ゲロトラップダンジョン

春海水亭

1.その迷宮の名は


光あれ、と神は言い、お通しアレ!?とノミホは言った。

店員が去った後のことである。

ノミホのテーブルの前には、皿の上に枝豆が二粒だけあった。

これで5000フグ(単位通貨、1フグは日本円にしておおよそ1円)が取られるとは、

席代も兼ねているとは言え、ノミホは驚愕した。


ノミホ・ディモ・ジュースノーム(20)は女騎士である。

進学する同級生をよそに、高校を卒業してすぐに地元の騎士団に就職したのだ。

誕生日を迎え、初めて酒を飲むのが、この酒場である。

お通しと呼ばれる酒場における独自文化のことは知っていたが、

枝豆二粒で5000フグを請求されるとは、ノミホも夢にも思わなかった。


「そうだノミホよ、これが酒場の現状である」

騎士団長ルナ・ノンディモーノ・マレ(32)が柳眉をひそめ、静かな声で言った。

安い酒場にあっても、銀髪の女騎士団長の美しさが損なわれることはない。

ルナは箸で器用に枝豆を口に運ぶと、言葉を続けた。


「酒場もぼったくろうと思って、枝豆2粒をお通しで出しているわけではない。

 酒場に対してのみ、物流が止まっているのだ……見るが良い」


ルナの白く、しかししなやかに鍛え上げられた手がノミホにメニューを渡した。


「ビール12000フグ……焼酎20000……たこわさ50000……ぼったくりでは!?」

「ぼったくりではない……どの店も、今やこのような有様なのだ」

「私にはぼったくりとしか思えませんが……」

「お前は酒の値段というものを知らないからな」

「そうでしょうか、そうなんでしょうか……」

「ビール一杯12000フグでは、

 一般民衆は日々の労働の疲れを忘れることは出来ん。

 近く、お前に王命が下り……この件を解決することになるだろう」

「……私が?」

「そうだ、お前がやるのだ。ノミホよ」

柔らかく、しかし重い手がノミホの肩に置かれた。

獅子がそうであるように、その女騎士団長の手は柔らかさと強さを両立している。


「ここの高い酒は私の奢りだ、ノミホよ。

 この国全ての酒場の危機を救ってくれ……!」

「わかりました、騎士団長。この、ノミホ・ディモ・ジュースノームにお任せを」

歴戦の女騎士団長の目を、若き女騎士は真っ直ぐに受け止めた。

ノミホの瞳に宿る熱を見て、ルナは僅かに笑う。

(頼もしい顔をするようになったな……

 書類のコピーを頼んだら、何故かコンピニまで行っていたあのノミホが)


「さて、では何を飲むノミホよ。やはりビールが良いか?

 しかし、ビールは苦いから、最初は甘い奴がいいかもしれんな」

「お酒は飲んだことがないので、軽いものがいいですね」

「となると……」

ルナがメニューに目をやり、思案を始めたその時である。

酒場のやけに厳重な扉が蹴り破られ、店内中に怒号が響き渡った。


「イェーマグチ警察だ!!」

青い鎧の男達が店主に詰め寄っている。

荒々しい声で何を言っているかを正確に聞き取ることは難しい、

しかし「ぼったくりすぎだろ!」「被害届が出ている!」の二つだけは、

彼女たちもはっきりと聞き取ることが出来た。


「ぼったくりでしたね」

「…………うむ」

「ねぇ、ぼったくりでしたね」

「…………うむ」


そのまま別の店で飲みなおすということもせず、解散ということになった。



テーゴクシコク大陸、イェーマグチ王国。

その王都に存在するイェーマグチケンチョウ城は、

最寄り駅から微妙に距離がある難攻不落の城である。

今、ノミホはイェーマグチケンチョウ城の謁見の間にいる。


(この謁見の間に来るのも……入団式以来だ)


