12:届け、この歌
ライブ前日。
それからは、慌ただしい日々が続いた。
放課後はほぼ毎日、瑠璃子の練習に付き合い、今日は野田さんの紹介で練習スタジオを借りて音源入りで本番を想定して全曲通しを何度も練習した。
「――ふう」
ヘッドホンを外し、マイクから離れた瑠璃子は、汗をびっしょりとかいた顔に満足そうな笑みを浮かべていた。息がさして切れていないところを見るに、意外と肺活量はあるのかもしれない。
「……なんか歌、どんどん上手くなってない?」
俺は、感動に浸りたいところを無理して言葉を吐く。
「そうかな? だとすればきっと涼真君のおかげかな」
ふわりと笑う瑠璃子に、俺も自然と笑みを返す。ああ、可愛いなあ。
瑠璃子は学校では相変わらず地味なままで息を潜めているが、俺といる時は明るく振る舞っていた。
底辺だとか陰キャだとか、言われていたのが信じられないぐらいだ。どちらが素と言われれば、両方だと俺は答える。それぐらいに彼女の笑顔も振る舞いも自然だった。
「喉渇いたろ、ほい、水」
スタジオ内の壁際のベンチに並んで座り、俺はペットボトルを差し出した。
「ありがとう。丁度それが欲しかったところ」
俺は、水を飲む瑠璃子を見つめる。ゴクリゴクリと水を飲むと共に動く彼女の喉を見て、何か妙な気分になる。水が
「俺は小学生かよ……」
「え? なに?」
柔らかい眼差しで俺を見つめる瑠璃子を直視出来ず俺は目を逸らした。喉がエロいね、なんて言ったら幻滅されそうだ。
「いや、なんでもない。しかし、これで明日はいけそうだな。はい、これライブのタイムスケジュールね」
俺はプリントアウトしてきたスケジュール表を渡した。
「へー……え? え? 待って」
「ん? どうした?」
「私達……最後じゃん」
あれ……? 言ってなかったっけ?
「これ、普通は大物とか有名どころがやるところだよね……?」
「あー、え? そうだっけ? うわーほんとだー。主催者に軽く言いはしたけど、本気にしちゃったのかなっ! いやあ参ったねこりゃあ! あっはっは……」
瑠璃子が眼鏡の奥で目を細めた。ちょっと怖いよ、瑠璃子さん。
「……知っててやったでしょ」
「はい」
「相談、なかったけど」
「すみません」
……これに関しては俺が悪い。浮かれて、調子に乗りすぎた。
「はあ……初出場でトリを飾るなんて聞いたことないよ……もう」
瑠璃子が少しむくれたような声を出すが、本気で怒っているわけではなさそうで一安心する。
「悪い。でも、坂井をぶちのめすなら、この順番しかないんだ。あいつらには精々前座を務めてもらおうぜ」
「……うん。でも、なんかね。最近はリベンジも馬鹿らしくなっちゃってさ」
瑠璃子はそう言って、壁に体重を預けた。
「へ? もしかして、ライブ出るの嫌になった?」
あれ、俺なんかやっちゃった? もしかして浮かれすぎて暴走してる!?
「ううん、違うの。あの時はさ、悔しかったけど……なんか最近さ、凄く自信というか、自己肯定感というか、そういうのを感じるようになって。なんかリベンジとかどうでも良いかなって。あ、でもライブは出るよ! 涼真君の作ってくれた歌と舞台だもん」
その言葉を聞いて、俺はなんと返すべきか迷いながらも口を開いた。
「リベンジも俺が言い出した事だしな。瑠璃子の思うようにすればいいと思うよ。まあ、残念ながら順番はもう変えられないけど」
「うん。緊張しそうだけど、頑張る」
「最大限サポートするから、心配すんな。これが成功すれば、瑠璃子の歌声が世界に届く。ネットがあれば小さなライブイベントから世界に手が届くんだよ」
俺が興奮気味にそう言うと、瑠璃子が小さく頷いた。
「世界に届く、か」
瑠璃子が一瞬身体を震わせたような気がした。俺は何となく目を逸らし、自分の分の水を飲んだ。
訪れた沈黙に、しかし何か心地よさを感じていた。こうして隣り合っていることの当然さに、身を委ねているような感覚。
だから、しばらくして彼女がそれを話し始めたのも、ごくごく自然なことだった。
「……私のお母さんね、有名な歌手だったんだ」
「へ? マジ?」
「うん。でもね、私が物心つくぐらいに、家から出て行っちゃったの、お父さんと幼い私を置いて」
瑠璃子の目はどこか遠くを、懐かしむように見つめていた。その表情が、俺はなんとなく嫌だった。
それは、まだ十代の女子が浮かべる表情ではない気がしたからだ。
「それからは歌手としての活動もしていないみたい。なんで出て行ったのかも、今どうしているのかも分からないけど……お母さんの歌声が好きだった。いつも色んな歌を歌ってくれてね。だから歌は、私とお母さんの間にある唯一の繋がりなの」
「そっか……だから好きなんだな、歌うの」
「そう。だから、さっき涼真君が言った言葉――私の歌が世界に届く、ってやつ。ちょっとゾワっとしちゃって」
前を向いたまま、瑠璃子が左右の腕で自身を抱きしめた。
「ゾワっと?」
「鳥肌みたいな。だってさ、もし私の歌声が世界に届けば――どこかにいるお母さんが聞いてくれるかもしれない」
その言葉を噛み締めるように言って、瑠璃子は俺へと顔を向けた。その目は少しだけ潤んでいて、だけど嬉しそうに笑っていた。
「それが……嬉しくて」
複雑な感情だろう。それは、人生イージーモードで何一つ不自由がなかった俺には手の届かない領域の感情だ。
だからこそ、俺に出来ることは一つしかない。
俺はまるでそうするのが当たり前とばかりに、瑠璃子の手を握る。細く、小さなその手はヒンヤリとしていて、その冷たさが心地良かった。
「大丈夫、俺に任せろ。最高の舞台を用意してやる。だから明日、
「うん。涼真君、ありがとう」
そう言って、ぎこちなく瑠璃子が俺の肩へと寄りかかってきた。
俺らの間に、それ以上の言葉は必要なかった。
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