クランクイン

 台本が届いて読んでたんだけど、ミサトの出るシーンは多くないのよね。中心は冒頭部の写真小町が写真を撮るシーンと、補足するような回想シーンぐらい。セリフも無くて共演もいないとしか読めない。


 これだったら一ヶ月も必要ないどころか、一日で撮れそうじゃない。いやそうさせて見せる。ミサトには前期試験が待ってるんだよ。それにしても、撮影前の打ち合わせって映画にはないのかな。台本の読み合わせとかさぁ。まあ、一人だけで撮られるし、セリフもないから、こんなものかもしれないか。


 映画もかつては映画会社が専用の撮影所、監督、俳優、女優、スタッフ抱えていたらしいけど、今は映画ごとにスタッフが集まるスタイルが主流だって。だからミサトが行ったのも撮影所でなくて貸しスタジオみたいなところ。


 控室に案内されて、衣装に着替えてメイク。さすがは本格的だ。用意が整うとスタジオに。入ると滝川監督と撮影スタッフのみ。今日はミサトのシーンだけだから、他の出演者の姿はないか。


 入る前は緊張してたけど、入るとリラックスしたかな。写真と映画の違いはあっても、撮影スタジオだからバイトやってる時と変わらない感じになった。もっとも、今日は撮る方じゃなくて、撮られる方だけど。


 セットは小さな丘の上にマリア像が置いてあり、それを写真小町役のミサトが撮る段取りのはず。どうするのかと思っていたら、


「尾崎君、まずここから立って撮って、そこからこう歩いて、次はここでかがんで・・・」


 演技指導が始まった。一通り聞いたら、


「テスト行って見よう」


 ミサトが言われた通りにやったら手直しがあり、なんどかそれを繰り返した後に、


「本番行きます。シーン1、テイク1」


 これもサキさんに聞いたんだけど、今はテストや本番どころか、撮影現場をすべて撮ることが多いんだそう。フィルム時代はフイルムと現像代が高かったから、本番を撮る回数を節約するのが重要だったそうだけど、デジタル時代になって、そこの制約がなくなったからだって。


 言われて気づいたけど、ヒット作の場合はメイキング・ドラマがよく作られるし、テレビドラマだって、NG集も含めたメイキングを良く放映するものね。あれは、本番以外を撮ってないと出来るものじゃないものね。


 それでもテストと本番を分けるのは、フィルム時代からの慣習と、役者や撮影スタッフに気合を入れる意味はあるらしい。それでも気になったのは今日の予定。スタジオに撮影予定表が貼りだしてあるんだ。その日にどんなシーンを撮るか書いてあるのだけど、今日はミサトのシーンだけ。


 でもさぁ、たかが数分のシーンだよ。一日もいるかと思ってたら甘かった。本番になってからも、ミサトの演技の手直しだけでなく、セットの手直し、さらにミサトの衣装やメイクも次から次へと手直ししていくんだよ。


 衣装なんて着せ替え人形状態で、着物からドレス、普段着っぽいもの、最後には高校のブレザー風の制服まで出てきたのに驚いた。衣装が変わる度に演出も変わるから、そりゃもう大変。撮影が終わる頃にはヘトヘトになってた。映画って手間がかかると思い知らされた。そしたら滝川監督から、


「尾崎君だって写真の仕事では、たった一枚を撮るために一日を費やすこともあるだろう」


 なるほど、そういうことか。撮る方の時は気にしなかったけど、撮られる方になって、やっと気が付いた。夜になってホテルで製作発表の記者会見に引っ張り出され、その後にスタッフ一同の顔合わせのパーティ。なんか順番が前後している気がしたけど、


「どうだった尾崎さん」


 声をかけてくれたのは岩鉄さん。今日の様子を話すと、あれが滝川流だって。普通の監督は撮影前にイメージを固めて、そのイメージ通りに撮ろうとするんだって。そりゃ、そうだろうけど、滝川監督は実際に役者を見てイメージをさらに膨らますんだって。


