1回戦 Sランク冒険者ゲーム56 夏目理乃視点3
「何だその言い方は! お客様は神様だろ!?」
足を引っかけた男子が、理乃に向かって凄む。
ふうん。その言い回し、異世界にもあるのね。この世界にある言葉なのか、それともピラクリウム星の言葉なのかは分かんないけど。
理乃は昔から、飲食店の従業員に偉そうにするタイプの人間が嫌いだった。
定食屋の娘を舐めないでよ。クレーマーの相手をするのはこれが初めてってわけじゃない。あんた達なんか、全然怖くないんだから。
本当は怖かったが、理乃は自分自身にそう言い聞かせた。恐怖を怒りで上書きし、言葉を紡ぐ。
「私は、お客様が神様だなんて思っていません。客は店に対価であるお金を払い、料理やサービスと交換してもらっているだけです。一方、従業員は店から対価であるお給料をもらい、客に料理やサービスを提供しています。つまりは等価交換なので、お客様と従業員は対等の立場です。なので、まずはあなたが私に、わざと足を引っかけたことを謝ってください。そうしたら、私も角ウサギの唐揚げがあなたのお仲間の服に当たったことを謝ってあげます」
「俺がお前に足を引っかけたって証拠はあるのかよ!」
「ありませんよ、そんなもの。でも、私はあなたに足を引っかけられたことを知っています」
「ぐちゃぐちゃうるせえなあ! 獣人の女のくせに生意気なんだよ!」
ああ、そういうことね。要するに、こいつらは男尊女卑で、おまけに獣人差別主義者なんだ。
鈴本蓮に聞いた話の受け売りだが、この世界には亜人差別というものがあるらしい。ヒューマンと比べて、獣人やドワーフやエルフなどは圧倒的に人数が少ない。
数が少ないというだけで、マイノリティだというだけで差別したがる奴らは、どこの世界にでもいるのだ。
髪質や髪の色や目の色や肌の色、身長や体重、外見的特徴、声、出身地、身分、家庭環境、本人の性別や好きな性別、年齢、病気や障がいの有無など、本人にはどうしようもないことで差別したがる奴らは、本当にどこの世界にでもいる。
「もし私が獣人の女だったとしたら、それが何なの?」
「俺は客で、ヒューマンで、男なんだぞ!」
「だから、それが何なの?」
「俺はお前より偉いんだから、謝れっつってんだよ!」
「私は客が従業員より偉いなんて思ってないし、ヒューマンが獣人より偉いなんて思ってないし、男性が女性より偉いなんて思ってない。理不尽な謝罪要求に応じる理由なんて、何もないわ」
「てめえ、いい加減にしろよ! 獣人の女のウエイトレスの分際で!」
足を引っかけた男子が立ち上がり、今度は理乃の胸ぐらを掴んだ。
「胸を触らないでよ、変態!」
「誰が変態だ!」
「あんたよ、あんた! さっきだって、私の胸を仲間に触らせるために足を引っかけたんでしょ? ドリンクを運び終わってから足を引っかけたのは、仲間にドリンクがかからないようにするためでしょ? 今だって、こうやって胸を触ってて、これが変態じゃなくて何なのよ!」
理乃は自分の胸ぐらを掴まれた手を叩き、爪で引っ掻きながらそう言った。
すると、他の男子が数人立ち上がり、理乃を取り囲んだ。全員、理乃よりも30センチは身長が高く、威圧感があった。
ああ……、これ、ヤバいな。殺されるかも。
でも――予定していた作戦とは違うけれど、これはこれで悪くないかもしれない。
もしも私が殺されれば、こいつらはギルドを除名処分になるだろう。デスゲームとしては、除名が何点になるのかはザイリックに確認していなかったけれど、おそらく0点だろう。1回戦を勝ち抜けば生き返ることができるのだから、自分の命と引き換えにこいつらを道連れにするのも悪くない。
夜桜ちゃん達が1回戦を勝ち抜いてくれるって信じてるから、殺されるのも怖くない。
そう考えてから、理乃は自分のその思考に驚いた。
