第73話 雪解け

 くるみは極寒の湖を沈んでいく。

 不思議と息苦しさは感じない。

 もしかしたら水中でも生きられる身体になってしまったのかもしれないと思った。


 このまま沈むのもアリかもしれない。そう思っていると、瑞樹が湖に飛び込んできた。


(来ちゃダメ!)


 くるみは水中で首を振る。

 でも瑞樹には通じていない。いや、通じているけれど無視をされている。

 瑞樹は必死の形相でくるみの元まで泳いできて――


(えっ?)


 彼女がくるみに口づけをした。

 強引に舌をねじ込んで、くるみの口をこじ開けてくる。


(突然何を――ッ!?)


 最初は瑞樹の意図が分からなかった。

 だがすぐに分かった。

 口から空気が送られてくる感覚。

 湖に沈んで呼吸ができないくるみに対して、瑞樹が体内にある僅かばかりの空気を送り込もうとしているのだ。


(ダメ!)


 くるみは慌てて首を振った。

 だが瑞樹は聞き入れようとしない。必死になってくるみを助けようとしている。


 ――無駄なことなのに。


 くるみが自棄になって死にたがっているとかそういうことではない。

 身体の半分がヴェノムと化しているくるみは、水中で呼吸ができない程度では命に何の危険もないのだ。


(私には必要ないの!)


 瑞樹は笑みを浮かべてゴバァッと大きく息をふき出した後、その意識を失った。

 意識を失ったことで魔法少女の姿が解除される。


(まずい!)


 この湖の中で、魔法少女でなくなってしまえば、すぐに凍死してしまう。

 身体に力が入らない己が恨めしかった。

 全能感に溺れてバカみたいに力を使ってしまったせいだ。


(瑞樹ちゃん! 瑞樹ちゃん!)


 反応がない。

 このままではすぐに瑞樹が死ぬ。


(嫌だ)


 目の前の現実を認めたくて、くるみは首を振る。


(瑞樹ちゃんがいるから、私は私であれる)


 瑞樹が根気強く語り掛けてくれたからこそ、今のくるみが形成されている。

 くるみには瑞樹が必要なのだ。


(お願い……助けて)


 ただ祈ることしかできなかった。

 そして、くるみが知る限り、最も頼りになる人の名を口にした。


 ――助けて、ウラシマさん。


「すまん、遅くなった」


 声が、聞こえた。




    ◆




 くるみちゃんと瑞樹を湖の中から引っ張り上げる。

 くるみちゃんは魔力切れになって身体が動かないようだったので、魔力を分け与えた。本調子ではないものの、ある程度身体に自由が戻ったはずだ。


「ウラシマさん、瑞樹ちゃんが!」

「分かってる」


 安定した足場に移動して瑞樹を抱きしめる。

 身体から全く熱が感じられない。顔面も蒼白だ。


「息は……かろうじてある、な」


 最悪の状態ではなさそうだ。

 ホッとした。


「だがマズいな」


 魔法で瑞樹の状態を確認してみたが、余り楽観できる状態ではなかった。


「身体の内側が凍っている……」


 このまま放っておけば、瑞樹の命のともし火は消えてしまうだろう。

 仕方がない。

 回復魔法はそこまで得意じゃないがやるしかない。

 俺は瑞樹と唇を重ね合わせた。

 彼女の口を舌でこじ開け、その中に魔力を注いでいく。


 これは応急処置だ。

 あっちの世界にいたとき、猛毒を飲んでしまって似たような処置を受けたことがある。

 身体の内部を治癒するためには、この方法が効率がいいのだ。

 当然、その行為に性的な意味は含まれずない。

 現に俺にその治癒を行った相手は――男だった。思い出したくもない。


「あった、かい……」


 少しずつ治癒の効果が出ていた。


「ウラシマ……?」


 まだ覚醒しきっていない瑞樹が、目をとろーんとさせながら、俺の首の後ろに手を回す。

 彼女はまだ己の状況を分かっていないらしく、より効率よく熱を奪い取ろうと、瑞樹の舌が俺の舌を絡めとる。


「あわわ」


 くるみちゃんが顔を赤くし、その顔を手で隠しながらも興味津々に俺たちのことを見ている。

 アイスシールドやレッドソードは呆れたようにこっちを見ていた。


 確かに今の状況はあまり真っ当ではない。

 治療行為のはずが、その範疇を逸脱しかけている。

 このまま続けていたらどうにかなってしまいそうだった。

 十分に瑞樹の身体に熱が戻ったことを確認して、瑞樹から距離をとる。


「私、ウラシマと……」


 徐々に意識が覚醒してきた瑞樹が、俺とキスしていたことを認識しようとしている。

 また暴れられたら面倒になる。

 完全に覚醒しきる前に誤魔化すべし。


「いや応急処置だから……な!」

「そうね。今のは応急処置」


 瑞樹はホゥと吐息を吐きながら、唇に指を当てていた。


「ぐっ……」


 その仕草が妙に色っぽくて何も言えなくなった。


「あ、あの! ウラシマさん!」


 くるみが手をあげながら飛び跳ねている。


「私も溺れたんだけどなー、えへへ」


 くるみをデコピンした。


「酷いよウラシマさん!」




    ◆




 ウラシマが特異級ヴェノム・雪女を倒したことで、ドームの中にいたヴェノムは全て消失した。

 くるみは雪女からは既に独立した扱いになっているのか、彼女の中にはヴェノムの因子が宿ったままだった。


(全部消えてくれたらよかったのに……)


