弱い部分、強い部分
一度辰己くんと別れて涼音たちと昼食を取り終えた後、俺は一服する為に屋上へと足を運んでいた。
涼音と共にミライバに入社してからまだそれほどの月日は経っていないというのに、なぜか長く感じてしまう。
思えばここに来てから涼音も然り、色んな人との出会いがあり、親父の手伝いをしていた時とは違う楽しさや面白さがある。
しかし、なんだろうか。自覚はしているが、宮田の件については大きく出過ぎてしまったと不安や後悔が少しあったりもする。
本命は宮田にこれ以上旋梨ちゃんへ近づけさせないというものが、気付けば宮田が担当しているVTuberの神崎さんらもあわよくば解放してあげたいなど……。
決して新人がしていいことではないし、調子に乗っていることに変わりないよな。
更に自暴自棄、勢いのままにこの勝負に負けた際には涼音を宮田に任せると無責任なことを言い放ち、俺はどれだけクズなんだろうか。
「はぁ……」
如何に自分勝手なのか、口に含んだ煙を吐き出して痛感した。
「やっぱり此処に居たか、裕也」
「ッ! 海斗、それに恵果ちゃんまで……」
「こ、こんにちは裕也さん!」
鉄格子に脇を当ててダランとしていた俺に声が掛けられる。
振り返るとそこには海斗と恵果ちゃんの姿があり、見るからに距離が近い。
「ンだよ、イチャつきを見せびらかしにでも来たのか?」
「なんだ、妬いてんのか?」
「ハッ! 妬くわけねぇだろ」
「ふ〜ん。恵果ちゃん、よしよし」
「ふあぁ!? か、海斗さん!?」
「ッ」
露骨に海斗は恵果ちゃんの頭を撫で始め、恵果ちゃんは顔を赤らめながらも嫌がる素振りは見せずに受け入れている。
「彼女ってのはすげぇよな。付き合ったと意識した途端に全部が可愛く見えて、好きになってしまう。なっ、恵果ちゃん」
「あぅ……」
「もう結婚でもしろよ」
「それもいいかもしれないな」
「いや、流石にそれは……!」
「冗談だよ恵果ちゃん。けど海斗は決定付けてしまうと行動にすぐ移すからな、気をつけたほうがいいぞ」
「た、例えばなんですか……?」
「例えば? そうだな……、なんだろうな」
「夜の営み」
「〜〜ッ!?」
「うっわぁ……通報しとこ」
包み隠さず、例えの話で答える海斗に俺はドン引きし、恵果ちゃんは少し考えた後に理解したのかプシュー!と蒸発していた。
「まぁ弄りすぎると後が怖いから此処までにしといて、お前こそ涼音ちゃんとはどうなんだよ」
「どうって、なにがだよ」
「進展の話に決まってるだろ」
「進展、進展……ねぇ……」
フィルターの部分まで吸い終えたタバコを灰皿で消し入れ、俺はすぐに二本目を口に咥えて火を付けた。
海斗はそんな俺を少し見つめた後、頭を掻きむしりながら隣に並んで同じようにタバコを咥えて火を付けた。
「お前、なにか思い詰めてるだろ。道理でらしくないことをするわけだ」
「んあ?」
「いつもなら俺と二人きりの時だけだったのに今では恵果ちゃんが居る前でも平気でタバコを吸ってるだろ」
「……あぁ、確かに。すまない」
「あっ、私は大丈夫です! その、裕也さんと海斗さんの付き合い方の一つなんだとわかっていますので!」
「……そうか」
「あの、裕也さんなにかあったんですか……?」
心配そうに声を掛けてくる恵果ちゃん。
それと同じように隣でタバコを咥えて俺の返事を待つ海斗の姿があった。
なにかあったとかじゃない。
ふとした時に、自分のやっていることが合っているのかそうでないのか、はたまた本当に大丈夫なのかそうでないのかと、不安が一気に押し寄せてきているだけのことだが……。
「ふぅ……。俺は、最低の兄貴かもしれないと思い込んでしまう。旋梨ちゃんの為にと思って動いた結果、今では俺の自分勝手に皆を巻き込んでしまっている。挙げ句の果てその中に、負けたら涼音を宮田に引き渡すとまで大きく出てしまい、自ら最悪な未来を作り出してしまったと、不安が大きく募って頭が痛い」
