第109話 星の街を駆けてゆく


「ふむふむ、今日の水瓶座の運勢は……ふぇぇ、恋愛運が最大級……」


「ふふっ、そういうの気にするんだ」


「……今日は大切な日ですから」


 そう、今日は女優日向さん最後の作品 “星霜を越える私” の慰労会があり、マネージャーの栞さんからのお誘いでこっそり私も参加することになったのです。

 席は離れてしまいますが、同じ空間にいられること……それに、あなたの節目に立ち会えることが何よりも嬉しい。

 

「えっ!? そんなの持ってどうするの?」


「ラッキーアイテムが狐のお面なんです。日向さんの分もありますよ」


「もー……そういうところも好き」


 それがどういうところなのかは分からないけれど、私もあなたが好き。

 応えるように抱きつくと、あなたは笑いながら私に押し倒されるふりをしてソファへ寝転び……二つの好きは一つに混ざり合っていった。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 私といる時以外はお酒を飲まないと仰っていた日向さんですが、今日は念の為タクシーを使って行くことにしました。

 本当は手を繋ぎたいけれど、人前ではイチャつくなと栞さんに口酸っぱく言われているので、我慢しています。

 日向さんはスマホを操作しているので、私は読書。見られることのない互いの足を絡ませて、肩が少しだけ触れ合っている。

 幸せな空間、あなたの声が響いてくる。


「何読んでるの?」


「和歌集です。古往今来、人の想いは変わらないのだなと思うとなんだか面白くて……」


「一緒に読んでもいい? ……へぇ、隣に訳してくれてあるんだ」


「次の頁に行きたい時には合図を下さいね。捲りますので」


「雫のタイミングで捲っていいよ。きっと同じだから」


 その意味が少し分からなくて……でも、言われた通り私の速度で読んでいく。

 言葉の意味や情景、心情を思い浮かべながら頁を捲ると、あなたは慈愛に満ちた優しい顔で微笑んでいた。


 “きっと同じだから”


 全てを理解した私は抑えられなくなり、あなたの指に私の想いを絡ませた。

 私の代わりに頁を捲るあなた。

 頁が変わる度……一枚ずつ、幸せが積み重なっていった。


 

 ◇  ◇  ◇  ◇



 おまちのお洒落な繁華街。ここは日向さんのようなお仕事をしている方がよく使われるお店だそうで、お洒落な入口からはお洒落な人々が往来しています。

 ……大丈夫。日向さんの慰労会なんだからしっかりしなきゃ。

 二人きりで来てると思えば大丈夫──


「今度は二人きりで来ようね」


 自信なんてないから、下を向きそうになることが多いけど……その度に、あなたは私に大切なことを教えてくれる。

 

「大丈夫?」


「……はい。行きましょうか」


 大丈夫。私はあなたの恋人だから。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「ヒナが十五分前に来るなんて珍しい。生活の権限全部彼女に預けたら?」


「ふふっ、もう預けてあるけど」


 受付の前で楽しそうに栞さんとお話をする日向さん。

 ずっと側にいたいけれど……寂しくて心の中で溜息をついていると、日向さんが私を優しく抱きしめてくれた。


「指輪、左の薬指につけてよっか。愛の証。ふふっ、ずっと想ってるよ」


 私の頬を優しく撫でて、日向さんは会場へ向かわれた。

 暫く惚気けていると、栞さんが私の手を勢いよく引っ張っていく。


「よーし飲むぞ。雨谷さん、付き合ってね」


「……ふふっ、はい」



 ◇  ◇  ◇  ◇



 乾杯の前に、色々な方が挨拶しています。勿論日向さんもですが…………


「し、栞さん? その、もう少し落ち着いて飲まれたほうが……乾杯もまだですし……」


「雨谷さん、そこの海老取って。あと芋焼酎ね」


 乾杯前、栞さんはワイン一瓶を空にしてしまいました。 

 否が応でも目立ってしまい、私達を見た日向さんは可愛らしく微笑んでいた。


 乾杯を済ませた後、日向さんは各所へ挨拶回りをしています。笑っているけど真面目な顔で……日向さんがお仕事に対していかに真摯だったかは、想像に難くない。


「ヒナクラスの女優だと普通向こうから来るんだけど、そういう特別扱い嫌いなんだよねヒナは。ここ最近は特に嫌がってるなぁ……雨谷さん、ラム酒頼んで」


 あなたの言葉を思い出す。


【ふふっ、私は薄情だと思うよ? だって……雫の特別でいられれば、他の人なんてどうだっていいもの】


 私も……あなたさえ私を見てくれているなら、他には何もいらない。

 だからこそ雀躍もするし……こうして嫉妬もする。

 テレビで見たことのある俳優が親しげに日向さんと会話をして……スマホを取り出し、恐らくは連絡先を聞いているのだろう。


「妬いてんの? 妬くだけ無駄無駄」


「栞さん……」


「ヒナは昔から恋愛に一切興味無かったから、男が嫌いで実は女が……なんて思ってた時もあったんだけどさ。違うんだよねぇ」


 栞さんは俯く私の頭を鷲掴みにし、無理矢理私の視線を日向さんへ合わせた。

 無機質な表情で首を横に振る日向さん。

 それでも食い気味に誘っている俳優に、日向さんは遠く離れている私達にも聞こえる声で口を開いた。


「この続きが詠えますか? “君がため 惜しからざりし いのちさへ 長くもがなと 思ひけるかな” 」


 ここへ来る道中、その歌を二人で見た時に……自然と私達の手が重なった。

 お互いの体温を確認するように、何度も何度も指を絡ませあった。


「ヒナはさ、最初から雨谷さんが好きだったんだよ。意味、分かるよね? 行って来い、恋人」


 私の鞄から狐のお面を取り出し私に被せた栞さんは、強く優しく背中を押してくれた。

 今日はマネージャーの御墨付きだから……なんて、酔っ払っている栞さんを利用しようとしている私も……ふふっ。薄情ですよね?


 あなたの前に来た私。

 静まり返る室内に響く、万世不易の愛の歌。この歌の続きなんて、存在しない。

 なら何故あなたはあんなことを言ったのか。

 だって……今から私が詠むのだから。


「さりとて……君がためならば さりとて我が……ためなれば」


 詠末、お面を少しだけずらしてあなたの手の甲に口をつけた。

 高らかに笑う栞さんの声とともに室内の電気が消えると、あなたも思わず笑いだし……私の手を取って走り出した。 

 

 私には眩しすぎた筈のおまちの灯りは、まるで煌めく星芒のようで……あなたと二人、星の街を駆けてゆく。



【君がため 惜しからざりし いのちさへ 長くもがなと 思ひけるかな】


 あなたの為なら、この命は惜しくない。

 でも、あなたの為に一秒でも長く生きていたい。

 

【さりとて 君がためならば さりとて我が ためなれば】


 それでもあなたの為なら……それは、私の為だから。

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