終.思いを飲み干して


光あれ、と神は言い、お通しアレ!?と私は言った。

ゲロトラップダンジョンを攻略した2週間後に吐いた台詞だ。


邪悪なる魔術師エメトは捕縛され、

彼によって奪われた酒とつまみはすぐに取り戻された――

というわけにもいかなかった。


酒とつまみ自体は全てエメトが買い占めたものだ。

もう二度と奪われることがなくなっただけで、

酒とつまみの正しい流通が取り戻されるまでに、2週間の時を有した。

これでもう、極端に酒が無くなることは無い。


そして、大人数の人々を傷つけるために、酒が使われることもない。

様々な宴の席で酒は良くも悪くも働くだろうが、

少なくとも、ヤカサの父親が殴り込むようなことにもならないだろう。


「よくやったノミホ、お前は中々凄い奴だ」

テーブルの上に、アタリメが2本だけ載った皿が置かれている。

騎士団長ルナ・ノンディモーノ・マレが微笑を浮かべているが、

ノミホとしてはそれどころではない。

お通しと呼ばれる酒場における独自文化のことは知っていたが、

アタリメ2本で5000フグを請求されるとは、ノミホは悪夢を見ているようだった。


「あの……ルナ団長、高すぎやしませんか!?」

「高級店とはそういうものだ」

アタリメをくちくちと噛みながら、ルナが応じる。

美しき騎士団長は、アタリメを噛んでいても絵に描いたように美しかった。


「しかし、幾らなんでもボッタクリとしか思えないのですが」

薄暗い店内、客はルナとノミホしかいない。

机には消しきれていない染みが残っており、

調味料の蓋のてっぺんにうっすらと埃が積もっている。

店員がじろりとテーブルに視線を向けてくる様は、

とても、この店を高級店とは思わせてくれない。


「民を信じろ、我が国の民にそのような悪辣な奴らはいないさ」

「その民を兵器で消滅させようとしていませんでしたか?」

「ふっ、言うようになったな。ノミホよ。

 だが……どうせ、お前なら助けたさ」

ノミホが取りかけたアタリメを、ルナは先んじて口に運んだ。

くにくにとアタリメを噛みながら、騎士団長は言葉を続ける。


「これでも騎士団長だ、信じられる部下のことぐらいはわかる」

「だ、団長……!」

「それに……綺麗だっただろ、あの消滅の光は」

「えっ、たしかにあれは綺麗でしたけど……」

「あの光を見るのがたまらなく好きでな……

 ついつい、理由を探して撃ってしまうんだ。

 どうにもならなそうなミッションがあると丁度良くて嬉しいぞ。

 安心しろ、ノミホ。お前がどうしようもなくなったら、

 私は何時だって、あの綺麗な光でお前を助けてやるからな……フフ」

「……エメトよりこっちの方がヤバい」

「とにかく……ノミホ、お前たちが取り戻した酒だ。好きなものを呑むが良い」

「じゃあ、カルピスサワーを。でも酒ってそんなに良いものですかね」

「カルピスサワーか良いな。私は、生ビールにしよう。ん、どうしたノミホよ」

「いえ、まぁ……破滅ギリギリの飲酒を色々と見てきたもので」

店員を呼びかけたルナがそれを止め、ノミホに向き直す。


「他人の破滅を防いでばかりで、お前自身は酒を呑んでいないからな」

「えぇ、まぁ」

「ヤカサ君の父親はそれでもビールを作り続け、人々も酒を呑むことは止めない。

 まず食事に合うというのがあるが……

 まぁ、お前が聞きたいのはそういうことではないな」

「エメトは間違っていました、それは間違いないことです。

 でも、何故……そこまでして人は酒を呑むのでしょうか」

「まぁ、エメトがいようがいまいが、酒は酒のままだ。今も昔も変わらない。

 人の理性を緩め現実をぼやけさせる魔法の液体、世界で一番美味しい毒。

 それがアルコール飲料だ。

 私はそれが良いものかと聞かれればそんなに良いものではないと言うだろうし、

 悪いものかと聞かれればばそこまで否定するようなものでもないと言うだろうな」

