第3話『From Dusk Till Dawn 後編』

1.


そこは、再開発が中止され、人知れず忘れられた地下鉄駅の跡地だった。


「ここで、間違いないようだ」


クレプスリーは、何かの気配に気付いたのか辺りを見回す。


ぼくもクレプスリーに従って周囲を警戒しながら歩いた。目が暗闇に慣れてきたとはいえ、ここも下水道と同じで懐中電灯の光だけ頼りだった。


と、ギィ、という音が鳴る。錆び付いた音。もう一度、ギィ、と聞こえた。


車輪の音だ。


「シャロンッ」


そうぼくは叫んでしまう。


懐中電灯を音が聞こえた方に向けると、車椅子にはシャロンが座っていた。死体安置所モルグで奪われていたシャロンの頭を繋がれた何かが。


そして、暗がりの中からスナッチャーが姿を現す。


「これはこれは、珍しいお客さんだね」車椅子を押してきた吸血鬼ヴァンパイアが言った。「変人どもフリークスの皆さん」


スナッチャーは目が細いせいか、不気味に笑みを浮かべているようにも見える。クレプスリーと同じように肌は病的なほど真っ白で、その服は白衣なのに真っ赤に染まっていた。たぶん、シャロンも含めた犠牲者たちの返り血だったのだろう。


「シャロンッ」


もう一度、ぼくは叫んで走り出す。


死んだ人間がその姿を現したとき、ぼくはどうすれば良かったのだろうか。安置所で見たあの遺体が何かの間違いであってほしかった。


けれど、次の瞬間にはスナッチャーに阻まれている。


「僕の大事なルシールに手を出すなよ」


苦しい、と思ったときにはもう遅かった。スナッチャーに首を絞められている。体格はぼくとそれほど変わらないのに、力の差は明らかだった。


片手で軽々と持ち上げられ、ぼくは逃れようと両手で掴んでもがく。


「また、僕から奪うのか」


スナッチャーが敵意を剥き出しに鋭利な牙を見せつけ、小さく呟く。ひどくドスの効いた声。


どっちが奪ったんだ、そう言いたかったけれど、実際のぼくは酸素を求めて苦しく喘ぐだけ。


と、スナッチャーの首筋にキラリと何かが光る。


クレプスリーが仕込み杖の刃を当てたのだ。


チッ、と舌打ちをしてスナッチャーが暗闇の中に消える。クレプスリーもそれに続いた。


ぼくとシャロンだけが残された。時折、暗がりの中で火花が散るが、それはクレプスリーたちが死闘を繰り広げているからだろう。なぜ、老人であるクレプスリーがあんな怪物と戦えるのか、このときのぼくは良く知らない。


ぼくはよろよろと立ち上がり、呼吸を整えて、さっきの衝撃で床に落とした懐中電灯を拾う。


そうして、人影を再び照らす。


それはどうしようもなくシャロンだった。


美しかった妹の頭の下から、他の犠牲者たちの死体から取ったのだろう、女性の様々な身体の部品パーツが継ぎ接ぎにされている。


脚に腰に腕に指。ルシールと呼んだ身体のいたるところに不恰好な継ぎ目があった。まるでフランケンシュタイン博士が造り上げた、あの怪物ザ・クリーチャのように。


そのあまりに異様でグロテスクな光景に、ぼくはただ嘔吐えずくことしかできない。


「グルルヴァアァ……」


シャロンはダレンと同じくグールとなっているらしく、頬は痩せこけ、白眼を剥き、虚しく人肉を求め呻いている。


幸い、車椅子に拘束されていたので襲われることはなかった。痛ましい全裸姿の、妹ではなくなった何かが力なく左右に揺れるが、その光景が余計におぞましい。


なぜ、と声にならない声をぼくは漏らした。


なぜ、シャロンがこんなことにならなくちゃいけなかったんだ。


「死んだルシールを生き返らせるためだよ」


闇の中からスナッチャーがそう言った。


その青白い顔が見えて、ぼくはクレプスリーが負けたのだと悟る。杖をついて歩くような老人がこの化け物には勝てない、と。


ぼくは唇を噛みしめながら、


「……生き返るはずがない」


「生き返るさ。皆が思うよりも簡単に、ね」


スナッチャーが車椅子の後ろから継ぎ接ぎの遺体を抱きしめ、その細い手が首筋から胸に、腰のくびれへと移動していく。


「ルシールと同じ髪、同じ眉毛、同じ睫毛、同じ瞳、同じ鼻、同じ唇、同じ輪郭、同じ鎖骨、同じ肩、同じ二の腕、同じ肘、同じ手、同じ親指、同じ人指し指、同じ中指、同じ小指、同じ乳房、同じ腰のくびれ、同じ尻、同じ太もも、同じふくらはぎ、同じ足」