私は、人間よりもお金が好きで――正確には、他人が嫌いで、他人を信用していなかったはずだったのに。
いつの間にか、夜桜ちゃんや有希ちゃんや国吉さんや安来さんや立花さんや鈴本くんや烏丸くんや千野っちや青山くんや佐古くんや米崎くんのことは、信じられるようになっていた……そう、米崎くんのことも、今は信じている。
――気が付くと、理乃を囲んだピラクリウム星人の男子達の周囲をさらに、他の冒険者達が取り囲んでいた。獣人やドワーフや女性、その仲間のヒューマンの男性冒険者達だ。その中には千野圭吾も混じっていた。冒険者達は無言だが怖い顔をしていた。どこの世界にだって差別主義者はいるけど、まともな人だっている、と理乃は思った。
ピラクリウム星人の男子達は囲まれたことに気付き、動きを止めた。足を引っかけた男子も理乃から手を離した。
リーダーらしき七三分けの男子は、椅子に座ったまま不愉快そうな表情で理乃を睨んでいる。
鈴本蓮が受付業務を放り出して駆けつけてきた。
――鈴本くんは黙ってそのまま潜入を続けてて!
理乃がそう考えながら鈴本をキッと睨むと、鈴本は一瞬驚いたような表情になったが、小さく頷いた。
しかし、まずいことになってしまった。こんなに
どうにかして穏便に収拾をつけないと……。
「マスター。部下を守るのは上司の仕事ですよね? どうして何もせずに傍観してるんですか」
理乃は厨房から顔を覗かせた酒場のマスターに向かってそう訊いた。
「えっ? ええと、それは……」
マスターは目を伏せ、口ごもった。
「そんなんだから、みんなすぐにこの仕事を辞めちゃって、慢性的な人手不足になってるんですよ。私も、たった今この瞬間から退職します。マスター、いいですね?」
「え? あ、ああ、うん……」
とりあえず退職してみた。これで、「あの生意気な獣人のウエイトレスに会いたくないから」という理由でピラクリウム星人達がこのギルドに来なくなることはないだろう。
「――これで私は、このギルドとは無関係の一般人です。それと、私、本当は獣人じゃないんです」
理乃は集まった人達に向かってそう言いながら猫耳を外した。集まっていた人達全員が、唖然とした表情をしていた。千野圭吾や鈴本蓮も含めて。
こうするしかないのだ。このままだと、獣人に迷惑がかかってしまうかもしれない。だから、本当はヒューマンだということを明かさなければならなかったのだ。
しかし、このままだと芋蔓式に理乃がデスゲーム参加者であることがピラクリウム星人達にバレてしまうかもしれないので、理乃は急いでこう付け加えた。
「私に暴力を振るってくる、別れた旦那から逃げるために、獣人に変装していたのです。獣人の皆さん、ごめんなさい」
これで敵チームが想定する地球人のイメージからは外れるはずだ。
「この騒ぎのせいで、別れた旦那に見つかってしまうかもしれないので、私は転移門で別の街に移動します。それじゃあ、これで」
理乃はさらにそう宣言した。こうすることで、ピラクリウム星人達は「別の街に移動したら、あの生意気な女と再会してしまうかもしれない」と考えるだろうから、この街に残ってくれるかもしれない。
理乃は鈴本蓮や千野圭吾と視線を合わせないようにして、人混みを掻き分け、更衣室に移動し、制服から私服に着替えた。制服は明日、ピラクリウム星人達がいない時間帯を見計らって返却しに行き、ついでに給料も受け取ってこよう。
うん。もちろん、ちゃんと働いた分の給料はもらうよ。たった数時間で退職することになってしまったけど、絶対にタダ働きはしない。それが私の生き方だ。
従業員用の出入り口から外に出ると、
結局、床に散らばった角ウサギの唐揚げを拾わずに出てきちゃったけど、まあいいか。残った人達で何とかするでしょ。
