3 アタシ、山羊に触りたいっ!
その喫茶店、『海風のカンバス』からは、東洋のドーバーと呼ばれている
本来ならこんなお店で、優一と二人でゆっくりお互いを知るための会話がしたかったけど、なぜか余計なロックかっぱオヤジがいる。おごりだと言っていたので本当はやけ食いしたかったところだが、優一の手前、小食でかわいい後輩アピールのため、泣く泣く涙をのんだのだった。しかし二人はさっきから高校野球の話に夢中だ。ひなたはそれほど野球に詳しくない。第一ルールすらそれほど良く理解していない。そういえばおじいちゃんも野球やってたとか言ってたけど、あまり興味なかったし…。少し退屈さを感じたひなたはアイスコーヒーのストローの袋を切り、ストローを鼻と唇の間に挟んで遊んでいた。
「昭和四九年の銚子商の強さはなかったな。あれはもう伝説だよ」
「聞いたことあります。黒潮打線が爆発したんですよね?」
「すご~い。先輩なんでそんなこと知ってるんですかぁ?」
退屈なひなたが目を丸くして茶々を入れてきた。野球には興味がない女の子にはチンプンカンプンな話らしい。
「銚子に住んでりゃ、ジョーシキだっつーの」
そういって優一はひなたにウィンクをした。
「投げては、土屋正勝という超高校級の投手を擁し、打っては今言ったその黒潮打線の中核をなしていたのが、そののち巨人からドラフト一位指名されるそのとき二年生だった篠塚だったんだぜ。サードを守ってた。土屋はドラフト一位指名されて中日に入った」
口の端に刻んだ海苔をつけたまま、ロックかっぱオヤジは熱弁をふるっている。
「そんなキラ星のようにスター選手が輝いた大会だったけど、何故かオレの印象に残ってるのは、一番バッターで主将を務めていたショートの宮内なんだよな~」
ロックかっぱオヤジは窓越しに見える屏風ヶ浦を眺めながら遠い目をしていった。
「そんなに活躍したんですか?」
優一が丸めたスパゲティを口に運びながら身を乗り出して聞いた。
「いやいや、その逆さ。“黒潮打線”が猛威を振るって強豪校を次々と撃破していく中、宮内だけひとり蚊帳の外だった。一本もヒットが出なかったんだ」
あれ、話に入れなくておとなしくしていたひなただったが、この話なんか聞いたことあるなと首をひねっていた。
「そりゃあ、キャプテンとしてリードオフマンとして、焦りもあったろう、責任感も人一倍感じていただろう。だんだんオレは他人事に思えなくなってきて、試合がベスト8、ベスト4と進むうちに祈るような気持ちになっていた。なんとか宮内にヒットが生まれてほしい! そう願うようになっていた」
優一もひなたも神妙に聞いていた。 海風のカンバスの窓の外の敷地には西洋風の風車があってその前に山羊がつながれていた。きっとこの店で飼っているのだろう。草を食んでいた。ひなたはその山羊を見ながら、頭の中ではこの話をどこで聞いたのか懸命に思い出そうとしていた。
「そして迎えた決勝戦。相手は山口の防府商。その日はバイト休みだったんで家でテレビにかじりついてた。宮内についに待望のヒットが出たんだ。それもなんとホームラン! あの時は涙が出るほどうれしかったなぁ。オレ、テレビの前で思わずやった~って大声あげて拳つきあげちゃったら母親にうるさいって怒られた」
突然、ひなたが立ち上がり、素っ頓狂な声をあげた。
「思い出した! それ相手は準決勝の前橋商戦だよっ!」
優一が驚く。
「はぁっ? 宮内、お前、野球、全然興味ないんじゃないのかよ!」
「だって、それ、私のおじいちゃん! ほんとに野球興味ないから聞き流してたけど、おじいちゃん準決勝の前橋商戦でホームラン打ったって自慢してた」
「あ、苗字、宮内だもんな…」
「ということは…お嬢ちゃんは…」