 ウラシマと雪女との戦い。想像を絶するであろう戦いに、ウラシマは無傷で勝利している。


(やっぱりウラシマさんは凄いや)


 彼らの戦いに参戦したと思われるサンダーアサシンは、なぜかボギヨーのソファに身を預けている。

 ウラシマの戦闘中にはその状態になっていたらしく、戦闘を終えたウラシマはソファーごと彼女を運んできたそうだ。


(完全にダメになっている……)


 きっと辛いことがたくさんあったのだろう。

 くるみはそっとしてあげようと思った。


「うぉおおおおおおおお!」


 遠くから叫び声が聞こえた。


「あの声はウォーちゃんだな」


 ウラシマが言う。

 アイソレートウォールのことだ。

 くるみ自身はそこまで接点がないが、ドームの壁を修復する部隊のエースだと聞いている。


「一心不乱に壁を壊してやがる」


 特異級ヴェノム・雪女が消滅し、ドーム内部のヴェノムも全て消えた。

 もう越山ドームは必要ない。

 だから彼女たちは壁を壊している。


「楽しそうだね」

「楽しそうというか……イッちゃってるなぁ」


 ウラシマが呆れながら呟いた。


(みんな明るい顔だ)


 『魔女』の長年の悲願だったドーム奪還を果たしたのだ。

 念のためとドーム内を巡回しに行ったアイスシールドやレッドソードたち。

 発狂したように壁を壊すアイソレートウォールたち。

 くるみが戻ってきたことに喜ぶウラシマや瑞樹。

 ダメになっているサンダーアサシンは除くが、他のみんなの顔は明るく輝いている。


(私は……)


 くるみの顔は、まだ暗いままだった。


「どうした?」

「私は化け物なの」


 ヴェノムとの混ざりものだ。


「そんなの大したことじゃないさ」

「でも獣みたいな身体になっちゃうし」


 魔法を使おうと思うと兎化してしまう。

 魔法少女ではなく、魔法少兎女になってしまうのだ。


「可愛いじゃないか、なぁ瑞樹」


 瑞樹が勢いよく顔を何度も上下に動かしている。

 彼らに見た目の変化を主張しても意味がないらしい。


「だったら……こんな風に天気だって操れるようになっちゃったし」


 ドームが破壊された部分から真夏の空気が入ってきている。

 周囲の気温は徐々に夏のものに近づいていた。

 そんな暑い中にありながら、くるみの周囲に雪が降り始めた。


「ほら、こんなのおかしいでしょ?」

「いや別に」


 ウラシマは大したことがないと否定する。

 くるみはムキになって更に主張しようとするが、


「俺もこういうことはできるぞ」


 ウラシマが手をかざす。

 するとそのすぐ傍で空から雷が落ちる。


「さすがに世界中の天気を変えることはできないが、局所的な天候ぐらいならなんとかなるだろ」


 デタラメな力に唖然としてしまう。


「何をしているんだ?」


 ウラシマが訝しげに瑞樹に問う。

 瑞樹はなぜか地面に膝をつき、空に向かって一心不乱に祈祷している。

 詳しく聞いてみれば、祈りで大嵐を起こしてみせるつもりらしい。


「2人だけ良い感じの技があって悔しいなんて思ってないから!」


(なにそれ)


 くるみは呆れて笑った。

 もしかしたら2人の前では特別ではない、普通の人間であれるのかもしれない。そう思った。


「ねぇウラシマさん。私って特別かな?」

「あぁ、特別だ」

「……えっ?」


 やはりウラシマにとっても特別になってしまうのだろうか。


(私は混ざりものだから)


 くるみが顔をうつむけると、頭にポンと何かが置かれた。

 それはウラシマの温かい手だ。

 彼はくるみのことを真っすぐに見つめて言った。


「すごく大事で特別な……普通の可愛い女の子だ」


 瑞樹が何かの神に祈りでも捧げるように謎の言葉を呟いていた。魔法の呪文でもない得体の知れない言葉だ。

 ウラシマもさすがに見ていられなくなったのか止めに入る。


くるみは彼の後ろ姿を見つめながら、


「そんなの……ズルいよ」


 胸の高鳴りを誤魔化すために、恨み節をこぼすのだった。

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