第29話 ヴァンパイアが暴れる夜に
手を伸ばしても遮った男は、昔と変わらない陰湿な顔をした男だ。
この男の顔は、私がドラクレシュティ家から離れて以来、見ていなかった。黒ずくめの服、黒く長い髪、鬱蒼とした雰囲気を持つこの男は、ドラクレシュティ家に仕える純血の吸血鬼。
ビリウス・デロレッド公。
私達吸血鬼一族の法の番人と呼ばれる一族の当主。
その訪れは、まさに恐れていた事態の幕開けというもの。まさか、こんなに早く来るなんて。
「どうしてここに?日本に入れないはず」
「ブルワ公が入れるのに、何故、我輩が入れないとお思いですか?雑種ばかりがのさばる国に逃げ込めた貴方も、運が良かったですな。他の場所であったならば、すぐに捕まえておりましたのに」
あの時、ヴィンセントとの婚約破棄してすぐにドラクレシュティ家の庇護から外れた日。あの時まではまだ手放し状態だった私の存在だったが、時を経るごとに、やっぱり焦り始めたのだろう。
「相変わらず男を寄せ付けずに引き込もっていると思えば、いつの間にか人間を愛人にしていると。婿として、かつての婚約者であるブルワ公を向かわせたが、拒否したそうではないか?」
「あんな男を寄越すなんて!退け!!いきなり来て私の下僕を吹き飛ばすなんて万死に値する!!」
「…全く。貴方の血統はけして絶やしてはならない血なのですぞ。かつての王族の血統とはいえ、貴方の権威は三家より下であることを忘れてはいませんな?」
ビリウスの暗い目が私を見下ろし、この身にかかる重力をそのままに、服を引っ張られた。
「我輩と共に帰りましょう。もうこれ以上、わがままを言われる歳ではないのですから、聞き分けてください」
「触れるな!!お前達とは縁を切ったはずだ!!あの時、もう関わりはしないと!」
「縁は切れても我々吸血鬼の先の為、貴方にはいずれ子を遺して貰わなければ。穢れのない純血の吸血鬼を。その後の事は、どうぞ好きにすればよろしい。…人間ごときとまぐわう事も」
ぞっと身の毛がよだつ。
そうやって最後は最終手段と言うわけか。結婚なんか、させるまでもないということ。
「そこまでして…」
「この際我輩がお相手致しましょうか?」
「嫌だ!!絶対嫌っ!!」
「もうわがままは聞いていられません。さあ、立ってください」
「っ!嫌だと言ってるでしょ!!」
抵抗し、ビリウスの顔面を目掛けて何度も蹴ったが、涼しい顔をして私を引きずって行こうとする。その時、不穏な風が辺りを過った。
「いけねぇな?純血吸血鬼が、うちのシマに、許可なく入り込んでくるなんてよぉ」
「…梔子の者か。半純血でもない雑種風情が声をかけおって」
ビリウスが振り向き、手が私から離れた。
梔子の"手"と称されていた双子が現れてビリウスに蹴りを入れ、更に後ろから男が殴りかかって襲撃した。
梔子の屋敷が近くて助かった。私以外の純血の吸血鬼が縄張りにいることを、奴が許すわけもないだろう。
「お嬢、大丈夫か?」
ビリウスは彼ら三人の攻撃を表情変えることもなくガードしていた。彼から離れた、田舎者の悪ガキのような人相の悪い顔をした男は、私の傍に足を着いてそう問い掛けてきた。
「
「よせやい人間時代の話は。あんたはもう年かい?男一人に手こずってたようにも見えたが?おい、純血野郎。歓迎もしてねぇのに縄張りに入ってきやがって、一体どういうつもりなのか説明しろや!!」
「姫を引き渡す約束だろう。手続きだなんだのと、対応に時間が掛かりすぎている。こちらから直接伺ったまでだ」
「約束はしてねぇ。お嬢が外出てから好きにやれって、弁から聞かなかったのか。こんな簡単な日本語理解してっかよ??」
挑発的な義景の態度に、ビリウスの目が鋭くなる。感情を表に出さないが、かなり怒っているだろうな。プライドの高さは、一族共通だ。…気にしている場合じゃない。聖也がこの高さから…!!