「はい。私、孫です。宮内ひなたって言います」
「え~っ、思い込みってこわいなぁ。オレはてっきり今の今までホームラン打ったのは決勝戦だとばかり思ってた~」
そういってロックかっぱオヤジ、川端は手のひらでこめかみを押さえた。
「しかし、まぁ…、こんなところで宮内キャプテンのお孫さんに会えるとはねぇ…。おじいちゃんは元気かい?」
「はいっ、おかげさまで!」
にっこりとひなたは微笑んだ。
「お嬢ちゃんが宮内ひなたさん、んで、少年、君の名は?」
「あ、申し遅れました。銚子中央高校2年、瀬上優一です。吹奏楽部でサックス吹いてます。宮内は一個下の後輩で同じ吹奏楽部です」
ひなたが受ける。
「トランペットやってまーす」
「そうかそうか。瀬上優一くんと宮内ひなたさんか。オレは川端京二といいます。よろしくね。それでふたりは付き合ってるのかい?」
「うふっ、そう見えますぅ?」
うれしそうにはにかむひなたに対して、はげしくかぶりを振り否定する優一。
「ち、違いますよ! たまたまイベントで一緒になっただけです」
そんなに力いっぱい否定しなくても…とひなたは心の中で不満に思った。
「いいなぁ。若いっていうのは…。オレも青春時代を思い出すぜ」
「おじさん、バンドやってたんでしょ。オーシャンランドのバイトの合間に演奏してたってさっき言ってたじゃないですかぁ。その時は彼女いたんですかぁ?」
アイスコーヒーをストローですすりながら、いたずらっぽい目でひなたが尋ねた。
「好きな娘かぁ…。プールでバイトしてた時、告ったよ。ストレートのサラッサラッの髪の娘でねぇ…。でも、フラれた。アタシ、野球部の宮内さんが好きなんですって言われた。ショックだったな~。バンドはやっぱり野球部に勝てないんだって思った」
そういうとロックかっぱオヤジは笑った。
「それからオレが好きになった娘を夢中にさせてる宮内ってどんなだよって見始めたんだけど、さっきも言ったけど、これが全然打てないわけよ。最初はケッとか思ってたんだけど、だんだんあまりに打てないんでかわいそうになってきちゃって。気づいたらいつの間にか応援してた」
「なんか、笑ったらいけないんだろうけど、川端さん、いい人ですね」
優一はそういうと鼻の下を人差し指でこすって少しだけ目を細めた。
「そうかな? そうだ、せっかく仲良くなった印に、ふたりにお土産をあげよう」
そういうと、かっぱロックオヤジ川端は、ふたりの前にかっぱが肘を枕に寝そべったデザインの小さなキーホルダーをふたりのまえにひとつずつならべた。
ひなたは、ロックかっぱオヤジがバッグの中に手を入れたとき、なにをくれるのかとドキドキしたが、かっぱのキーホルダーの実物をみて内心がっかりした。それもたいしてかわいくないというか、どっちかというとグロテスクだったし。でも先輩とお揃いなのは嬉しかったので気を取り直して、かっぱロックオヤジに最上級の笑顔を作ってみせた。
「可愛い! ありがとう。大事にします」
二人はお礼を言った。
「それで、川端さんはなんでUFO召喚のこのイベントに出ることになったんですか?」
「そんな改まらなくてもいいよ、おじさんでOKだよ。いや~っ、かっぱってホラ、何となく宇宙人っぽいでしょ。」
「かっぱ宇宙人説ってのもありますよね」
「基本的に町おこしだからね。UFO召喚イベントは」
「そんな夢のないこと言っちゃっていいんですか? ロズウェル駅まで作っちゃったのに」
スパゲティの最後の一口を飲み込んだ優一は、コップの水を飲み干して言った。ひなたはロズウェルがなんなのかよく知らなかった。ググりたい衝動に駆られたが、優一からさっきむやみにググるのはよくないと言われていたので思いとどまった。そんなひなたの心中を察するように優一は言った。