謁見の間、その最奥部にはイェーマグチ王の座る玉座があり、

入り口から玉座に向けて伸びていくように赤い絨毯が敷かれている。

大理石で出来た床は、歩けばコツコツと小気味の良い音を奏で、

床そのものが、王を讃えるための楽器になったかのようだ。

玉座にも、この部屋自体にも、

黄金や宝石など、誰の目にもわかるような豪奢な飾りはないが、

熟練の職人が仕上げた複雑怪奇たる文様の細工は、

如何なる輝きにも劣らぬ、人間の技量の煌めきを見せている。


ノミホはルナと共に王の通る赤絨毯の側に、控えていた。

謁見の際は、まず臣下が入室し、そして王が入室するようになっている。


扉を叩く重々しい音が三回、謁見の間に響き渡った。

「どうぞ」

ルナが王に入室を促す。

扉が開くと同時に、ノミホが声を張り上げる。

「イェーマグチ王のおなーりー」

かつて異世界より訪れ、この世界を救った英雄、

マナー孔子により伝わった伝統的な作法である。

誰もが皆、これは何かがおかしいのではないかと思っているが、

誰もこの伝統を改めること無く、現在も続いている。


ルナとノミホは頭を深く下げ、イェーマグチ王が玉座に座るのを待つ。

「面を上げい!」

王の許可が出るまで、決して頭を上げてはならない。

かといって、王が許可を出しても、頭を下げたままでいることも許されない。

マナーとは複雑怪奇、決して油断を許されない不視の怪物であるのだ。


「ははーっ!」

ノミホの顔を上げた先には、イェーマグチ王が玉座に座っている。

身長の低い男であったが、その分だけ筋肉があった。

小男と大男を一人で両立するかのような、恐るべき肉の密度である。

むしろ、筋肉の密度を増すために身長を低くしたのではないかと思わされた。


「ノミホ・ディモ・ジュースノームよ……汝の年齢は20歳で相違ないか?」

「ははーっ!」

「本日の体調は良好か?」

「ははーっ!」

「何か持病とかはあるか?」

「特にございません!」

「一気飲みの危険性について理解しているか?」

「理解してございます!」

「よろしい!ではノミホ・ディモ・ジュースノームよ!汝に命を下す!」

配下たる女騎士の返答にイェーマグチ王は満足そうに頷き、

ノミホは緊張に唾を飲み込んだ。

早鐘を打つ心臓は、王を讃えるための音楽を奏でていなかったことは確かである。


「酒とつまみの流通が滞っていることは知っているな、ノミホよ!

 その原因となるゲロトラップダンジョンを踏破し、

 イェーマグチに酒とつまみを取り戻してくるのだ!!」

「ゲ、ゲロトラップダンジョン!?」

「ゲロトラップダンジョン!!」

ノミホは一瞬聞き間違いを疑ったが、

その疑念を吹き飛ばすかのようにイェーマグチ王は言い放った。


「よいか、ノミホよ!ゲロトラップダンジョンとは、その名の通り、

 あらゆるトラップで以て、侵入者を嘔吐せしめんとする、悪辣たる迷宮!

 その迷宮の主である邪悪なる魔術師エメトは、

 あらゆる場所から酒とつまみの買い占めを行い、我が国の酒場を破綻に追い込み、

 その上、アルコールを求める者を自身のゲロトラップダンジョンに呼び寄せ、

 嘔吐する姿に興奮しているかなり迷惑な奴だ!」

「凄い迷惑ですね……」

「騎士団で飲酒可能な年齢に達しており、特に酒でやらかした経験もなく、

 未成年の内は、人にお酒を勧められてもちゃんと断ってきた騎士!ノミホよ!

 汝の強靭なる精神力に期待する!!

 ゲロトラップダンジョンに潜む酒の罠をくぐり抜けて来るのだ!!」

「は、ははーっ!!」


なにか釈然としないものを感じる、そう思いながらもノミホは深く頭を下げた。

その姿はどこか、同僚がやらかしたせいで店に頭を下げる幹事の姿に酷似していた。

まるで、彼女の未来を暗示するかのようであった。

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