32話 宝物
帰り道は嫌いじゃない。
行きは憂鬱だし、他の学生と並んで自転車を走らせるのはこの上ないストレスだ。
だから帰りはあれこれと考えるくらいに余裕はあるが、それは良くないものでしかなかった。
あの時の友莉と彩芽の表情が鮮明に思い浮かぶ。
ほんとあいつらに謝らせてばっかだな。
なんで友莉が俺の折りたたみ傘を…
決まってる。会っていたんだ三年前の冬、あの雨の日に。
あの時の俺は、人の顔を見る余裕なんてどこにもなかった。
見ていたとしても、三年前にただ傘を渡したやつの顔を覚えていることもなかっただろう。
けど、友莉は覚えていた。
でもまぁ、このままお助け部が消滅して、話すこともなくなるのなら考えても仕方ない…よな。
これ以上あいつらの事情に首をつっこむのも、野暮ってもんだろ。
いつもの妄想癖を働かせていると、アパートに着くのはあっという間だった。
階段を上がりながらスマホを確認してみると、時刻はもう19時をまわっている。
学校を出た時間はいつもとあまり変わらない、今日は自転車をこぐのが遅かったのだろう。
鍵を開けてリビングに入ると、
「お帰り~」
「…あぁ、ただいま」
楓っていつもお帰りって言ってくれてたっけか。
いや、毎日言ってくれてたな。
「今夜はカレーですよぉ、嬉しいでしょ」
「そうだな、感激だよ」
「あと二日も感激することになるから安心してねー」
楓のいつもの冷やかしを聞き流しながら、ダイニングテーブルに並んだ椅子にもたれかかる。
「食券使って学食持って帰れるから、別に作らなくてもいいんだぞ」
「言ったでしょ。もう習慣みたいなものなんだからおにぃは気にしなくていいのっ」
楓は俺にビシッと指を突き出して言い放った。
そのうち食券も使えなくなるし、そういう意味ではこのままの方がありがたいのかもな。
いよいよバイトでも探さないとだ、禁止だけど。
「というかおにぃ、なんで鞄リビングに持ってきてるの?ブレザーも着たままだし」
「うおっほんとだっ!」
「ぼけるぐらい部活忙しかっ…っておにぃその黒の折りたたみ傘!まだ使ってたんだ…久々に見たよそれ」
「覚えてんのか?!俺が中二ん時だぞ」
「いや、おにぃがなんかエリュシデータとか命名して…」
「やめろッ!!知らんそんなやつ!!」
息が、できない…これがイタイイタイ病…?
「どっかから引っ張り出してきたの?」
「あぁ…まぁなんだ…三年前に貸したのを、今日返してもらったんだよ」
楓は夕ご飯の支度をしながら話を続ける。
「ほへー三年もねー。そんなに後ろめたかったのかなその人」
「後ろめたい?」
「だってその傘、三年も捨てずに持ってたんでしょ。むしろ綺麗なままだし。何かしらおにぃに思うところがないとあれじゃない?」
確かに、その通りだ…
あの頃から貧乏性で、家計のことばかり気にしていた俺のことだ。買った折りたたみ傘はそれはもう丁寧に扱うことだろう、命名するぐらいだし。
そしてこの傘もどこか錆びついているわけでも汚れているわけでもない。
違う黒の折りたたみ傘…なんてことはないよな、俺も楓も見てすぐにわかったんだ。
あるとしたら全く同じのを買ったぐらいだが、あの律儀な友莉がはっきりと返すと言ったんだ、それも少し考えにくい。
疑いたくなるほどに、状態保存が良すぎる…
「あっ!」
楓は何か思い出したように声を上げると、慌てて冷蔵庫の中を確認した。
「なんだ忘れもんか?」
「どうしよ、卵買い忘れた」
「カレーに卵なー、悪くないけどそんなになのか?」
「違うって、朝ご飯の卵焼きが作れないの」
そういや、朝は必ずと言っていいほど卵焼きが出るな。
無くて驚くほどのこだわりがあったのか。
「んじゃ近くのスーパーまで行ってくるわ俺」
ブレザーを脱いで、代わりのジャケットを取りにいこうと重い腰を上げる。
「うーん…」
すると、なぜか楓は腕を組んで俺を
「卵の場所がわからなくなったら、ちゃんと店員に聞くぞ」
「いや、はじめてのおつかいじゃないんだから…。なんか今日のおにぃ危なっかしいし私もついてく」
「そうか。んじゃ頼んだ、しあわせバター味でいいから」
「おにぃも行く。ほら、早く準備してきて」
楓は夕食の準備を中断すると、エプロンを脱いで自室に向かう。
そして餌が貰えるものと思い、その後をつける飼い猫のヨミチ。
出る前にあげるか…
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