「一九四七年七月、アメリカのニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOを空軍が回収したことで有名になった事件のこと。ロズウェル付近といっても実際の墜落現場は七十マイルも離れてたんだけどロズウェル陸軍飛行場が深く関与してるのでロズウェル事件と呼ばれてるんだ。世界でもっとも有名なUFO事件って呼ばれてる。そこからロズウェル駅なのさ」
先輩、ありがとう、ひなたは優一の優しさに感激した。そんな駅なら見てみたいとひなたは思った。
「いや、あれこそ町おこしの象徴でしょう。銚子では5人に一人がUFO目撃してるとか言っちゃってるしさぁ…」
ロックかっぱオヤジはデザートのチーズケーキまでしっかり平らげていた。
「私、そのロズウェル駅見たいです。銚子の人じゃないからあまり銚子電鉄乗ったことことないし…」
そういいながらひなたの目は窓の外の山羊を追っている。
「宮内キャプテンの孫にそういわれちゃ、しょうがないなぁ。じゃあオレのクルマで乗せていってあげよっか。かっぱ屋って店の名前が入った軽ワゴンだけどね」
「ほんとですか。うれしいっ。ありがとうございまーす」
ひなたはさっきから窓の外の山羊が気になって仕方ない。山羊がこっちを見た。目が合った。
「その前に私、あの山羊触りたい!」
幸い食事も済んでいた二人も賛成してくれたので、店の人に断って三人は外へ出た。エントランスからコの字型になっている建物の窓を回り込んで、山羊のいる場所に向かった。小高い丘になっているので外に出ると一層見晴らしがいい。午後の陽光にきらめく太平洋と屏風ヶ浦の切り立った崖のコントラストが素晴らしい。山羊はとても人懐っこい。きっと今までもたくさんの客に頭を撫でられているのだろう。ひなたを怖がる様子もなくずんずん頭を寄せてきた。角で押されてひなたは少しよろめいた。その拍子に山羊のまわりにたくさん落ちている小指大の黒い塊をふんでしまった。
「なにこれ、もしかして山羊のうんち?」
山羊の糞はよくみるといたるところに落ちていた。山羊は一応繋がれているので半径数メートルの範囲だったが黒い小さな塊が無数に落ちていた。
「宮内、山羊のうんこ、踏んでも平気なのか? うちの妹だったらぎゃ~ぎゃ~っ、泣きわめくぞ」
ところがひなたは山羊の糞を踏んでも別段騒ぐこともなく、こうつぶやいたのだった。
「私、野生児ですから。山羊のうんちって面白~い。先輩、まるでマーブルチョコレートみたいですね!」
と微笑んだのである。
優一も山羊の頭を撫でようとした。ところがひなたには進んで頭を撫でさせた山羊は、優一が差し出した手から逃れるように頭を振った。まるでお前に撫でられるのは嫌だとでもいわんばかりに。もう一度手を伸ばすと、またしても頭を振って逃げた。
「なんだよ、こいつ! 宮内には撫でさせたくせに!」
ひなたが笑い転げている。
「きっと、先輩のこと嫌いなんですよ、この子」
そういっていとも簡単にひなたは山羊の頭を撫でた。
「なんだよ。まったくぅ」
優一は苦笑いした。その時、山羊は激しく耳を動かした。どうやら耳のうしろに虫がついていて痒いらしかった。
「先輩、この子ちっちゃなセミみたいな虫がいっぱいついてますよぉ。さっきも公園にいましたよ、この虫。今年の夏は虫が多いんでちゅかね? よしよし痒いんでしゅか? 私がとってあげましゅよ」
「宮内、いつの間にか赤ちゃんことばになってんぞ」
優一は笑った。ロックかっぱオヤジは笑おうかどうしようか迷っているようで複雑な顔をしていた。
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