夜道は危険なので、できるだけ人の多い大通りを歩き、烏丸九郎が借りた家に移動した。宿代を節約するため、借家の中にテントを張って寝袋で寝る予定であることは全員に伝えてあった。家の庭のスペースには、米崎陽人の飼っている羊達が身を寄せ合っていた。
灯りの点いた家の中に入ると、冒険から戻った夜桜、有希、安来鮎見、立花光瑠、佐古良哉、それと米崎陽人がいた。家具はないので、みんな木箱の上に座ったり、床の上にクッションを敷いて座ったりしていた。
「あれっ? 理乃、もう戻ってきたの?」
有希は不思議そうな表情でそう訊いた。
理乃が事情を説明すると、有希は無言で理乃を抱き締めてくれた。柔らかくて、温かくて、いい匂いがした。まだ保育園に通っていた頃、母親に抱き締められたときの感触を久しぶりに思い出してしまった。
「理乃ちゃん、頑張ったね」
キツネのコンちゃんも――要するに夜桜もそう言ってくれた。それだけで救われたような気がした。
「明日からは、ウチが理乃の代わりにウエイトレスをやって情報収集をするよ」
有希がそう立候補してくれたが、理乃は止めた。
「やめた方がいいよ。有希ちゃんがウエイトレスになったら、もっとひどいセクハラをされるかもしれないし。それより、千野っちみたいにお客さんとして潜入して聞き耳を立てた方がいいと思う。あと、あいつらは獣人差別主義者だから、ウサギの獣人の格好をするのもやめた方がいいと思う」
「分かった。じゃあ、そうするよ」
有希は素直に言うことをきいてくれた。
それから青山直也以外の全員が家に帰ってくるのを待って(初めてこの家に来るメンバーの方が多いから、「帰る」という表現には違和感があるが)、理乃は改めて酒場で起こった出来事を説明した。ちなみに、ピラクリウム星人達が滞在している宿の食堂で働いている青山直也は、住み込みなので帰ってこない。
「――というわけで、私のせいで、作戦が失敗するかもしれないわ。ごめんなさい」
理乃はそう言って頭を下げた。
「夏目さんは何も悪くないだろう。悪いのは、セクハラをしてきたあいつらだ」
千野圭吾は即座にそう言ってくれた。
「もし米崎作戦が失敗したら、また別の作戦を考えて実行すればいいだけだ」
烏丸九郎もそう言ったが、そんなに簡単ではないということは、みんな分かっているはずだ。
しかし、鈴本蓮は眼鏡のズレを直しながらこう説明した。
「まあ、大丈夫だと思うよ。職員の先輩達に聞いたら、あいつらは今までに何回もトラブルを起こしていて、先輩冒険者やギルドの職員達がその度に注意していたんだけど、
わざとウエイトレスを転ばせてセクハラするのも、これで3回目だったらしい。今まではセクハラされたウエイトレスの人達が泣き寝入りしてたんだけど、今回夏目さんが騒ぎを大きくしたおかげで過去のセクハラが明るみに出て、ギルドから正式に厳重注意できたんだ。
と言っても処分はなくて、執行猶予がついたようなものなんだけど、今後同じことをやらかしたらギルドから除名することになった。そして、そのことは他の支部のギルドにも伝えてある――ということをあいつらも伝えたから、この街から出て行く理由もなくなったはずだ」
「だといいけど……」
理乃がそう呟くと、有希が理乃の肩に手を置いた。
「誰も理乃を責めてないんだから、もう暗い顔をするのはやめなよ」
有希の言葉に、理乃は頷いた。
「でも……こんなことを言うのもあれだけど、敵チームが悪い人達で、良かったよね」
安来鮎見は夜食を口に運んでいた手を止めて、小さな声でそう言った。
「そうだよね。相手が善人より悪人の方が、罪悪感が少なくて済むもんね」
夜桜はキツネのコンちゃんを見ながら、独り言のような口調でそう言った。
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