24、エトランジェで会いましょう

「え……?」

「いや。最初からお前は俺のことが嫌いだったな。今さらか……」


 切ない吐息がリコリスの耳をくすぐる。


「……嫌いじゃないですよ」


 リコリスは淡く微笑み、子どもにするようにオーランドの背を叩いた。


 本当に、どうしようもない人だと思う。


 女性に振り回されることに憤り、自分が振り回す側に回ったら、因果応報とばかりに友人だった男から恨まれていることが分かって……。


 これが本当に、あのオーランド・スペンサー?

 自信たっぷりにバイオレットを口説いていた姿はどこへやら。クールでそっけない素顔の下は、結構ダメダメで情けなくて。とてもスマートで素敵な男性とは言い難い。


 だけど、そんなところが愛しいと思う。


 願わくば幸せになってほしい。傲慢さがなくなった今の彼なら、きっと女性を幸せにできるだろう。


 伯爵家にふさわしい令嬢と――……


「好きにはなってくれないのか」

「……わたしは、あなたにふさわしくありませんから」

「ふさわしいかふさわしくないかは俺が決めることだろう。好きか嫌いかを聞いている」


 珍しく気弱な態度のオーランドが身体を離し、リコリスを見つめた。


「俺のことが嫌いだと言うなら、もうこれっきりにする。真面目なお前の方こそ、俺と関係を持っている女だと噂されることは耐えがたいだろう」


 じゃあ、もしも好きだと言ったら?

 問いかける前に、オーランドの瞳の奥の熱が揺らめいた。


「だけど、そうじゃないのなら――お前を、俺のものにしたい。二度と他の女に目移りしたりなんかしないと誓う。俺を変えたのはバイオレットとリコリスで――どちらの顔のお前も、好きだから」


 ぎゅっとリコリスの胸が詰まる。


(バイオレットの姿をしたわたしは、オーランド様に惹かれていた)


 でも家庭教師の姿だったら、彼はリコリスのことなんか気にも留めなかったかもしれない。そんな思いがリコリスの気持ちをより頑なにさせていた。


「もし……」


 リコリスの呟きに、オーランドが続きを促すように軽く首を傾ける。


「もし、わたしが『リコリス』でも『バイオレット』の姿じゃなくても、見つけてくださる自信はありますか?」

「ある」


 オーランドは即答した。


 でしたら、と。

 リコリスは、挑戦的な眼差しで、泣きそうな顔で、祈るような声で、オーランドに懇願した。


「わたしを、見つけてください。明日の夜、エトランジェで」



 ◇◇◇



「できました……!」

 三人のメイドの声に、リコリスは瞼をそっと押し上げた。


 鏡の中にいるのは、柔らかなペールグリーンのドレスを着たリコリスだ。


 絞ったウエストに、ふんわりと上質な生地を重ねたスカート部分は初々しい清楚さがあり、装飾の少なさはかえってすっきりと品よく見せてくれる。結ったリコリスの髪のあちこちには生花を差してもらった。


 バイオレットの時には清楚風にしても、派手な妖艶風にしても、凝った装飾や宝石で身を飾ることが多かったのでこれだけでもずいぶんと印象が変わって見える。


 そして何より決定的に違うのは、ドレッサーに置かれている仮面だ。装飾部分はすべて本物の野花で覆ってある。


 丈夫な白詰草の茎をベースに、レンゲや小花を編み込んで作った。


 羽根飾りのついた仮面や、財産をアピールするために宝石を埋め込んだデザインなど、エトランジェでは様々な奇抜な仮面を見てきたが、さすがに摘んできた野花で作られた仮面は見たことがない。花は萎れてしまうので、今日限りの仮面だ。


 これまでロクサーヌやメイドたちと作り上げてきた「高貴で謎に満ちた令嬢レディ・バイオレット」ではなく。

 どこか初々しく、素朴な雰囲気の少女が鏡の中にいる。


「リコリス、本当に行くの?」


 ロクサーヌは心配そうだった。

 一連の事件のことをずっと気に病んでいたし、またリコリスが危険な目に合うのではないかと思ってくれているのだろう。


 同じく三人のメイドたちも。「エトランジェに行きたい、こういう雰囲気で、こういう仮面をつけて行こうと思うの」とリコリスが注文を付けるのは初めてで、戸惑いながらも彼女たちはリコリスに手を貸してくれた。


「ええ。でも、エトランジェに行くのは、正真正銘、今日が最後よ」




 なぜかって?

