量の有機物と少量の無機物から、新たな肉体を生成することができる。その技術を使えば、有機生命体の構造を瞬間的に変形させることなど、造作もないことよ』

「いや、そうじゃなくて。何で、体が勝手に」

 クマの右手が弾けた理由はわかる。それよりも、体が勝手に動いた方が驚きだった。

『当然のことだ。我が知識を有しておきながら、死ぬことなど許されぬ』

「どうして?」

『それほどまでに、我が知識は特別だからな。そしてお主には、その知識を他者に継承するという義務もある』

「何それ聞いていないんだけど」

『伝えているはずだぞ』

 そんなはずはないと思ったが、確かに、継承しなければいけないという義務感がある。辞書みたいに、前後の脈絡を無視して、事実だけが記憶の中にあった。

「嘘だろ……」

 タロウは絶望する。このままでは、死にたいのに死ねない。

「ぐおぉぉお!」

 クマが左手を振りかざし、タロウの首を狙った。が、タロウには、やはりその攻撃が、ゆっくりに見えた。肉体生成の応用――自身の神経系を強化し、反応速度と情報の処理速度を格段に飛躍させた。だから、クマの攻撃がはっきりと見えた。

(このまま受け止めれば、楽になる)

 心はそれを望んでいるのに、魔方陣が浮かぶ右の拳で、クマの左手を叩く。瞬間、クマの左手は弾け、クマは膝から転げ落ちた。それでもなお、噛みつこうとするクマの額に触れ、スキルを発動する。右手の甲が輝き、クマの頭部が破裂した。

 肉片に変わったクマを見て、タロウは唖然とする。

 クマを倒した。

 しかしそこに、タロウの意思はなく、アルケミアによる精神支配だけがあった。自分の無意識が他人に乗っ取られた。タロウは、恐ろしい上に、面倒な状況になったことを理解した。

『こんなこともできるぞ』

 タロウはクマの死体に右手を伸ばしていた。クマの肉片に触れ、甲の魔方陣が輝く。放電しながら、クマの肉体が白い光に包まれ、一瞬、強い光を放った後、光は徐々に弱くなる。

 そして現れたのは、サイズが少し小さくなったクマだった。クマはのそりと起き上がると、タロウに体をこすりつけ、甘え始めた。飼い主にじゃれつく犬みたいに。

『お主は肉体だけではなく、精神、つまり霊魂生成もできる。これを使えば、強力なモンスターもお主の可愛い下僕入りだ』

(何それ、全然うれしくない)

 アキトやジンを殺した相手の甘える姿に、タロウは戸惑いを隠せなかった。

「すごいね! タロウ」と少年が目を輝かせる。「この強そうなモンスターを瞬殺した上に、ペットにしちゃうなんて」

 クマは少年に気づき、少年にも頬を寄せる。

「ははっ、可愛いね、この子」

 クマとじゃれる少年。一見すれば、微笑ましい状況だが、タロウは笑えなかった。どちらも、タロウが作り出した生命体。本来、ここにいてはいけない存在。倫理的に良くないことをやったという精神的負担が重くのしかかり、タロウは大きなため息を吐いた。

「どうしたの?」

「……何でもない」

 タロウは、自己嫌悪の波にのまれた。こんな状況になってしまったのも、自分のいい加減な性格が原因だ。アルケミアに提案されたときに断っていれば、こんなことにはなっていなかった。話の内容を考えず、適当に返事する。その結果、後悔することは今までの人生でも多々あった。全く学ばない人生。何ども同じことを繰り返す自分に嫌気がさした。

(あぁ……。死にてぇ)

 しかし、アルケミアの知識のせいで死ぬこともできない。

『他者に継承すれば死ぬことができるぞ』

 アルケミアの助言。タロウは少年を見た。

(なら、この子に教えてあげれば、いいのか)

『どうやって教えるつもりだ』

(そりゃあ、やり方を……)

『ふむ。なら、わしの知識をわしに教えてみよ』

(それは……)

 と考えかけ、タロウはハッとする。アルケミアの知識をうまく言語化できない。自転車みたいに、感覚で力を使っていたことに気づく。何となく、力の使い方はわかるが、その何となくをうまく説明できない。

 ――ニヤリと笑うアルケミアの姿がフラッシュバックする。

『我が知識は特別だ。そう簡単に、人に説明できるものではない』

(マジかよ)

 説明できないということは簡単に死ねないということ。自分みたいな適当人間は、さっさと死んだ方が世の中のためなのに、それができない。

(待てよ)

 タロウは本のことを思い出し、辺りを見回す。あの本があれば、お手軽に継承できる。しかし、置いていたはずの場所に、本は無かった。絶望的な状況に、タロウの瞳が濁る。

「ねぇ、タロウ」と少年は言った。「探索に行こうよ。マックスもいるし、きっとこの場所を攻略できる」

「マックス?」

「このクマの名前さ!」

 年相応の笑みを浮かべる少年を見て、タロウはイラっとした。人の気も知らないで、何が楽しいのだろう。しかし、それは少年に対する八つ当たりでしかないことを理解していたから、タロウは「あぁ、うん。そうだな……」とお茶を濁した。

(探索か……行きたくないな)

 正直、アルケミアの知識を手に入れたおかげで、冒険者としてのランクが格段に上がった気はする。しかし、ダンジョン探索を面倒くさく感じ始めている自分もいた。探索すれば、また、余計なことをして、自分の首を絞めかねない。

(でも、ここにいたところで、何かが変わるとは思えないんだよな)

 簡単に死ねないことがわかった今、この場にとどまる理由が無い。それに、探索すれば、あの本みたいに、アルケミアの知識を何らかの形で残す方法が見つかるかもしれない。そう考えると、探索することが最善に思えた。

「……しゃーない。行くか」

「うん!」

 元気に頷く少年が裸であることを思い出し、タロウはアキトのリュックを開けた。

「すみません、アキトさん」

 3人の中で、アキトが一番小柄だったから、アキトの服なら着れると思った。アキトの予備の服を渡し、着替えさせる。着ることはできたものの、オーバーサイズで体に合っていないように見えた。

「服は、少しそれで我慢して」

「うん!」

 アキトとジンのリュックから探索に使えそうなものを拝借する。リュックを調べていると、2人との思い出が蘇り、切ない気持ちになった。自分がもっと、冒険に対し真摯だったら、2人のことを救えただろうか――。そんな考えが、頭をよぎる。

 必要なものをまとめたタロウは、石像の下に2人のリュックを並べ、手を合わせた。それが、2人に対するせめてもの供養だった。隣を見ると、少年も同じように手を合わせていた。少年はタロウの視線に気づき、微笑んだ。

「僕がここにいるのも、彼らのおかげだからね」

 タロウは渋い顔で答える。

「……なるほどな」

「そういえば、タロウ。僕の名前は?」

「俺が決めるの?」

「当然でしょ。タロウは、僕の父であり、僕の兄であり、僕の親友なんだから」

 タロウはほの暗い顔で思案したのち、ぼそりと言った。

「……ヒュー」

「ヒュー? いい名前じゃん! 何でヒューなの?」

「何となく」

「ふぅん。まぁ、いいや! マックス、僕の名前はヒューだよ!」

 マックスとじゃれつくヒューを見て、ヒューにした理由は話せないな、と思った。

 歩き出そうとして、ヒューに手を引かれる。

「そっちじゃないよ」

「わかるのか?」

「うん。何となくね」

 ヒューが、入口を指さしたので、タロウは最初に来た道の方に向かって、歩き出した。

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