いじめられっ子が入院した
永坂 友樹
第壱話
「早瀬さんが持病により、入院しました」
眠気まなこで六限を乗り切り、帰りの支度をしていた僕は最初、何かの聞き間違いだと思った。
確かに早瀬はここ一週間学校に来ていない。けれど、休んでいる理由がまさか持病だとは思いもしなかったのだ。むしろ、別の要因に心当たりがあった。
「今日、私のところに連絡が来たの。とりあえず、みんなには伝えておこうと思って」
その後のことはよく覚えていない。気がついた頃にはホームルームは終わっていた。
その事実を僕らに伝えてどうするのか。早瀬の容態が良くなるのか。
そんなことはないに決まっている。
「早瀬、まさか持病持ちだったとは」
重い腰を上げて帰ろうとすると、いつも一緒に帰っている春馬が僕の席に寄ってきた。
「あいつ、まさか入院するなんてね。やっぱりなよなよしいわ」
教室の窓側の隅の机に群がっているカースト上位の
彼女たちは当事者だろうに、罪悪感というものが欠如しているらしい。
「そうだな」
僕は春馬に曖昧な返事をした。
僕らは彼女がいじめられていただなんて口が避けても言えない。もしかしたらその精神的なストレスで持病があったのかもしれないと、なんとなく思ったからだ。
「無事に退院できればいいな」
そんな言葉を続けながら僕と春馬はは教室を後にする。
退院したところでどうするというのか。結局はまた早瀬はあの最悪な日々に戻るだけ。いいことなんてあるようには思えなかった。
それ以降、ぼくと春馬は早瀬の話をしなかったように思うけど、僕は上の空で、何を話していたか、よく覚えていない。気が付けばベットにいた。
「おはよう。郁哉」
翌朝、いつも通り学校の最寄駅で春馬と合流する。
「おはよう」
十月に入ったとはいえ、まだ暑さが抜けていない。上から照りつける太陽と、それを反射したアスファルトの上熱が鬱陶しかった。
「まだ暑いよな」
春馬も同じことを思っていたらしい。
「俺の中では九月と十月が秋なのに、これじゃあ夏と変わらない。早く涼しい教室に入りたいな」
春馬が汗を拭う。
「もうすぐそこじゃないか」
校門をまさにくぐろうとしたタイミングだった。
「一組の早瀬って奴が入院したんだって」
「余命半年らしいわ」
「持病って本当なのか?」
教室に行くまでに早瀬の話題を他のクラス、はたまた他の学年からも聞いた。
「噂ってこんなに早く広がるんだな」
「そうだね。尾ひれもついて。そのうち原型も無くなりそうだよ」
春馬がポツリともらした。
昨日、余命だとかそういう話は一切されていない。でも、そう言ったほうが話題性は出るだろう。
彼女がもしこのまま帰ってこなければ、クラスに平穏が戻るのだろうか。それとも新しい標的が選ばれるのだろうか。
そもそもどうして早瀬がいじめられ始めたのかもわからない。
「早くおもちゃには帰ってきてほしいなぁ」
阿知使主と同じグループの大川優がわざとらしく大きな声で言った。
教室の外ではあらぬ噂が飛び交い、教室では阿知主たちの理不尽な不満を聞かされる。
早瀬がいじめを受けていたときはどうだっただろうか。
少なくともクラス外での噂はなかったし、してはいけないような雰囲気があった。いじめがエスカレートしていくと、いじめが教室外で行われるようになっていったから、教室までもが居心地悪いということはなかったように思う。
「おもちゃだなんて、流石に言いすぎじゃない?」
隣の席に座っている委員長の大和鈴音が小声で話しかけてきた。
黒髪に赤い眼鏡をかけ、制服をきちっと着こなしている。
僕が副委員長であることもあって、何かと話すことが多いが、この手の話をするのは初めてではなかった。
「大川たちの考えてることなんて、僕らにはわからないよ。もう僕らの物差しでは測れない」
早瀬は何も悪いことをしていなかったし、大川たちを害するようなこともしていなかった。もしかしたら、いじめることに理由は必要ないのかもしれない。
「みんな席について」
教室の前のドアが開き、担任が入ってくる。新任というわけでもなければ、ベテランというわけでもない。僕らと同じでいじめを黙認していた仲間。
「昨日、あのあと考えたのだけど、早瀬さんに向けて、みんなで寄せ書きを作らない?」
昨日と同じだ。僕には先生が何を言っているのかわからない。
「何その小学生くさい提案」
阿知使主がその特徴的な緑色の髪をいじりながら不満そうに言う。
確かに幼稚そうな響きはあるが、僕が問題に思っているのはそこではない。
今更早瀬にどの面下げて寄せ書きを渡すというのだ。
「1限目の先生の授業で全体で案をまとめると言うのはどうでしょうか」
隣の委員長が手を上げた。
マシな案は出るかもしれない。最低な話、何もしないという結論が出て欲しいとまで思ってしまう。
「私もそうしたいと思ったのだけど、授業が押してるから出来ないの……」
先生がいかにも辛そうに言った。
クラス全体でも先生の意見が気に食わなそうな空気感が漂っている。
どうやらみんな考えていることは同じらしい。
「いいぜ。とっとと書いて、早く戻ってきてもらおうぜ」
大川が少し煩わしそうに言った。
大川の一言で、クラスのざわめきが一瞬で静まった。
早くおもちゃに戻ってきてほしい。冗談ではなく本当にそう思っているのか。僕には何もわからない。
「じゃあ、大和さん。色紙を渡すからことあと職員室に来てね」
先生は逃げるようにそう言って教室を出ていった。
寄せ書き制作は委員長に押し付けるような形になった。
「郁哉くん、私だけだとできそうにないから、少し手伝ってくれない?」
職員室から帰ってきた委員長にそう言われたのは、それからすぐのことだった。
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