「確かに今回の件、ほぼお前のご都合とやらで周りは巻き込まれてるだろうな。でも、今に始まったことじゃないだろ。お前は前々から考えるよりも先に動いて、なんとか乗り切って来たじゃねえかよ」
「当時と今を比べるなよ、海斗。今じゃ立場も全部が違ってくる」
「じゃあ此処で引き下がるか?」
「……」
「皆がお前の提案に乗って支える為、各自出来る限りの練習に励んでいる中で今から宮田のところに行って“やっぱり辞めます”と言いに行くか?」
「いや、流石にそれは……」
「そうとなれば周りは幻滅するだろうなぁ。特に涼音ちゃんなんか、そんなカッコ悪い兄貴を目の当たりにして周りから好きな兄貴を蔑まれる視線を感じたりしなきゃいけなくなるんだしよ」
「海斗さん、少し言い過ぎなんじゃ……」
「恵果ちゃん、こいつは裕也じゃねえかもしれねえよ。俺の知る神代裕也は、自分から吐いた唾を易々と戻すような奴じゃねえ。なぁ裕也、いつからそんな雑魚キャラに成り下がった?」
明らかに海斗の声色は低く、それでいて俺に対して呆れを交えた怒りを募らせていた。
俺は返す言葉もなく、ただただ胸に棘が刺さるような感覚に見舞われた。
そんなこと、言われなくてもわかってる。
ただそれでも、冷静になって考える度に涼音がもしも宮田の手に渡った時のことを考えると俺は自分が許せなくて、なにより実の母親と同じ、もしかしたらそれ以上に後悔するかもしれないと思ってしまう。
周りの幻滅を回避出来ずとも、最悪な結末を迎えるぐらいならと考えてしまうこともある。
そんな思考回路が蔓延り、なかなか返事を返さない俺を見兼ねたのか海斗はタバコの火を消して俺の前に立った。
「裕也、“喧嘩”しようぜ」
「んあ? お前、なにを言ってーー」
海斗の言葉に一瞬渦巻いていた思考が止まり、俺が言い切る前に海斗の強烈な拳が頬にめり込み痛みと共に横へ俺は倒れた。
「海斗さん!?」
「悪い、恵果ちゃん。これもこの“雑魚”との付き合い方なんだよ。説教なら後で聞く、今は静かに見ててくれ」
「痛てえな……! 急になにすんだよ!!」
「いやぁ、久方に人をぶん殴った。そういやこれが殴るって感触だったな。立てよ雑魚、もしかしてもう立てないのか? なら立たせてやるよ」
「ッ! 海斗、テメェ……!!」
俺の胸ぐらを掴んで無理矢理立たせた後、また一発と殴ってきた。
これが自分を奮い立たせる、あるいは海斗なりの慰め方であることを知らずして、俺は横暴に出た海斗に向かって同じように殴り返した。
「裕也さんまで……! こんなの間違ってると思います! やめてください!!」
「危ないから退いてな、恵果ちゃん。おい、不良やってた頃よりも弱くなってんぞ? それに今のお前は臆病者じゃねえか、後悔しない生き方が今のモットーだったか? けど、此処まで来たからには引き下がるって選択肢はねぇぞ!!」
「幼馴染だからってテメェはいつもそうやって人の気も知らずにズカズカと入り込んでくるよな海斗……! お前は経験したことねぇからわかんねぇだよ、失うことの辛さってのがぁ!!」
「だからお前はお袋さんを失った日から後悔しないような日々を過ごすって誓ったんだろう! 後悔しないように前だけを見て進む、それがお前のポリシーだろ!!」
「前だけ見てたって、絶対成功するとは限らないだろうが! 今回の件は特に、お袋の次に涼音を危険な目に合わせて、失うかもしれない! もしそうなったら俺は、後悔する!! だから嫌でも考えてしまう、今ならまだ引けば間に合うんじゃないかと!!」
後ろは見ない。
前を見て、進んで、日々を過ごして生きる。
後悔しないようにやりたいことはやり、考えることは考え、満足する。
いつもそれを胸に刻んでやってきた。
しかし今回の件、勢いに身を任せ欲を掻いた結果が不安に移り変わった。
俺はきっと、怖いんだ。
なにが正解で、間違いなのか。
それ故に、自暴自棄になっていた。
怖いという感情と不安という感情。