「後は頼んだぞ!」
「言われなくてもな!!早く行け!」
「逃げても無駄ですぞ、姫」
ビリウスの呼び掛けも無視し、聖也が落下して行った崖の下に飛び込む。
車で登ってきたからかなり高い場所だと思ったが、思ったよりすぐ下に森林があった。何処かに引っかかってて欲しい。
でも、真下の木を突き抜けて着地しても、聖也の姿は何処にもなくて、匂いも、山の天候の変わり目で雨が降ったのか、地面が濡れている不快な臭いのせいでうまく効かない。でも、僅かにこの辺から臭いがしてる。
人間は、高いところから落ちれば着地の方法も分からずすぐ死ぬ生き物。
あいつが、あいつが、何処にもいない。死体すらも…どうして?
「聖也…聖也!!返事しろ!!黙ってないで声を出せ!!」
声が返ってこなくて、焦る。何処かの茂みに隠れていないか、必死で探した。
「私が呼んでるんだぞ!!無視する気!?無視するなら、別れるからな!二度と、お前なんかと付き合ってやらないからな!?いいのか!!他にも相手なんか、いくらでもいるんだからな!!」
聖也が嫌がることを言って、脅して、貶して、返ってくる返事をひたすら待った。
嫌だよ、別れないでよってすがりつく男の情けない姿を想像しても、聖也の声は聞こえなくて、胸の中から全身に伝わる焦りと絶望が、加速していく。
「………なんで…どうして…」
どうしていつも、私は、いつも、幸福に一番近いものから、逃げられてしまうの?誰もが離れて、消えていく。
また、全てが元通り。一人になって、生きて、分からなくなる。自分の存在意義も、なにもかも。
「っ…聖也!!わかった…わかったから………結婚してやる!!してやるからっ!!返事しろ!」
「はーびっくりした、死ぬかと思った」
っ!?
後ろからがさがさと草の根を掻き分けてくる気配と声に気づいて振り返ると、何事もなかったかのように、フラッと出てきた。
まるでちょっと行ってきたコンビニから帰ってきたみたいに。
「シェリル!シェリルもいきなり変な風に突き飛ばされて落ちたの!?大丈夫!?怪我ない!?」
「…………」
私を見るなり肩を掴んで私の心配をしてきた。
何故だ…?何故、この高さから落ちてきたのに、なんで怪我の一つもしてない??
「やー崖から落ちてるって気づいた時は死んだと思ったけど、下の木にうまく引っ掛かって助かった~森林が多いところで良かったね」
「んっ……んなわけ…」
んなわけあるか!!確かに崖の真下は森林だったけども!!無事でもどっか打ち身とかするだろ普通!!なんでちょっとした奇跡をみせるのだ!!
「ところでシェリル……僕を呼びながらなんか言ってたけど何?」
「な、何も!!バカッ!!バーカッ!!生きてるなら返事ぐらいしろ!!」
「え……あぁ、ごめん…。だって、木から降りるの大変だったし、暗いからどこ行けばいいかも分かんなくて、シェリルの声が聞こえたから安心しちゃったって言うか」
「ふんっ!お前なんか、このまま迷ってしまえば良かったのに!ムカつくっ!!」
「そんなこと言わないでよー」
…良かった。あれだけの至近距離で聞こえてなかったのも奇跡だ。ノーテンキ過ぎて頭打ってるみたいだけど、大きな怪我はないらしい。
しかし…崖の上でビリウスと梔子の吸血鬼達がやりあってる音がする。梔子の吸血鬼も負けたものではないが、ビリウスは…。
ドンッ!!!!
