14.魔獣到来

「クク……正式に提出しなければならない書類って、

 ボールペンを使わないといけないのが本当に厭ですねぇ。

 鉛筆で下書きをしてからなぞるように書くのが一番良いのでしょうが、

 下書きをしても失敗する時は失敗する……!

 ある部分のミスに気づいてしまって、

 書類を最初から書き直す羽目になった時は、

 書類と共に世界を終わらせてやろうかと思いましたよ」

「わかる、俺もそれで何枚も履歴書殺したよ。

 写真を貼った後に出身大学の学部学科を書き忘れた時は、死のうかと思った」

「クク……ご愁傷さま、もっとも……今の私にそのような弱点はありませんがね」


暗黒にして邪悪なるスタッフルームに、ボールペンの音が響き渡る。

その音に淀みはない。

時計の針が時を刻むかのように、正確に筆記音は続いていく。

恐るべし邪悪なる魔術師エメト、

誤字の1つもなく、感想をひたすらに出力し続けている。


「テ、テメェ……!まさか……!」

「クク……ご明察の通り、私はボールペン字の通信講座を受けているんですよ。

 パソコンにスマートフォン、手書きで字を書く機械は失われていますが、

 それでも、いざという時に……役に立つ。それに」

「それに……!?」

「自分の字が上達するというのは単純に気分が良いですからねェ!!

 貴方にも教えてあげましょう……この快楽を」

邪悪なる魔術師エメトが、書き終えた礼状と共にヤカサにパンフレットを渡した。

歴史深いボールペン通信講座のパンフレットだ。


「1日30分で字が上達だと……そんな上手い話が!」

「クク……では、最近の貴方は1日30分でも定期的に、

 能力向上のために努力をしましたか?」

「そういうことか……!」

「そう……塵も積もれば山となる、普段からの努力、習慣づけが大切なのです。

 それに……いざ、始めてしまえば、

 30分以上やっているものですからねぇ……!!」

「それがテメェのやり方ってわけか……!!」

「クク……職場での休憩時間を使って30分……!!

 家でもついつい気になって、30分……

 時計を見ると、それ以上の時間が経っている!!気分が良いですよォ!!」

「だが、テメェと相容れそうにはねぇな。俺は結構飽きっぽい……」

ヤカサの言葉に、邪悪なる魔術師エメトは口の頬を吊り上げた。


「クク……私もかつてはそうでした……

 勉強の予定とは必ずしも、そのとおりに進まぬもの。

 投げ出したくなることは、多々あります。

 だが、それを克服する方法があるとしたら?」

「なんだと!?」

「簡単なことです……どれだけ間が空いても続けるんですよ!!

 3日坊主でも、続ければ、その努力は積み重なる!!そう信じて!!

 私も最初は気が向いた時にやる程度でした……

 しかし、その間隔は少しずつ短くなっていきました……!!

 そうなるまでに、1年かかりましたがねェ!!」

「くそ……!!」

「さぁ、無駄話は終わりです。魔獣を呼ぶとしましょう!!」


恐るべき邪悪なる魔術師エメト、通信講座すら使いこなす恐るべき才能の持ち主。

そんな彼の全知全能で作り上げた魔獣が、ヤカサに牙を剥こうとしているのだ。

指を打ち鳴らすエメト、それと同時に魔法陣が床に生じた。

魔法陣がゲーミングの輝きを帯びて、起動する。

ヤカサを嘔吐せしめる恐るべき魔獣を召喚するために。

見るが良い、魔法陣の中央を。

厳重なる殻に覆われた、邪悪なる怪物を。


「フェイロセイマ国名産!牡蠣!

 殻を剥いて……いや、こういうのは自分でやった方が楽しいですよねェ!」


牡蠣――海のミルクとも呼ばれる栄養価たっぷりの貝類である。

厳重なる殻に反して、その中身はぷりぷりの食感を持つ。

さながら、鎧に覆われた美しき女騎士が如く。


焼いて良し、茹でて良し、蒸して良し、フライにして良し、

大抵の手段で美味しく頂ける牡蠣は――当然、生でも美味しい。


だが、それは罠である。

牡蠣は生物濃縮によって、その身に恐るべきウイルスを持つことが出来る。

その名をノロウイルス――加熱すれば、どうということはない存在であるが、

もしもノロウイルスを有した牡蠣を生でぺろりと行こうものならば、

下痢と嘔吐で、1~3日はトイレと布団を往復することになる。

ノロウイルスは潜伏期間を経て発症するが、

邪悪なる魔術師エメトの嘔吐クチュール魔獣である牡蠣は、

そのような潜伏期間などは許さぬ。

体内に取り込んですぐに発症する、嘔吐の大爆弾である。


牡蠣が、アイスピックと共にヤカサの前に差し出される。

自身を守る厳重なる殻は、

アイスピックの前では、鍵のかかっていない宝箱も同然。

開けられてしまえば、柔らかなその身をヤカサに投げ出して、

ただただ、蹂躙を待つのみなのである。


「貸せッ!」

ヤカサはエメトからアイスピックと共に生牡蠣を引ったくった。

ヤカサよ、恐るべき魔獣の牙に飲まれてしまうというのか。


「クク……美味しく召し上がるといいですよォ!!」

「ああ、美味しく頂かせてもらおうか!!」

ヤカサは背負った風呂敷から七輪を取り出した。

炭の用意良し、火打ち石の用意良し、牡蠣良し。


「七輪を用意していただとォ~~~!?」

「ゲロトラップダンジョンであろうと、迷宮は迷宮!

