第163話 西園寺京子さんはつまづく

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 食事後、早速授業を開始する俺。気づけば、50分が過ぎていた。


「難しい問題も解けるようになったな。えらい」


「うん!あたし頑張ったから!」


 問題集の採点を終えた俺は、ゆきなちゃんを褒めてやった。


 頭の良さは親の遺伝子によって左右されるところが大きいとの研究論文を読んだことがある。


 おじさんは大企業の副社長、長女は難関大学に合格。つまり、知能だけ見るならば、ゆきなちゃんは姉に勝るとも劣らない。まあ、試験の成績は頭が良さだけで全てが決まるわけではない。努力も重要だ。


 つまり、天才が努力までしたら、勝てるものがいないってわけだ。要するに、ゆきなちゃん最高。


 俺は伸びをしてから、すっと立ち上がった。


「ちょっと10分間休憩な」


 すると、ゆきなちゃんはあくびをしながら間延びした声音で返事する。


「ふぁーい」


 ベランダにでも行って風にでも当たろう。と、考えた俺はゆきなちゃんの部屋を出てさっそくリビングに向かった。


 ここは閑古鳥かんこどりが鳴くほど静まり返っている。


 ふと隣にあるキッチンにも視線を送ってみる。だが、一人もいない。しかしあのテーブルで俺は3人と一緒に食事を取った。


 最初、この家にきたときは、単なるお金持ちのタワーマンションの一室のように映ったが、今はまるで異世界にでもきたような感覚だ。食事を作ってもらい、一緒にそれを食べ、そして一緒に会話を交わす。

 

 小説やドラマでは普通の家族はいつも揃って食事をしていた。これが普通ってやつか。俺の場合は、お母さんが買ってきた50%セールのシールが貼ってある弁当を一人で食べていたのに。

 

 味も西園寺京子さんが作ってくれたものの方が断然美味しい。もちろん、いい食材を使っているからだと思うが、それは8割くらいは。残りの2割は一体なんだろう。

 

 どうして、誰もいないこの光景を見てるだけでこんなに胸が締め付けられるようにいたんだろう。


 ベランダ行こうか。


 気を紛らすために俺は足早にベランダのドアの開いた。


「おお」


 やっぱり素晴らしい眺めだ。六甲山の一部を含め、そこから流れる川、そしてキラキラと光る照明。展望台に来ているかのような気持ちにさせられる。


 そしてそこには一人の美しい女性が思案顔で夜景を眺めている。だが、俺の存在に気がつき、後ろを振り向いた。


「あら、藤本くん。休憩かしら?」


「はい」


 西園寺京子さんは、おっとりとした笑顔を浮かべてちょいちょいと俺を手招いてくれた。俺はこくりと頷いて歩き、京子さんの隣にある欄干らんかんに手をついて夜景を眺める。


「夜風、気持ちいいよね?」


「涼しくてちょうどいいですね」


 しばしの間、俺と西園寺京子さんは、無言のまま景色を見ていた。が、このしじまを裂いたのは隣の美人さんだった。


「藤本くんってやっぱりすごいんだよね」


「うん?何がですか?」


「ヒーロみたいに周りを変えていくから」


「変える?何がですか」


 意味不明なことを口にする西園寺京子さんが気になり、俺は彼女に視線を送る。彼女の表情は昔の思い出をなぞるようにどこか刹那気せつなげだ。


「藤本くんは私たちを変えたの」


「お言葉ですが、変えた覚えはないんですが…」


「警戒しなくてもいいの。でも、君はずっとそんな人生を歩んできたでしょ?」


「っ!」


 西園寺京子さんは、悲しむような表情で俺を見つめている。


 別にわざとこの人を警戒したわけではない。他の人と接する時と同じように、本能的に、条件反射的にそうなっただけだ。しかし、この人はそんな些細ささいなことまで全部お見通しとでもいうのか。


 西園寺京子さんは、また夜景を見ながら語り始める。


「居るのがずっと当たり前だと思っていたんだ。だから、適当に言い訳をつけて自己中心的になって、結局、疎遠そえんになった。別に喧嘩けんかをしたわけでもないのにね」


「家庭の話ですか?」


「そう」


 確かに、俺が初めてここに来た時も、西園寺京子さんから似たような話を聞いた覚えあある。だが、今ほど具体的ではなかった。


 西園寺京子さんはさらに続ける。


「でも、居るのが当たり前という考えは、とても傲慢ごうまんな態度よ。藤本くんがゆきなちゃんを救ってくれたとき、やっとそれに気が付いたの」


「…」


 口をつぐんでいる俺が気になったのか、西園寺京子さんはまた俺を見る。


「だから、刹那にも雪菜にも主人にももっと積極的に近づくことができて、もっと愛することもできたんだ。もちろん現在も絶賛お母さん中よ!」


「絶賛お母さん中って何ですか」


 拳を突き上げる西園寺京子さんに俺は苦笑いを浮かべて突っ込んでみる。どう見てもお母さんのようには見えないんだよね。この人。


「おかげ様で、毎日充実した日々を送っているの。可愛い娘たちの今まで知らなった一面も発見できて楽しいし」


「可愛い娘たちですね…」


「そうよ。やっぱり、身贔屓みびいき抜きにしても、あの娘らは可愛いよね?」


「ま、まあ。確かに世間一般的に考えるならば、二人ともものすごい美人ではありますね」


「藤本くんはどう思うの?正直に言ってみて」


 西園寺京子さんは、手を後ろに組んで、俺を上目遣いで見てくる。な、何で俺の私見が要るの?俺は唇を噛み締めて、視線をそらそうとしていたが、西園寺京子さんはそれを逃がさない。


 はあ


「か、か、可愛いです」


「うん!やっぱりそうよね!」


 西園寺京子さんは、満足気に腕を組んでうんうん言っている。そのせいで豊満な胸も一緒に揺れているんだが。


 そして何か思いついたかのように急に話しだす。


「あ、あと別荘で二人の面倒を見てくれてありがとう。二人ともすごく喜んでいたわ」


「い、いいえ。むしろ俺の方こそ、楽しい思い出になりました。あ、もうそろそろ時間ですね。俺、戻ります」


 正直に言うと、もうちょっと時間があるのだが、雰囲気的には引き際だろう。そう踏んだ俺は、きびすを返してゆきなの部屋に戻ろうとする刹那、西園寺京子さんもついてきた。


「私も部屋に戻るわ。ちょっと寒いし」


「は、はい」


 と、西園寺京子さんは俺と並んで歩んだ。


「それにしても、お兄さんと刹那、ね…ふふっ」


「うっ」


 やっぱり呼び名変わったの気にしてるのか。死ぬほど恥ずかしい。


 その瞬間


「きゃあっ!」


 西園寺京子さんがいきなりつまづく。おそらく妖艶な表情で笑っていたせいで、周りを見ていなかったんだろう。


 俺は早速手を伸ばした。




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