25話 男に縋る女⑤
祐希の機嫌を損なわない様に、僕達は彩とは違うプールで遊ぶことにした。
室内プールから屋外にあるプールに移動すると、そこには大きな滑り台がいくつもあった。
それはかなり本格的で、まるでジェットコースターの様だ。
その光景に祐希は一気に機嫌を取り戻し、日が暮れる時間まで十分満喫し、遊び尽くした。
小学生並にはしゃぐ祐希の様子を見る限り、きっと彩の事なんて頭の片隅にも残っていないのだろう。
帰り時間が迫る頃、祐希と莉奈は疲れ果ててベンチに座って休憩をする。
僕はその2人を見て気遣い「帰る前になにか飲み物買ってくるよ」と言って売店へ向かう。
そこで事件は発生した。
僕は売店に向かっていたので、その後祐希から話を聞いたのだが、2人はこの時ナンパされていたらしい。
2人組のチャラそうな男性が、ベンチの2人に向かって声を掛ける。
「ねぇねぇ、君たち今から帰るの? もし良かったら送ろうか?」
そんな風に声を掛けてきたらしいが、2人は真顔でその男達を見ていたそうだ。
一応説明しておこう。
初対面の男性が女性に対して、「送ろうか?」と言ったらそれは大体下心が有ると思った方がいい。
特にそれが、金髪でピアスバチバチの男性なら特にだ。
「いや、結構です」
祐希はにこやかにそう断った。
このにこやかな顔に憎悪が隠されていることは言うまでもない。
「遠慮はいらないよー。そうだ、その後ディナーとかでもどうよ?」
「いや、だから結構です」
ナンパをする男性は強い物だ。
こんなに断っているのに、まだ勧誘してきたらしい。
その鋼のメンタルを僕に1ミリでもいいから分けてほしいものだ。
「いや、コイツ金持ちでさ。株とかで儲けてさ。車もメルセデスなんだよ。だから高いディナー連れてくよ。行こうよー」
そう連れの男が言った。
僕が2人の飲み物を持って帰って来たのはこのタイミングだ。
そして、今まで無言だった莉奈の様子が一変したのもこのタイミングだ。
「メルセデス?」
「あぁ、そうそう。メルセデスAMGっやつ。オレ、最近買ってさ。興味あんの車? 乗ってこうよ」
僕はこの台詞を聞いて、背筋が凍った。
祐希を横目でみると案の定引きつって笑っていた。
祐希も気付いたらしい、莉奈の異変を。
「メルセデスAMG?」
「そうそう。メルセデスの高級車両だよ。もう、乗り心地最高だぜ」
僕がいるのにまるでいないかの様に、その男は莉奈に話しをしていた。
それに関してもムカつくのだが、それ以上にムカついてる人物がここに居るので、僕はその怒りを我慢した。
そして、莉奈の目つきはだんだん鋭くなる。
それは親の敵の様に、殺意に満ちあふれ、なんだか空気が歪んで見えるそれくらいのオーラを発しながら。
「なに、メルセデス乗ってんの? へぇ-。ふーん」
明らかな莉奈の殺気にナンパしている2人組の男性も気付いた。
そして祐希は追い打ちをかける。
「ねーねー。お兄さん達。もしかして、レッドブルも好き?」
この質問をした祐希に僕は目を見開き見つめた。
僕はこの瞬間、正気かコイツと思ったのだ。
「えっ、あー、レッドブルも好きだよ!」
と訳も変わらず、チャラい男性はレッドブル好きをアピールした。
あろう事か、それを莉奈の目の前で。
正直に告白すれば僕もメルセデスの車は好きだ。そしてレッドブルも良く飲む。だがそれは莉奈の見ていない所でこっそり飲むのだ。
なぜかというと、莉奈は大嫌いだからだ。
もし莉奈にこの世で一番嫌いな物があるとするならば、それはメルセデスとレッドブルなのだ。
要はこの男性達は莉奈の逆鱗に触れてしまったのだ。
莉奈は殺意を満ちた目でベンチから立ち上がり、じっと2人を見ていた。
「お前ら、マジでいい加減にしろよ」
莉奈はドスの効いた声で言い放つと、2人組の男性は怯え「コイツヤベーぞ。行こうぜ」と逃げ帰った。
「莉奈、ほらコレ飲んで落ち着け」
僕は買ってきたアイスティーを渡して、莉奈の沈静化を図った。
もし仮に僕がなんかの間違いで、莉奈にレッドブルなんて渡していたら、僕はもうこの世に居なかったであろう。
というか、確実にプールは血の海になっていた。
なぜ莉奈がここまで怒ったのか。答えは簡単だ。
彼女は根っからの『ティフォシ』だからだ。
ティフォシとは、イタリア語で熱狂的なファンという意味を持つ。そしてその言葉は現代だと、生粋のF1のフェラーリファンの事を指し示す。
そう莉奈は大のF1好きであり、大のフェラーリファン、ティフォシなのだ。
F1を知らない人はよくフェラーリは強いと思われがちだが、フェラーリがチャンピオンに輝いた日は遙か昔の話だ。
ここ最近ではレッドブルとメルセデスにその座を奪われている。
そんな事で、というか莉奈からしたら重要なのかもしれないが、莉奈は勝手にそれを逆恨みしている。
だからメルセデスとレッドブルが大嫌いなのだ。というか単にライバル視しているだけなのかもしれない。
まぁ、どっちみち嫌いなことには変わりはない。
莉奈は買ってきたアイスティーを飲み、まだ鋭い目で僕と祐希にある提案をしてきた。
「ねぇ、アイツらのメルセデスぶっ壊しに行かない?」
そんなアホな事を言っていたが、祐希はまだ顔を引きつったまま「アハハ……」と愛想笑い、というか呆れた笑いをこぼしていた。
「これが殺意の波動に目覚めた莉奈か」
僕はそんな事をぼやきつつ、なんとか莉奈の沈静化を計って無事に帰ることに成功した。
この後僕が運転するレンタカーで帰ったのだが、後ろの席で莉奈は祐希に永遠とフェラーリの素晴らしさを力説していた。
F1に全く興味がない祐希にとって、この時間は相当地獄だっただろう。
僕はその光景をバックミラーで見ながら同情していた。
後日談というか、未来の話になるのだが、この年も案の定メルセデスにチャンピオンを取られ、莉奈は意気消沈し、更に復習の心を燃やすのであった。
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