「だからクランクインの頃は、あれこれイメージの方向性を探る時が多いのだよ」


 それにしてもだよ、着物に袴から、ブレザーの制服までって方向性が広すぎるじゃない。


「だから企画段階と完成後はあれだけ変わるのさ。オレも最後はどうなってるかわからんよ」


 なるほど、これがビックリ箱か。


「監督は撮影日数には忠実だが、なにが起るかわからないから、注意しときなさい」


 製作費が膨らまない秘密の一つが撮影日数の厳守だってさ。製作費の中で大きな部分を占めるのが人件費。映画は出演者どころか撮影スタッフも随時契約だから、撮影日数が伸びるほど人件費が膨れ上がる。スタジオのレンタル料も、もちろんそうなる。


 その代り、とにかく現場では演出の変更が多くて、これに対応する役者さんや、撮影スタッフは大変だそう。まあ、役者やスタッフは、日数さえ増えなければ、いくら働かせても費用は同じだものね。


「でも、そんなに演出が変わったら役作りとかに困るのじゃないですか」

「うむ、そうのはずなんだが・・・」


 これも普通の映画なら、役者さんたちは台本から自分の役のイメージを作るのは基本だって。いわゆる『役になりきる』ってやつだよね。ところが滝川流は、撮影前に役者に役作りをさせない撮り方をしてるって言うのよね。そんなのでまともな映画が撮れるのが不思議だけど、


「滝川マジックとも言われるけど、心配しなくとも役になれるよ」


 滝川ビックリ箱はその日から炸裂した。パーティが終わる頃に明日の撮影分の台本の改訂版が配られたんだ。読んでビックリ、ミサトの登場シーンが増えてる上にセリフまで。そしたら岩鉄さんが、


「尾崎さんは買われてるよ。今日の撮影でだいぶ固まったんじゃないかなぁ。滝川監督にしたら早い方だよ」


 なんだ、このムチャクチャな撮影法は。そりゃ、もめるだろ。翌日も大変。セリフはあるは、他の役者さんとの絡みはあるは、昨日と同じ様な試行錯誤はあるは・・・なにを撮ってるのかミサトにもサッパリわかんない感じ。


 控室で知り合ったのが広田琥珀ちゃん。売り出し中の新人さんだけど、歳も近いしすぐに仲良くなったんだ。コハクちゃんはミサトが岩鉄さんとタメ口きいてたのに驚いてたけど、滝川監督の話を聞かせてもらったんだ。


「コハクはこの作品にかけています。滝川監督は撮影中に映画を作りあげる人です。そのイメージに合えば抜擢されます。滝川作品で抜擢されれば、売れるのは保証付です」


 若手の登竜門って感じらしい。撮影現場もそんな感じで、青春映画でスタートしてるから若手の役者さんが多いのだけど、みんな目をギラつかせてる感じだものね。それこそ滝川監督の演出に応えようと懸命の雰囲気が伝わってくるものね。


 ミサトが出るシーンばかりじゃないから、他の役者さんの撮影シーンを見る時間もあるのだけど、若手だけでなく中堅や岩鉄さんのようなベテランも目の色変えてやってるのは良くわかるんだよね。


 中堅やベテランも滝川作品出演は大きな勲章になるし、逆に軽く扱われたり、降板させられたらキャリアの大きな傷になるんだって。誰もがそんな調子だから、撮影現場は熱気が高まり渦巻いてる感じがしてる。


 滝川作品は撮影日数厳守なんだけど、前日なり、下手すりゃ当日に配られる台本の訂正版が重要な位置づけになっているのはすぐわかった。あれって一種の成績表なのよね。滝川監督が重視する役者さんの出演部分やセリフは増え、逆は減って行くみたいな感じ。


 コハクちゃんも食い入るように読んでるし、岩鉄さんでさえ心配そうに確認するぐらい。訂正台本が配られた後はまさに一喜一憂って感じ。どうも滝川流とは撮影現場に入ってからも、そうやって役者さんを常に競争させるのもあるらしい。


 でもね、やらされる方はたまったもんじゃない。だって次の日に出演があるのか、どんな役を演じるのか、どんなセリフなのかわかんないんだもの。その上に撮影日数厳守だから、本番でトチッたりしたら監督の雷が落ちるもの。雷も中堅やベテランに厳しくて、


『それだけのギャラは払ってあります』


 でもってミサトだけど、増え続ける出演シーンとセリフの爆増えにアップ、アップ。これも滝川監督の撮影法の特徴みたいだけど、とにかく長回し。五分ぐらいは当たり前なのよね。そこに長い会話シーンがあったりすると修羅場になる。


