転生先は乙女ゲームのヒロインでした
神無月りく
王宮の舞踏会(前編)
王宮で開かれる舞踏会は、豪華絢爛の一言だった。
高名な楽団によって奏でられる優雅な楽曲。
洗練された紳士淑女の立ち振る舞いや歓談の声。
煌めくクリスタルのシャンデリア。
美しい皿に美しく盛り付けられた料理の数々。
繊細な宗教画が広がる吹き抜けの天井。
社交場は貴族の戦場であると同時に、年頃の子女にとってはお見合い会場でもある。しがない子爵家の令嬢である私、プリエラ・ホワイトリー十八歳も“お見合い”に駆り出された一人だ。
十四になった時に一度は社交界デビューしたものの、そのあとすぐ父が連帯保証人になっていた友人がトンズラして多額の借金を抱えるという事件が起こった。返済のために家族一同奔走し、私も身分を隠して領地の商家でメイドとして働いて家計を支え、四年弱こういった集まりには一切顔を出すことができなかった。
それもどうにか完済し終わり、本日再デビューと相成ったわけだが……私の心中は身を包む淡いピンク色のドレスとは裏腹に、どす黒く沈んでいた。
何故なら、推しキャラがとんでもないおデブ令嬢とラブラブしているからだ。
ここがかつてプレイしていた乙女ゲームの世界であることや、自分がそのヒロインに転生したことを、プロローグに当たる今日から逆算して半月前になってようやく思い出した私は、リアルに『ORZ』の形になった。
普通の人はヒロインに配役されたのは大当たりじゃないか、と思うだろう。しかし、ライトノベル愛読者からすれば、それは断じて否だ。
ヒロインが一番の貧乏クジである。
悪役令嬢なら、破滅フラグ回避のため奮闘した結果、愛されキャラになる。
モブなら何故かシナリオに巻き込まれた結果、愛されキャラになる。
ヒロインも相応の幸せを掴めるパターンもあるが、決して愛されキャラにはなれない。場合によっては他の転生者へ嫉妬を募らせて暴走し、“ザマァ”されて表舞台から退場してしまう。
まあ、別に愛されキャラになりたいわけじゃないし、ザマァされるようなこともするつもりもない。愛する推しはいるけど、彼が悪役令嬢でもモブでも他の女を選ぶというのであれば、喜んで応援する。二次元と三次元の恋は別物だ。
しかし……右を見てもカップル、左を見てもカップル、あそこにもカップル、ここにもカップル――お見合い会場のはずなのにカップルだらけなのだ。ごく一部ではあるが、男同士女同士のカップルもいる。
フリーっぽいのは独身を満喫している遊び人風の令息か、若くして未亡人になられた令嬢くらいなもので、あとは全部カップルにしか見えないペアである。
なぜこんな現象が起きているのかといえば、ホワイトリー家が社交界から遠ざかっている間に、突如として凄腕の恋愛指南者が現れ、恋に悩むあまねく男女の間を取り持ちカップル成立させたというのだ。
彼女の名はクラリッサ・マクレイン。
作中では悪役令嬢としてヒロインの前に立ちはだかり、恋路を邪魔するためいたずらを仕掛けるものの毎回自爆してしまう、愛すべきお馬鹿公爵令嬢――のはずなのだが、どうやら転生者だったらしい。
前世がそういうアドバイザー的な職だったのか、社交界の至るところで恋する二人のために大活躍してカップルを大量生産した彼女は、何を思ったか攻略対象たちとモブ令嬢たちの間を取り持ち婚約にまでこぎつけたそうだ。
社交場に出ていなくても、両親の知り合いを通じその程度の情報は受け取っている。
シナリオを根底から覆す行動に驚きや困惑はあったが、所詮転生ヒロインに攻略対象は宛がわれないものだと初っ端から悟っていた私は、さほど怒りも覚えなかった。愛する推しロックス・オージュにも婚約者ができたという話にも、多少のショックはあったが、素直に祝福するつもりだった……相手を直接見るまでは。
なにしろ体型がすごい。“ぽっちゃり”を通り越した“どすこい”ボディだ。