自分の気持ちは誰にも理解できないと口に出すこともなく、俺は海斗と殴り合った。
数分、数十分と互いに倒れることもせず、切った口の中に広がる血の味を噛み締めながら、息を切らしてた。
俺たちのやり取りが見てられないのか、恵果ちゃんはその場に座り込んで泣いていた。
「はぁ……はぁ……! 言われずとも、俺が誰よりも理解してるんだよ!! 此処まできたからにはやるしかないと、宮田の所業を止めなくてはいけないということを!! けどその反面、失敗すれば旋梨ちゃんや涼音は奴の手に渡り、せっかく協力してくれた皆の期待や努力を無碍にしてしまうんじゃないかと!! 海斗、テメェにはわかんねぇだろうけどな!!」
「ーーッ!!」
「俺はいつもそうだ、口先だけで結局は心の中で後悔している!! 海斗、俺はテメェの理想像の通りで居ないと雑魚なのか? 神代裕也じゃないのかよ!! 後ろ向きに考えたり、不安になったり、怖いと感じたりしたら、それはテメェの知る俺じゃないってことなのかよぉ!!」
感情の制限が外されると、人というのは無意識に言葉にしてしまう。
海斗を押し倒して馬乗りになり、俺は数発と殴った後に胸ぐらを掴み、“吐き出した”。
しかしそれは言葉としてだけじゃなく、目から溢れる涙としても溢れた。
ポタポタと落ちる雫が、海斗の頬に落ちる。
「テメェは失ったことがないから、そう簡単に言えるだろうが俺は一度失ってるからこそ後ろ向きに考えたりもするんだよ……!!」
「……確かに、俺の言い方が悪かった。ただそれでも、今のお前はちゃんと内に仕舞い込んでた気持ちを吐き出してくれてるじゃねえか。全部一人で抱えようとして、勝手に辛くなって、自己完結しようとする。お前の悪い癖だよ。けど、決して諦めようとだけはすんじゃねえよ!!」
馬乗りになっていた俺の身体を押し、海斗は叫びながら腹に蹴りを入れてきた。
痛み、苦しさで嗚咽混じりに咳き込む。それでもフラつきながらも立ち上がり、俺は海斗を睨み付けた。
すると屋上のドアが勢いよく開き、涼音が息を切らしながら現れた。
そして殴り合った末に顔は腫れて、ボロボロになっている俺と海斗を見据えた後、唇を噛み締めて鈴音は叫んだ。
「なに、やってるの!!」
初めてだったかもしれない。
涼音が大きな声で怒鳴り、怒りの表情を露わにしているのを見たのは。
そんな涼音に呆気を取られていると、更にドア越しから見知った人物たちが顔を出した。
「恵果、大丈夫か!?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……!」
「悲惨な状況やけんね……なにが、あったと?」
「これは少し刺激の強い現場だね。遠藤くん、恵果くんのメンタルケアを頼む。楓、それに涼音くんと旋梨くんは私と一緒に彼らの元へ」
今回、俺の提案に乗ってくれた皆が一斉に集まり始めた。
更に遅れて瀬川さん、そして辰己くんとそのマネージャーさんも顔を出した。
俺と海斗は同時に力が抜けて、その場で座り込んでしまった。
「兄さん、なんでこんなことを……」
「涼音ちゃん、裕也を責めないであげてくれ。これは俺から始めたことなんだよ……」
口の中が切れて、痛い。
顔も腫れて、視界が狭く見える。
怒った様子で俺に問い詰める涼音に、海斗は小さい溜息を吐きながら言った。
涼音と旋梨ちゃんは俺に寄り添い、海斗には落ち着きを取り戻した恵果ちゃんが寄り添った。
海斗が代わりに事情を話してくれた。
俺は大の字に倒れ、晴天の青空をその目に映して深いため息を吐いた。
「……海斗は俺の情けない姿に喝を入れてくれただけに過ぎないんだ。だから昔馴染みのダチにそう心配掛けて、不満を募らせてしまった俺に非があるも同然なんだよ……」
「お前が内に秘めてる気持ちを抱えるから、見てられなかっただけだ」
「話をしたって、理解してくれるとは限らないだろ……」
「あ? ちょっともっかい殴らせろ」
「んあっ? 上等だ、クソが」