暗闇の世界の中で、崖の上から凄い音がして二人して上を見上げる。
「??なんか爆発してる。え、まさか、レンタカーじゃないよね??」
ビリウスの存在に気づく前に崖から突き落とされた聖也は、純血の吸血鬼が早々に私を連れ戻しに来たことを知らない。
この後行く宛も考えていなかった。私達が思っていたよりも早く、こういうことが起きてしまうなんて。
梔子は日本にいる限りは出来るだけ私を逃がそうとはしてくれるかもしれないが、あいつも吸血鬼だ、期待は出来ない。……。
「聖也」
聖也の手を掴む。純血の吸血鬼は雑種より強い。上からあいつが来る前に、聖也だけは…。
「上にいるのは、私を追ってきた吸血鬼だ」
「…え?」
聖也が汗ばんだ顔で振り向いた。
それ以上何も言わなかったが、私は聖也の手を引き、顔を近づけると、聖也は未だに出会った頃みたいに、顔を赤くして、見とれるように優しく私の顔を見つめ返してくる。
「この森を突っ切って降りた先に、沢がある。開けた場所だ。そこで待ってて」
「沢?でも、君は?」
「後で向かう。あいつと…話をつけてから」
「話って…」
「いいから行け!殺されるぞ!!」
聖也の背中を押して、この森をただひたすらまっすぐ行け、後から迎えに行くと言っても、聖也は信じなかった。当然かもしれない。だって、無傷では済まないことぐらい、聖也は知ってるから。
吸血鬼同士の諍いは、人間の喧嘩とは全く違うことも、私といて学んでいる。
「僕一人で逃げるとか無理!」
「お前がいたら!なんも出来ないから言ってるんだ!」
「君はどうなっちゃうんだよ!?あの吸血鬼に…もしもこのまま連れてかれたりして…」
「私がそんな弱く見える?バカにしないで」
「シェリルだって、僕の事バカにしないでよ!好きな女の子置いて逃げれる!?」
「そ、そんなこと!!言ってる場合か!全く!!カッコつけたって、何も出来ないくせに!!私より、弱いくせに!生意気な!!」
「だからこそ絶対!逃げないからね!!」
何で肝心なときに頑固になるのだこのアホ!!
お前がいたら、何も出来ないって言ってるのに!!逆に足を引っ張ってるのがわからないのか!!
「何をゴチャゴチャとやっているんですかな姫」
「っ!?」
いつの間に、上にいるはずの梔子の吸血鬼の手を抜けたか、まさか全員倒したのか、ビリウスが私達を見つけて、少し離れたところから目を光らせていた。
ビリウスの声と姿に、聖也も驚いたが、私の腕を、体を掴む手が汗ばんで強く握ってきた。
「…それが、姫の気に入っている人間ですか?」
「違う」
嘘で誤魔化してもダメかもしれないけど、嘘を言うと、聖也の口が動き出しそうだったのを手で塞いだ。
ビリウスは疑いの目でこっちを見ているが、どちらにしろ簡単には聞かないだろう。
「どのみちこの国を出るはずだったのに急かさなくても良いのでは?」
「国を出たら、貴方はすぐに姿を眩ますでしょう?」
「では、祖国に顔を出したら、もうつきまとわない?私の意思は変わらない。始祖の力があったとしても、その制御方法は知らないし、どのみち私で、家の血筋は終わる」
「何も期待などするなと?…2世殿が居られたら、さぞ落胆されるでしょう。ロザリアータ様の忘れ形見が、人間と戯れているなどと」
ビリウスのじろりとした気色悪い睨みに、聖也は顔が真っ青になるほど恐怖を感じさせられている。
「その人間を、始末するのがまず先でしょうな。穢れた血を混ぜられてしまう前に」
「っ!走れ!!」
私は聖也の体を後ろに突き飛ばした。
思いっきり突き飛ばして、地面に転がった聖也から視線を外したと同時に、彼に向かってきたビリウスを押し止め、近くの木に叩きつけた。
木は何本か折れて、ビリウスが吹っ飛ばされていったけど、時間の問題。
「走って!!早く!!逃げて!!」
「シェラミア…」
「迎えに行く!!」
そう告げて、私はその場から地面を蹴って離れ、ビリウスが飛ばされた方向に自ら追い掛けた。
何度も嗅いだあいつの臭いを辿れば、どこにいたとしても、見つけられる。
その前に、この男を、かつて私と同じところにいた男を……"殺さないと"
「姫…これが答えですかな」
「生きて帰れると思うな、ビリウス…」
「…同胞を殺すつもりですか、あのような無力な存在よりも」
「お前が先に手を出した。その、報いだ!!」
久しぶりに、本気で魔力を解放することになる。聖也との生活で、滅多に使うことのなかった吸血鬼としての力。
見せたくない、こんな姿。
化け物として生きる私の姿なんて。
……どうせ変わらないんだけれどね。私が、何人も手にかけて殺して、生き血を吸って来た化け物だって事実は。
「ならば……良いでしょう。本気で、かかってきたらよろしい。シェラミア様」
ビリウスは強い。多分私よりも強い。
殺されるのは私かもしれない。
でも、化け物として死ぬ無惨な最期には、ぴったりなのかも。と、何処か安心した気持ちの中で、ビリウスを仕留めにかかった。
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