百キロ、いや百三十キロ以上あるだろうその横綱級の体に、豊満すぎるボディラインを見せつけるようなタイトなベアトップのドレスを着てハムのような腕を露出し、十センチはあるだろうピンヒールを履いている勇気は逆に賞賛に値するが……小柄で童顔でひ弱なショタ枠のロックスが、その巨体にプチッと潰されてしまわないか、不安しかない。
しかし、どすこい令嬢と一緒にいるロックスは、ゲームのスチルでも見たことないようなくらい甘く蕩けそうな顔をしていて、彼女のことを心底愛しているのだというのが嫌でも伝わってくる。
推しが自分より容姿が劣る女に盗られたこと自体やるせない気持ちではあるが、それ以上に推しの幸せを願いながらも「どうして自分ではなく彼女なのか」と真っ黒な感情に支配される己の心の醜さが嫌になる。
しかも、新たな恋を見つけようにも同年代の令息はほぼ完売状態だし、相応の幸せを掴めるかどうかも怪しい状態だ。お先真っ暗、とまでは言わないまでも、将来に暗雲が立ち込めている感が否めない。
娘が売れ残りだと気づいた父は、慌てて知り合いに掛け合ってフリーの令息を探すのに奔走し、私はリア充たちの中に入っていく勇気もなく壁の華となって、一刻も早く舞踏会が終わらないかとばかり考えていた。
そんな時、ふと漏れ聞こえた夫人たちの会話に意識が向いた。
「……そういえば、クラリッサ様って浮いた話を一つも聞かないわね」
「“恋のキューピッド”とやらが自分の使命っておっしゃってるそうだけど、ご自身も大切にしてほしいわ」
「娘がお世話になったし、恩返しを込めていいお相手を探してはいるんだけど、年頃のご令息はほとんど婚約者がいるみたいで。今度伝手を頼って隣国の上級貴族へ探りを入れてみるつもりよ」
「まあ。隣国は盲点でしたわ。いいご縁が見つかるといいですわね」
どうやら彼女は他人の縁結びにかまけて、自身は良縁に恵まれていないらしい。乙女ゲームでは『悪役令嬢=王太子の婚約者』という設定がテッパンだが、クラリッサは例外で婚約者がいるという話は聞いたことがない。
てっきり攻略対象の誰かといい仲だと思っていたが……彼女のお眼鏡に叶わなかったのか、彼女より魅力的な令嬢とすでに恋に落ちていたのか、せっかくライトノベルではヒロインポジションの悪役令嬢だというのに可哀想なことだ。
いや、今は彼女のことより私の婚活が問題である。
男やもめの後妻に入るか裕福な商家に嫁ぐか、あるいはメイドとしてどこかの屋敷に勤め独身を貫くか。
これからどうするべきか……と懊悩しながらため息をついていると、急にホールの中がざわつき出した。何気なしに顔を上げると、人垣の向こう側に軍式の白い礼装に身を包んだ長身の青年が見えた。
目深にかぶった制帽の影で目元ははっきりとしないが、細面ですっきりとした鼻梁と真一文字に引き結ばれた薄い唇から、かなりのイケメンだと想像する。
貴族でも家督を継がない次男三男が軍人になるのはよくある話だし、平和な世の中では彼らがコネで将校の位を持つことも珍しくない。
しかし、彼はそういう“名ばかり軍人”とは見た目だけでも一線を画する。肌は小麦色に日焼けしているし、服を着ていても鍛えているのが分かる体つきだし、何より動作の一つ一つがキビキビしていて隙がない。いかにも軍人という感じだ。
軍人萌えの属性はないし、スポーツマン系はタイプじゃないけど、なんだか彼の周りだけ凛とした空気が漂っているようで、不思議と目を引かれた。
「ご覧になって、カーライル様よ」
「いつの間に王都に戻って来たのかしら……ああ、嫌だわ」
「ご自身の罪ではないとはいえ、よくも陛下主催の舞踏会に顔を出せたものね」
さっきクラリッサの話題で盛り上がっていた夫人たちが、扇で渋面を隠しながら聞えよがしの悪口をコソコソとささやき合う。
カーライル、という名前に心当たりがあり記憶を辿ると、一人の人物に思い当たる。
カーライル・ジード。
またの名を、カーライル・クロウ・フォーレン。
この国の第一王子でありながら、側妃の子であることを理由に正妃の子である第二王子フロリアン殿下に王太子の座を譲ることになった人物だ。
その出生だけでも不遇だが、彼の母はどうしても自分の息子を王太子にしたかったようで、フロリアン殿下を亡き者にすべく刺客を雇い、幾度も暗殺未遂を繰り返した。まだカーライル様が成人する前、十三の頃の話だと言われている。