 リコリスは今夜、姿を隠した仮面舞踏会で出会った相手と恋に落ちるからだ。

 身分を隠し、名を隠し。姿形に惑わされず惹かれ合った相手と恋に落ちる。

 その相手は――



 ◇



 奇抜なペイントの仮面の男性は、エトランジェのホールに入るなり、真っ直ぐに一人の女性の元に向かって歩いてきた。


 他の誰も目に入っていないと言った様子で、凛とした立ち姿でフロアの隅にいる野花の仮面の少女に向かって手を差し出す。


「踊っていただけますか、レディ?」

「ええ、もちろん。喜んで」


 そして彼女もまた、彼しか見えていないと言った様子で差し出された手をとる。

 二人は束の間見つめ合い、そして抱き合った。


「……おかしなことを言うようですが、貴女とは初めてあった気がしませんね」

「まあ。ふふふ、わたしもだわ」


 白々しいやり取りの後に、お互い笑い合う。リコリスだけにしか聞こえない声でオーランドが「どんな格好で俺を試すのかと思っていたら……。普通にわかりやすかったぞ?」と呟いた。


「……それは、あなたがわたしのことを知っているからですよ」


 素朴な野花の仮面姿は、周囲の客からはちょっと無知な令嬢が紛れ込んだように見えている。夜遊びを教えてあげましょう、などと声を掛けてくる男性客はいたが、バイオレットと同一人物だとはまるで思わなかったらしい。


 ここにいるのは、ドレスや仮面の雰囲気が違うだけで見分けがつかなくなってしまう客が大多数だ。


 手を取ってフロアに出ても、野花の仮面の少女と、間に合わせで買ってきたような安っぽい仮面の青年は、初々しい者同士の交流にしか見えないだろう。しかし、二人の身のこなしは軽やかで、優雅で、そしてどこか甘く、客たちの視線を惹きつけた。


 曲が終わり、ダンスの輪がほどけていく中、少女と青年は見つめ合う。


「……好きです、あなたが」


 泣き笑いの顔で少女が呟くと、青年も切なげな表情で笑う。


「俺も。貴女がどこの誰だとしても、愛してる」


 大胆にもフロアで交わされたキスに、客たちからは歓声が飛んだ。

 この話は、後日、社交界をにぎわせることになる。




 伯爵家の令息と、男爵家の

 姿を隠した男女は仮面舞踏会で出会い、恋に落ちた。



 ……真実を知るのはごく一部の人間だけ。


 多くの人々は、まるで物語のような恋だと口にした。とりわけ、恋に恋するお年頃である良家の若い子女たちがこぞって仮面舞踏会なるものに参加したがり、世の父親たちをおおいに悩ませた。


 そこでエトランジェは三階の客室を閉じ、貴族家庭からの寄付金で警備を増やし、若気の至りでトラブルにならないようにと気を配った上で、新しい客たちを歓迎した。


 もちろん、乱痴気騒ぎはご法度。

 ご令嬢に無理強いをしようとすれば警備が飛んでくる。


 ここはあくまで恋と駆け引きを楽しむ場所なのだ。


 仮面の下に隠した本当の顔を見抜けるかどうかはあなた次第。


 さあ。世間の風評に、姿形に、甘い言葉に惑わされずに、あなたは真実の恋を見つけられるだろうか?

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