そこまで言って、ルナは店員に生ビールとカルピスサワーを注文した。


「皆が皆、楽しく生きられるわけじゃない。

 皆が皆、勇気を持っているわけじゃない。

 皆が皆、素面で生きられるわけじゃない、というところだ。

 辛い気持ちを酒と一緒に飲み干して、腹の中で曖昧にしたいこともある。

 勇気を外付けで補うために酒を呑んで、勢いづけて何かを言いたいこともある。

 ただ、楽しむためだけに酒を呑みたいこともある。

 アルコールは心を溶かして、中に閉じ込めている感情を身体中に行き渡らせる。

 ……まぁ、なんだろうな。一言で言うなら、解放だ」

「解放ですか」

「ああ、結局人間は自分自身を閉じ込めたままでは生きてはいられない。

 趣味でも、仕事でも、酒でも……

 何かしら、どこかで自分自身を解いてやらないといけないのだろうな。

 まぁ、酒に頼らなくても良いなら、それにこしたことはないが……

 私はお前と呑みたいな」

ルナがノミホにウインクを送る。

「えぇ、呑みましょう」

ノミホも笑顔でそれに応じる。


結局、酒もあらゆる手段の内の一つで、結局、どう付き合うかだ。

他の事柄と同じように、上手く付き合って行くしか無いのだろう。

そして、私は今日初めて、酒との付き合い方を試す――つもりだった。


「イェーマグチ警察だ!!」

酒場の扉が蹴破られ、複数人の青い軽鎧の男たちが店内へと突入した。

店員は取り押さえられ、ルナの注文は形にならず、空中を彷徨った。


「麻薬密売!暴行!あとボッタクリ!」

罪状を叫びながら、店員に関節技を極めていく軽鎧の男たち。


「ボッタクリでしたね」

「ボッタクリだったな」

「次からは団長と飲みに行くときは、私が店を決めます」

「……成長したな、ノミホ」



「結局、それで私は未だに酒を呑んだことはない」

「お前の上司ヤバいな」

ヤカサが端的な感想を呟いた。喫茶店でのことである。

ノミホは未だに酒を呑んだことがなく、ヤカサは酒が呑めない。

だからというか、昼に会っては夕方に解散するような関係が続いている。

酒が呑めないことが夜に会わない理由にはならないが、

ただ、あれから2人で冒険するような事態にもならず、

なんとなくそれ以上に踏み込む、切っ掛けというものが掴めないでいる。


――勇気を外付けで補うために酒を呑んで、勢いづけて何かを言いたいこともある。


不意にノミホはルナの言葉を思い出した。

例えば、それはこういう時だろうか。

お互いに共有する曖昧な感情を、はっきりと言葉にしたい時。

そう、相手に好きと言いたい時、

そして、それは多分――色んな意味が籠もった好きな時。


喫茶店のメロンソーダの鮮やかな緑色をストローで吸いながら、ノミホは思った。

メロンソーダを飲み干して、ビールを注文する。勢いをつけて、私は叫ぶ。

顔を赤くして、身体をよろめかせて、笑うか、怒るか、泣いたりしながら。


「……ノミホ、話があるんだ」

メロンソーダを飲む手を止めて、ノミホはヤカサの顔を見た。

顔を赤くして、少しだけ声を震わせながら、

その目はしっかりとノミホの顔を見ている。


酒を呑んでしか吐けないような言葉はある。

しかし、酒が呑めないヤカサは、全ての言葉を素面で吐き出すしかない。

誰かに愛しているを言うのに酒を呑んで勢いづけるのは、

人によっては良いとも、悪いとも言うだろう。

きっと、ノミホが酒の力を借りて愛していると言っても、

ヤカサは少し苦笑して受け入れてくれるだろう。


それでも、ヤカサがそうしようとするのならば、

今、この瞬間は自分だって、そうしたいとノミホは思った。


「私から、言わせてくれヤカサ」


ノミホは思いの全てを吐き出し、ヤカサはノミホの思いを全て飲み干した。

おそらく、2人は上手く付き合っていくことだろう。

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