この事件は公にこそなっていないが、人の口には戸が立てられないのは当然の理で、それとなく誰かの口から洩れ、平民にまでは広がっていないまでも、貴族であれば大抵は耳にしたことのある有名な話だ。末端で社交界デビューもまだだった私も、概要だけは聞いたことがある。
側妃はその咎を問われて幽閉され、心身共に病んだのち服毒自殺。
残されたカーライル様は廃嫡に処され、完全に王位継承権を失った。
彼はフォーレン家から追放されて王族の傍流へ養子に入り、成長したのちに軍人となり、遠い辺境の地で国境警備隊の配属になった――という設定を、フロリアンルートで聞いた。
殿下は腹違いの兄に罪悪感を抱きながらも、自力で人生を切り開く彼の強さにコンプレックスを抱き、彼の方が王にふさわしいのではないかと悩み、ヒロインにその心情を吐露するのだ。
そのあとはヒロインがガツンと檄を飛ばして問題は解決するのだが、あれだけ細かに人物像が語られているにもかかわらず、カーライル様がゲームのどこにも登場しないのは不思議だなとは思っていた。
事情が事情なだけに社交場に出てきづらいのは分かるし、私だったら絶対に出てこないけど、隠しキャラとしては最強の設定だ。実物もかなりイケメンっぽいし、どうしてカーライルルートはなかったのか。
……まあ、もしカーライルルートがあって攻略済みだったとしても、現実の彼を“攻略”できるなんて思ってないけどね。そもそも、傍流とはいえ王族の彼としがない子爵令嬢の私では、きっと人生は交わることはないだろう。
そう思いながら視線を逸らそうとした時、不意に立ち止まってあたりを見回すカーライル様と目が合った……ような気がして心臓が大きく跳ねた。
いやいや、落ち着け自分。ただの偶然だ。自意識過剰だ。これだから転生ヒロインは脳内お花畑女って呼ばれるんだよ。などと自分を諫めていると、カーライル様の前に一際目を引くご令嬢が現れた。
白磁の肌に映える、濡羽色のロングストレートにアメシストの瞳。顔立ちもスタイルもまるで作り物のように完璧で、女神も嫉妬するような人形じみた美少女。
悪役令嬢ことクラリッサ・マクレインだ。
光沢のある水色のドレスの裾を広げ、カーライル様へ優雅なカーテシーで挨拶をする彼女は、たおやかな笑みを浮かべつつも頬を薄っすらと染めている。まさに恋する乙女だ。カーライル様も少し肩の力が抜けたように見え、それなりに親しい関係なのは推察できた。
……ふーん、そういうことか。
誰ともフラグを立てなかったのは、カーライル狙いだったからってことね。
ゲームでは出てこなかったが、王家に近しい公爵家ともなれば廃嫡前の彼と接点があったのだろう。転生者であれば、謎に包まれたおいしい設定のキャラへ興味を惹かれて接触し、そのまま恋に落ちるということもありえる。ライトノベルでは、モブに恋する悪役令嬢も珍しくない。
よし、ひとまずの行動指針が定まった。
ザマァ回避のため、カーライル様には絶対近づかない。愛され系悪役令嬢がいればヒロインなど見向きもされないだろうが、誤解が誤解を生んで泥沼になる、なんてオチだけは絶対に嫌だ。
そうと決まれば、父を探して一旦この舞踏会から撤退しよう。そうしよう。
善は急げ、とその場を立ち去ろうと踵を返したが、何か柔らかいものにぶつかってよろけ、履き慣れないヒールのせいでバランスを崩して床に崩れた。
「痛……」
「いったぁい! もう、どこ見て歩いてんのよ、このブス!」
いきなり罵倒されたことにムッとしながら顔を上げると、そこにはロックスの婚約者だという令嬢の巨体が山のようにそびえ立っていた。
どうやら彼女に衝突して転倒したようだ。
モブにブスと言われるヒロイン……お約束といえばお約束だし、この程度の顔面偏差値は貴族令嬢なら平均レベルなのは分かってるけど、これだけは言わせてくれ。
お前にだけは言われたくねぇよ、このデブ!
つーか、お前の分厚い肉壁で弾かれた私の方が被害者だろうが!