 冒険者たるもの、加熱調理の準備は必須!!

 もっとも、床に直で焚き火してやった方が良かったか!?」

「貴様ァ~~~!!!」

慇懃なる態度が崩れ、怒りに叫ぶ邪悪なる魔術師エメト。

それを意に介さず、火打ち石で七輪に着火するヤカサ。

広がる炭の匂い、そして煙。


「ゲホッ……ごめん、ちょっと換気扇回して」

「貴様ァ、しょうがないなぁ……!!」

回りだす換気扇が、七輪の煙を外部へと排出する。

恐るべき邪悪なる魔術師エメトの本拠地たるスタッフルーム、

あらゆる事態に備え、換気扇まで備えているのだ。


「初めて食べた時は、焼き方を知らなくて、

 店員さんに、片面じゃなくて両面焼くんですよって教えてもらって、

 とんだ恥を晒したものだが……今の俺にそういう隙はない」

ヤカサは、良い焼き加減になった牡蠣をアイスピックでこじ開ける。

唯一自分を守る術を失った牡蠣は、その身をただヤカサに捧げるのみである。

その身をぷっくりと膨れ上がらせ、旨味そのものの汁を滾らせていた。

ヤカサは汁を飲み、身を食う。

それは、牡蠣一つで完結する皿に盛られたスープ料理も同然である。


「貴様ァ……私の新たなる魔獣を美味しく召し上がりやがって!!」

「常識で考えろ……ここまで辿り着いた奴が、こんな牡蠣で倒れるわけがねぇだろ」

「言われてみれば……クソ!

 ノロウイルスの改良に必死になりすぎて、根本的なことを忘れていた!」

「終わりだ、エメト……覚悟を決めろ!!あと水道借りるぞ」

「クク……これで、終わりだと思っていたのか。甘いんですよ。

 あ、水道は奥の方です」

ヤカサは七輪の火を消化し、エメトに向きなおす。

先程までの怒りが嘘であったかのように、エメトは奇妙な冷静さを有していた。

何かがある――だが、ヤカサもそれは予感していたことである。

父親が今更こんなところで牡蠣を食べて嘔吐するはずがないのだ。

邪悪なる魔術師エメトはまだ、隠し玉を持っている。


「やれやれ、貴方を美味しく地獄に送って差し上げようと思ったのですが……

 全く、残念です……父親と同じ苦しい吐き方をさせることになるとは……」

「……ッ!」

エメトの言葉にヤカサは唇を噛みしめる。

怒りのままに、飛び出しそうになるのを抑える。

ゲロトラップダンジョン最奥部――スタッフルーム、

それは邪悪なる魔術師エメトの体内に等しい。

感情のままに動けば、死はすぐ目の前にある。


「最強の魔獣を呼んで差し上げましょう……!!

 異世界の邪神を模した、我が最高傑作!!

 嘔吐九頭竜ハクトゥルー!!」


邪悪なる魔術師エメトが指を打ち鳴らす、と同時に、

先程とは比べ物にならない巨大なる魔法陣が現れる。

巨大なる魔法陣がゲーミングの輝きを帯びて、起動する。


召喚されし怪物の巨体を見よ。

まるで生まれたばかりの赤子のように、全身がぬらぬらとしていて、

ヤカサの10倍はあろうかという蛇のような胴体から、9つの首が生えている。

その頭部はまるで蛸のようであり、

それぞれの口の先から、別種の酒を吐き出し続ける冒涜的な器官を有していた。

伸びた首は、しかし、人間のそれよりも自由に動かせるようで、

まるで蛇が動き回るが如くであった。

胴体に脚は4つ、尾は長く、冒涜的な竜のようでもあった。


「父親と同じように、この嘔吐九頭竜ハクトゥルーで吐くまで呑ませてやろう」

「……ッ!」


ヤカサは祈るように短剣を構え、嘔吐九頭竜ハクトゥルーと対峙した。

(……勝てる気がしねぇ)


強大なる圧力を放つ嘔吐九頭竜ハクトゥルー

だが、逃げるという選択はヤカサにはない。


(せめて、傷ぐらいは負わせるから……ノミホ、後は頼む!!)


「ウオオオオオオオオオ!!!!!」

ヤカサは獣の如くに吠え、嘔吐九頭竜ハクトゥルーへと駆けた。

絶望はない、彼は相棒を信じていた。

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