 ただセリフを覚えるのは得意で良さそう。いや暗記能力が化物みたいに強くなってる気がする。これは二年への進級試験の時から感じてた。あの時のミサトは崖っぷちというより既に落ちてた感じだけど、追試の資料とかをバンバン覚えられたもの。それこそ、一度読めば覚えちゃう感じ。


 だからミサトはトチらないけど、十人ぐらいが会話するシーンなんて十回ぐらいかかることもあるものね。コハクちゃんも何度も間違って半ベソかいてたもの。あれだけのセリフの量だし、当日即座に覚えなきゃいけないんだもの。


 それとだけど、撮影が進むにつれて、役者さんの数が減ってる気がする。つうか、最初の製作発表記者会見の時に、なんじゃこれってぐらい、いたのだけど、いつのまにか撮影現場からいなくなってる。コハクちゃんに聞いたんだけど、


「あれも滝川流で、撮影の序盤はオーディションも兼ねている部分があります。今回だったら中沢みどりさんも降板になっています」


 中沢みどりと言えば中堅の有名女優。演技派として知られてるけど、それでも滝川監督のお気に召さなかったみたい。岩鉄さんに聞いたのだけど、滝川作品のギャラも独特だそう。


 ギャラって映画への出演契約で、通常は一本ごとの契約。降板させられたって出演料は手に入るのだけど、滝川流は日給式。つうかバイト方式に近い。出演した日数分しかギャラを払わないって言うから驚き。だから大物や中堅でも平気で降板できるんだろうけど、


「そんな条件でも売込みがたくさんあります。若手もそうですが、今や滝川作品に最後まで使ってもらえたことが、ベテランの先生方にも大きな勲章になります」


 加えて言うなら滝川作品のギャラは激安でも有名らしい。さらに言えば、枠組みとして青春映画が多いのは、若手を使った方がギャラを安く出来るのもあるらしい。無名ならコンビニ・バイト程度で使えるからだって。ついでに言えば現代劇だからセットや衣装も安く上げやすいし、ロケもやりやすい。


 逆に言うと中堅やベテランは必要最低限しか使わないって噂もあるぐらい。だから使うからには、これでもかの演技を当たり前のように要求し、気に入らなければ中沢みどりクラスでもあっさり降板させられるのはわかった。


 それでも出演希望が多いのは、とにもかくにもヒットすること。さらに言えば滝川作品で主要登場人物や、ましてや主役にでもなろうものなら芸能界の格付けはドカンと上がるんだそう。若手なら一躍ブレークの夢を持てるぐらいかな。でも中堅やベテランならリスクも大きそうだけど、


「そうなんですが、現在の流れとして、滝川作品を逃げたと言うだけで評価が下がる部分もあって・・・」


 売れた者が王様の芸能界だから、滝川作品出演の価値はミサトが思うより遥かに高いみたいで、今では滝川作品での位置づけで、他の作品のオファーやギャラも大きく左右するらしい。こりゃ、思ったよりエライ監督さんだ。



 なんだかんだで、役者の数が減って来てる。つうか、やっとこさ、映画のどの部分を演じるかわかってきたとするのが正しい気がする。信じられないやり方だけど、撮影しながら役を割り振ってるんだよね。


 それでも滝川監督が撮影前に役者に役作りをさせないと言うか、期待していない理由がわかった気がする。一つは役者が作った役を好まないこと、もう一つは役者の地の部分を出来るだけ使いたいこと。役者の地の部分から最も配役のイメージに近いものを選ぶって言えば良いのかな。


 そんなやり方でなんとかなるのが不思議だけど、見てるとまさにツボに嵌っているように感じちゃう。役者が配役のツボに嵌ったので撮影も急ピッチになり、こうやって帳尻を合わせてるんだと思うけど、役者もスタッフもヒーヒー言ってた。


「ミサトちゃんは平気みたいですね」


 あんまり平気じゃないけど、オフィスのアシスタントやってる時に較べたらラクだもの。滝川監督も怖いらしいけど、新田先生に較べたら可愛いもんだよ。それに滝川監督もムチャするけど、麻吹先生のムチャ振りに較べたら穏やかなもの。去年の夏にどれだけムチャクチャされたことか。

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