言い合いの末にまた衝突しそうになる俺たちだったが、俺の前には涼音が、そして海斗の前には恵果ちゃんが立ち塞がった。
ーーそして。
「「いい加減に、しなさい!!」」
「「ッ!!」」
パァァァァァァン!!と、頬にそれなりに強いビンタを俺と海斗はされた。
あまりの出来事にキョトンとした後、俺たちは正座するように諭された。
「兄さんはいつも誰かのためにと動くけど、不安な気持ちを溜め込んで我慢する……! その結果辛くて苦しくて、悲しいのにまた重ねるようなことばかり……!」
「海斗さんも、手を出すのはよくないです! 確かにこれも海斗さんたちの繋がりの一つに過ぎないかもしれませんが、見ていて私は悲しかったし怖かったです!」
「人には“溜め込まないように”って言うのに、兄さんは人に言うことができてない……! まずは兄さんがそうしなきゃ、ダメでしょ……!」
「海斗さんの……」
「兄さんの……」
「「バカッ!!」」
『バカ』という何食わぬ言葉が胸に刺さり、俺と海斗は魂が抜けた気がした。
確実に嫌われたかもしれないと、今考えることじゃないのに思った。
しかしすぐに涼音たちは俺たちに勢いよく抱きついて、泣き始めてしまった。
好きな人を怒らせて、悲しませてしまった。
そんな罪悪感を海斗も感じているのか、抱きしめてやればいいのかそうでないのかわからず、困惑していた。
するとカコッ、カコッと下駄による足音が聞こえ始め、屋上のドアから辰己くんとそのマネージャーが顔を出した。
「なんじゃあ、ドラマの撮影でもしちょるんかと思う光景じゃけぇの」
「辰己くん! 少しは空気を読みなさい!」
「ドアホ! 耳元でデカい声出すのやめろと前々から言っちょるじゃろうがぁ!!」
顔を見せるなりマネージャーと言い合いになる辰己くんだったが、すぐに冷静になって周りを見渡した後に近付いてきた。
「辰己さん、戻ってきてたんですね。案件とはいえ行き来させてしまって、すみません」
「そんなこと今はどうだっていいけぇの、瀬川の姐さん。ワシは後から来たけぇ、じゃから状況なんてのはわからん。けど兄ちゃん、負けることに不安と恐怖を感じてるけぇの?」
「……あぁ、情けない話だが」
「タッハッハ! なんじゃあ、ついさっきまでは気強かったのに、今じゃ頼り甲斐の無い雰囲気が漂っちょるのう」
「返す言葉も見つからねぇな」
「まぁ人は誰しも強い部分とは反対に、弱い部分の方があったりするけぇ、気に病む必要はないと思う。けど兄ちゃん、ーーおどれの提案に乗ったワシらはそれ以上にバカらしいのう」
蔑みを含めた低い声が耳に劈く。
周りも辰己くんの圧に押されているのか、咎める者は居ない。
それほどまでに今の俺は情けないということなのかもしれない。
「兄ちゃんの噂を耳にした時、男気ある奴がミライバに入ったと思いワクワクしたけぇ。そしてさっき会った時、そのワクワクは大きな期待として更に膨れた。もしかしたら本当に兄ちゃんはミライバの問題を解決するかもしれんと。けど今の兄ちゃんじゃ、到底それができるとは思えん。大人だのなんだのというプライドは捨てて、この際全てをこの場にいる全員に吐き出してみんか? 案外そうすれば、吹っ切れるかもしれんけぇ」
だから信じて話してみろ。
そう最後に言って、また変わった笑いをする。
俺は海斗を見た後、涼音たちにも視線を向けた後に頭を掻きながら想いを告げた。
不思議と恥ずかしさとか感じず、俺はゆっくりでありながらも話を続けた。
周りはただ俺の話が終わるまで静かに聞いてくれていた。
俺は海斗や涼音の言うように、他人には求めることがそもそもできていない。
それは素直になれないのか、はたまた意地になってるだけなのか。
どちらにせよ、家族以外でまともに内に秘めている気持ちを吐き出したのは、“初めて”だった。
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