……と、心の中で思い切り罵倒し、口では「申し訳ありませんでした」としおらしく謝る。こういう高圧的な人間には下手に出るのが一番角が立たない。
普通であればこれで済むはずだった。だが、
「あー! アタシのドレスが! アタシのドレスがぁぁ!」
タイトなドレスの太ももの半ばからつま先部分まで、まるでチャイナドレスのスリットのようにザックリと破れており、ご立派なおみ足がにょっきりとはみ出ていた。
「アンタのせいよ! アンタのせいで、ロックスからもらった大事なドレスが……!」
「ローザ、落ち着いて。ドレスならまた買ってあげるから」
ローザなる令嬢の巨体に隠れて見えなかったが、傍にいたらしいロックスがすかさず上着を脱いで腰に巻き付け……るには袖の長さが足りなかったので、それを彼女に渡して露出部分を隠させる。
スマートな気遣いを見せたロックスは、婚約者としばし甘い雰囲気で見つめ合ったのち、可愛らしい顔を怒りに染めて私を睨みつけた。
「よくもボクのローザに恥をかかせてくれたな。彼女を侮辱することはオージュ侯爵家を侮辱することと同じことだ。どこの誰だ、名を名乗れ」
声変わりしてもなお透き通るような中性的な声色はロックスそのものだが、彼はこんな風に傲慢で威圧的な言葉を紡ぐことはなかった。いつも明るく無邪気で、ちょっと腹黒いところはあるけれど、家名を笠に着るような真似はしなかった。
恋は人を変えるのか、あるいはゲームと現実では性格が違うのか……頭の片隅で嘆きながら、伏し目がちに答えた。
「……プリエラ・ホワイトリーと申します」
「ホワイトリー? 聞いたことのない家だな。爵位を金で買った成金貴族か? まあ、なんにせよ、オージュ家に逆らったからには爵位剝奪されて平民に成り下がるのは確定だし、どうでもいいことだな」
爵位剥奪? ただぶつかっただけで?
前方不注意だったのは反省すべきかもしれないけど、ドレスが破れたのは私の責任じゃない。あれくらいの衝撃で破れるということは、元々サイズが合ってなかった可能性が高いし、失礼ながらあの体型の婚約者にあんなタイトなドレスを送ること自体がおかしい。こうなることが容易く予想できるはずだ。
推しへの萌えも愛も一瞬で消し飛び、代わりにフツフツと湧き上がってくるのは、理不尽な扱いに対する憤り。
今すぐぶん殴ってやりたい。でも、さすがに手を上げれば言い逃れできない罪を背負ってしまう。自分だけならいいが、家族に迷惑をかけるわけにはいかない。
とはいえ、ここで黙って引き下がれば一生後悔する。それは個人的感情でもあるが、少なからず今世で培った貴族の矜持でもある。
すっくと立ち上がり、できるだけ冷静に、と自分に言い聞かせながら反論する。
「お言葉ですが、爵位と家名を振りかざして不当な罰を与えるなど、貴族として恥ずべき行為ではありませんか? 貴族は民の手本であるべき存在です。そのために私たちは幼い頃から礼儀作法を学び、高等な教育を受けているのです。なのに、あなたのその振る舞いは、力任せに敵を征服する蛮族と変わりないではありませんか。民は貴族が考えるほど蒙昧ではありません。この事実を広く公にすれば、逆にオージュ家の権威は失墜し、爵位剥奪の上平民へ降格するでしょうね」
最後に淑女らしい微笑みを浮かべて言い切ってやると、ロックスは憤怒で真っ赤になりながら拳を握り締め、私に殴りかかろうとした。
殴りたければ殴ればいい。こういうのは手を出した方が負けだ。
あーあ、これで令嬢生活ともおさらばか。まあ、件の借金地獄のせいで倹しい暮らしには慣れてるし、元が小市民だから平民に落ちたところで何も変わらない――なんて取り留めのないことを考え、迫りくるロックスの拳の衝撃に備えてぎゅっと目をつぶった時。
「え、誰……うわぁっ!」
裏返ったロックスの声と、ドスンと何かが叩きつけられる音が同時に聞こえた。
何事かと思って目を開けると、いつの間にか割り込んでいた誰かの白い背中が視界に飛び込んできて驚き、床に這いつくばるロックスを見つけてさらに驚いた。
私を助けてくれたらしい誰かは、よく通る低い声を発する。
「正論を突かれて激高した挙句、婦女子に手を上げるのがオージュ家の流儀か。この令嬢の言う通り、さながら蛮族だな。辺境にいる草原の民や山の民の方が、よほど人としての礼儀を心得ている」
「ぐ、軍人風情が生意気な口を叩くな! 士官服を着ているが、どうせ出来損ないの次男三男なんだろう! 次期オージュ家当主の僕を愚弄するなど――」
「……俺の名はカーライル・ジード。王族の末席を汚す身ではあるが、貴殿の言葉を借りるなら『侯爵風情が、口を慎め』と言える立場ではある」
え……マジでカーライル様?
落ち着いて恩人を観察すると、軍式の礼装らしい服と制帽を身に着けている。今日は他に同じ服を見た覚えがない。まさか、と思いながら視線を上げて顔を確認すると、確かにさきほど遠目に見たカーライル様だと気づいた。
お、おいおいおい! なんでカーライル様がここにいるんですか!?
乙女ゲームだと、確実にフラグ立つシチュエーションなんですけど!?
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