第79話 私とデートしましょう


「えっ!?」


 当惑する彼女を無視し、俺は立ち上がった。こんななんの生産性もない無駄話を延々と続けても、お互いにとって無益だ。むしろ、電話でしてほしかったな。だったら、梅田まで来なくても済んだだろうに。俺は自嘲じちょう混じりにため息をついてから、この場を後にする。


 ヘップファイブの外は、さっきよりも人が増えている。時間は11時20分。多くのリア充たちが活動を開始する時間帯でもある。それに引き換え、俺は、もう用は済んだので、家に帰るだけだ。阪急電鉄特急新開地行きの電車に乗って30分ほど走れば、三宮駅につくはずだ。別に他のところを回っても構わないのだが、昨日の件もあってか、疲れがまだ溜まっているので、家に帰ってゆっくりしたいものだ。なので、駅構内に繋がる横断歩道で信号を待っていた。


 よし。これで完璧。五十嵐麗奈は、俺の家の位置知らないし、身元がバレるような情報は与えていない。携帯電話番号は教えたけど、着信拒否登録に、スパム登録したら、向こうも気づいて連絡してこないだろう。ふむ。我ながら完璧。


 ドヤ顔で信号を数十秒間待っていると、やがて青信号に切り替わった。なので俺は躊躇ちゅうちょなく渡ろうとした。が、誰かが俺の手首を強く握りしめる。


「藤本くん」


「はあ?」


 振り返ると、五十嵐麗奈が立っている。また、何かを強く訴えるような表情をしている。俺なんか、単なる塵芥ちりあくたに過ぎないのに、なんでそんな必死に俺を見つめているんだろう。

 俺がまたもや、不憫の眼差しを送っていると、五十嵐麗奈は手を解いてくれた。そして、予想もしなかったアクションをとる。


 パチンッ


「え?」


 ほっぺたを叩かれてしまった。


「な、なにを…」


 頭が真っ白になってしまった。なんで。どうして。


 俺は自分の頬をさすりながら、五十嵐麗奈を見る。彼女は、相変わらず、何かを切実に訴えるような眼差しで俺を睨んでいる。


「そんな卑屈な態度だと、なにも変わらないじゃない!」


「余計なお世話だ。お前とは関係ない」


「関係あるの!」


「はあ?!」


 お互い語気を強めながら言い合いをしたせいで、道ゆく人が、俺たちを見ている。だが、今は、この目の前にいる女の子の言葉の方がもっと気になるのだ。関係があるって。どういう事なんだろう。


「私、ずっと、ずっと、良心の呵責かしゃくに苛まれてきた。中学生になっても、高校生になっても、そして、大人になった今も…」


「…」


「だからそれを、合理的だの、賢いだの、都合のいい言葉で、はぐらかさないでちょうだい」


 一言も反論できなかった。俺はずっと逃げてきて、理性というたてを振りかざしてきた。自分の、混沌こんとんとして茫漠ぼうばくとした気持ちを落ち着かせるためのは、最高の手段だったから。でも、このやり方は間違っているのだろうか。ほっぺたを叩かれるほどのことなのだろうか。俺はそうは思えない。


「だったら、どうしろっていうんだ」


 だから俺は聞くしかあるまい。もっと、マシな方法があれば、それを取り入れて、分析してデータ化して効率化をはかるだけ。


「まず、そのひねくれた感性を正した方がいいわ。あと目も」


「一言多いぞ」


 人の身体的特徴を否定するなんて、無礼極まりない子だ。


 俺が納得のいかない顔で五十嵐麗奈をにらんでいると、真面目な顔の彼女は何かを決心したかのようにふむと頷いてから、言う。


「是非、私に助けさせて」


「い、いや。別に俺は助けが要る人間じゃないけど…」


 俺は後ろ髪をクシャクシャ引っ掻きながら、反論するが、向こうは完全に聞く耳を持ってないらしい。


 五十嵐麗奈は、俺との距離を縮めてくる。


「人間関係で、本当に問題、ないの?」


 至近距離で発せられた言葉。この子と真面目に話したのは、今日が初めてだけど、まるで俺の頭の内部を全部覗いたかのような妖艶ようえんな顔で俺の瞳をジーと見ている。


「ない、とは言えないかも…」


 俺はつい、視線を外して答えた。仮に、嘘をついても、この子はすぐ気づくのではないかという気がしたから。


 俺の返事を聞いた五十嵐麗奈は、微笑んでから、距離を少しとって俺の顔を指差しながらまた言葉を発する。


「私は、藤本くんに対して、ずっと罪悪感を抱いてきた。そして藤本くんは、過去の辛い経験がトラウマになっている。だからこれはお互いにとって好都合だと思わない?」


「俺への贖罪しょくざいとして、俺のトラウマを解決してくれるって事か」


「その通りよ」


「さっきも言ったが、別に罪悪感なんて…」


「藤本くん、あなたは、あの時のクラス全員に謝られる権利があるの。それを簡単に手放す事は間違っているわ」


 俺は否定するように暗い顔でうつむいた。だが、五十嵐麗奈は逃げる隙を与えまいと、早速口を開く。


「今は否定的に思うかもしれないけれど、きっと分かる日が来ると私は思うの」


「どうしてそんなこと言い切れるんだ?」


 俺は怪訝けげんそうな顔で五十嵐麗奈を睨んだが、返事をしてくれなかった。代わりに、彼女は指を組んで、困り顔で視線を泳がせている。頬には朱がさしていて、恥ずかしそうにうつむいていた。


「昔、ずっと見てきたから…」


「…」


 主語のない曖昧あいまいな言葉なのだが、ラノベ主人公の専売特許「難聴なんちょう」スキルを俺は持ってないので、意図せずとも、五十嵐麗奈の言おうとしていることは、すんなりと頭の中に入ってきた。


「助けるって具体的に何をする?」


 俺は依然として、五十嵐麗奈を直視せずに問うた。すると、照れの混じった表情で咳払いをしてから、気を取り直した五十嵐麗奈は、小さな声音こわねで、言う。


「私とデートしましょう」

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