そう言って、スナッチャーはただ呻くだけの死体に、シャロンの頬に、そっとキスをした。


「ぜーんぶ、ルシールと同じなら、それはルシールと同じだってことだろ」



違う、とはすぐに言えなかった。


もしも、シャロンと全く同じ姿の女性がいたとして、その女性が性格まで全く同じだとしたら、ぼくはシャロンとの違いに気づけるだろうか。


そこで、ぼくはかぶりを振る。そんなこと考えても無駄なのだ。


シャロンはもうこの世にいないのだから。


妹を殺した相手が目の前にいる。ぼくは拳を強く握った。


「魂まで同じになるわけが、ない」


「じゃあ、その魂さえ、全く同じものを造れるとしたら」


シャロンを愛でるように髪を撫でながら、スナッチャーは不敵に笑った。


と、いきなり、その頭部が宙を舞う。


「はあ、この歳になると流石に骨が折れる。文字通り」


クレプスリーの声だった。


一仕事終えたクレプスリーは首をぼきぼきと鳴らし、左右の肩を回した。スーツにはどちらかのものかかわからない血がついていた。


仕込み杖の銀の刃でスナッチャーの首をはねたのだ。


こうして、シャロンとダレンを二人とも失った人生最悪の日が幕を閉じようとしている。


あの暗がりの中で、クレプスリーとスナッチャーがどのような死闘を繰り広げていたのかわからない。とはいえ、たいしたダメージを受けていないように見えた。


怪物よりも怪物的。


「きみが奴から気を反らしてくれて助かった。若いヴァンパイアは速くていかん」


苦笑したクレプスリーは血まみれの仕込み杖を差し出した。手を震わせて、ぼくは受けとる。


遺されたぼくがすべきことは、たった一つ。


「頭を潰せば、グールの機能は停止する」


クレプスリーが言った言葉にぼくは無言で頷いた。


一度死んだ妹をもう一度殺すこと。


それが、ぼくがすべきことだった。


先ほど枯らしたはずの涙が、また、溢れてきている。泣いてばかりだ。視界が霞んでいく。


ごめんよ、お前を守ってやれなくて。


そして、ぼくはシャロンの額を仕込み杖で貫いた。


ぼくは今もシャロンの最後の顔を思い出せない。霞んだ視界で、拘束されたシャロンの呻き声が急に消えたことだけを覚えている。スナッチャーの言葉が脳裏にこべりついて離れなかった。


ーー魂さえ、同じもの造れるとしたら。


「あなたは一体、何者なんだ」


クレプスリーは言う。


「わたしは、裏切り者の変人フリークを狩る怪物の集団フリークスだ」


「そう、わたしもまた吸血鬼ヴァンパイアだ」


先にのぼりきっていたクレプスリーが、梯子を登るぼくに対して手を差し出しながら告白した。まるでそれ自体が罪であるような面持ちで。


「奴と同じわたしが憎いか」


ぼくは手を掴み、なんとか下水道から抜け出す。


路地裏から見えた空は、遠くから白んできている。夜明けだ。世間を騒がした連続殺人事件は終わった。人知れずに。ひっそりと。


ぼくにとっては最悪の形で。


「……わからないよ」


そう言うしかなかった。当たり前のことだけれど、同じヴァンパイアだからといって、スナッチャーとクレプスリーが同じだとは限らない。


ぼくたちにだって様々な性格をした人間がいるのだ。少なくとも、クレプスリーはぼくを助けてくれたし、スナッチャーから多くの人々を守ろうとしてくれた。ぼくが許せないのはスナッチャーだけ。


「わからないんだ。だけど、クレプスリーとスナッチャーは違うと思う」


あの後、クレプスリーはシャロンを弔わせてくれた。ダレンと同様、マッチに火を点け、燃え尽きるまで片時も目を離さなかった。


スナッチャーは未だにあの地下鉄駅で首が転がったままだ。誰にも見つけてもらえずに腐り、朽ちていくのだろう。新たな犠牲者が出なくなれば、世間はスナッチャーのことをすぐに忘れ、また別のショッキングな事件や事故にとって代わられる。


結局、スナッチャーの本当の名前を知る者はいない。そう思えばダレンとシャロンは、ぼくが誰かに語りさえすれば、二人が生きていたことを伝えることができるのだ。


これは、シャロンとダレンと、スナッチャーの犠牲者となった者たちの物語。


今となってもシャロンが家を飛び出した理由はわからないし、ダレンを巻き込んでいなければまだ生きていたかもしれない。


だから、遺されたぼくは二人の記憶と共に生きていく。


フッ、とクレプスリーは笑った。


「変わった人間もいるものだ」


「ダレンにはシスコンの変人フリークって言われるぐらいだからね」


泣いてぐしゃぐしゃになったぼ顔のぼくは、無理やり作った笑顔で言ったと思う。


「でも、どうして同じ仲間を自分たちの手で」


そう、言いかけると、


「なぜだろうな。たぶん、本当は人間が怖いからだよ」


クレプスリーは徐々に明るくなっていく夜空を見ながら、


「同じ人間同士でさえ、簡単に殺し合えるというのに、そもそも人間ではないわたしの存在が知られれば」


その先にあるのは一方的な虐殺だ。人間は、信仰する宗教や所属する集団や、人種、性別、考えが少し異なるだけいくらでも冷酷に残虐になれる。もしも、「ぼくたち」のような存在が明るみになって、人々の憎しみを買えばどれほどの仲間が犠牲になるのだろう。


「少し感傷的になりすぎた。若い同胞を手にかけたせいかも知れん」


そして、クレプスリーはサングラスをかけた。


「忘れてくれ、何もかも。わたしたちは誰にも知られてならない存在だ」


と、『メン・イン・ブラック』のアレが光る。


今度は白目を剥く暇もなかった。意識を失う間、ぼくはクレプスリーが夜明けの街に消えていくのをただ見ていることしかできなかった。


ぼくが『こちら側』の存在になったのはまた別のお話だ。

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