第68話 私の背中、あなたの背中


「ねぇ、写真撮りにいかない?」


「いいですね。今日は天気も良さそうですし。では、動きやすい格好で……」


「ふふっ、お洒落して行くんだよ?」


「ふぇ?」


 ◇  ◇  ◇  ◇


 というわけで、日向さんが昔から行かれている写真館へ撮りに出かけます。


 小さな頃は、節目節目で家族写真を撮っていた。

 お母さんが亡くなってからは縁が無かったけれど……


 着物を着たお母さんと撮る写真。

 美しい姿が、誇らしかった。


 どんなことでも、知れば知るほど遠のく背中。

 優しくて温かいその姿に、少しは近づけたのだろうか……

 

 ◇  ◇  ◇  ◇


 姿見で確認する。

 どうかな……変じゃないかな……


 不安な気持ちで狼狽えていると、準備し終えた日向さんが部屋に入ってきた。


「準備でき…………雫……その格好……」

  

「へ、変でしょうか……?」


 お母さんの形見である、紺色の訪問着。

 お気に入りで、生前よくこれを着ていた。


 日向さんは少しだけ顔を赤くして私を見つめている。

 あなたの目には、どう映っているのでしょうか……?


「日向さん……?」


「……素敵。凄く似合ってるよ」


「そ、そうですか!? 実は母の── 」 


 口を塞がれ、忽ち夢見心地に。

 目を開けると、愛らしく照れている瞳が私を見つめていた。


「私も気合い入れてお洒落したつもりだったんだけど……敵わないや」


「そ、そんな事ありません……日向さんと比べるなんて……烏滸がましいですよ……」 


 つい否定してしまうのは、私の悪い癖。

 でも……私には自分の価値が分からないから……


「私……可愛い?」


 日向さんが後ろから抱きついて、姿見越しに見つめ合う。

 お洒落で、可愛くて、綺麗で……おまちの香りが似合う、素敵な人。

 

「はい、可愛いです……」


「雫のおかげだよ?」


 その言葉の意味が分からなくて……

 多分、困った顔をしてしまったのだろう。

 優しく抱き寄せられて、たくさんの愛情を頂いた。


 ◇  ◇  ◇  ◇


 車を走らせること一時間、横浜という文字が見えました。

 住宅街の一角にある、小さな建物。

 入口のショーケースに飾られた幾つもの写真達。  

 少し寂れた感じがする店内。

 まだ経営しているのだろうか?


「こんにちはー。おじちゃん元気?」


「おう、暇過ぎて元気有り余ってるよ。晴ちゃんが来てくれるまでは死ねなかったからね」


 店主であろう老人が、私のことをジロジロと見つめてくる。

 挨拶しなくちゃ……


「こ、こんにちは。雨谷雫と申します……」


 したはいいものの、かれこれ何分私は見つめられているのだろうか……

 泣きそう。うん、泣いちゃった。


「……………納得したよ」


「ふふっ、私の自慢なの」


 嬉しそうに、誇らしそうに私を紹介する日向さん。

 私はこの顔をどこかで……

 

 ◇  ◇  ◇  ◇


 二人並んで、写真撮影です。 

 うん、緊張するね。


「……雫、それお母さんの?」


「はい。いつの間にか……母と背格好が同じになっていたんですね。まだまだ背中は程遠いんですが……」


「……大丈夫だよ」


「えっ……?」


「ふふっ、大丈夫だから」


 母の姿が、日向さんと重なる。

 憧れて、追い続け……

 どこまでも遠くて、誰よりも近くにいてくれる存在。


「雫、前見て?」


 その言葉と微笑みに、穏やかな気持ちになる。

 きっと、あなたが好いてくれる顔を私はしているのだろう。


 ◇  ◇  ◇  ◇

  

 撮影が終わり、日向さんはお仕事の電話で外に出ています。

 

「最近はみんなデジタルカメラだから、撮ったら直ぐに見れて便利だよなぁ。ウチは見ての通りフィルムカメラだけどな」


「……どんな写真か楽しみですね」


「ふっふっ、そうだ。やり直しが効かない世界。コイツじゃなきゃ見れない世界ってのがあるんだ。まぁしかし、晴ちゃんは可愛くなった」


「ふふっ、可愛いですよね」


「……お前さんの影響だろうな。だから今日ここに連れてきたんだろう」


 私の…………?

 そういえば、ここに来る途中に日向さんが仰った。

 とある約束を店主としていると。


「晴ちゃんが十四の時、一旦店仕舞いしたんだ。そしたらあの子がこう言ったんだよ。 “私を可愛くしてくれる人が見つかったら、撮ってくれる?” ってな。何年でも待っているって約束したが……お前さんを見て納得したよ」


「あ、あの……どういう……」


「カメラマンってのは、本質を見抜く仕事だと俺は思う。つまりはその人の中にあるモノだ。お前さんからは……どこまでも深い海のような懐、なによりも温かいお天道様のような優しさを見たよ」


 その言葉は、私のお母さんに当てはまるそのモノで……

 思わず涙が頬を伝う。


「お前さんが晴ちゃんを追っているように、晴ちゃんもお前さんを追っているんだよ。もう分かったろう? お前さんが晴ちゃんを可愛い女の子にさせたんだ。お前さんが……本当に好きなんだな」


 堪らず走り出す。

 外で電話している日向さんを強く抱きしめた。

 一瞬驚いた顔をしたけれど、電話をしながら優しく抱き返してくれた。


 電話が終わっても、何も言わずに只々抱き合い続けて……店主の咳払いで現実に引き戻された。


「晴ちゃん、雫さん、また来年も来なさい。この体がくたばるまで……毎年撮り続けるからよ」


 こうして新しい約束をした。

 それは、二十年程続く大切な約束。


 後日送られてきた写真、私達は同じ顔をしていた。

 お互いが好きな、可愛い顔で。

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