80話 卒業式のあとで

 三月になっても、長野はまだまだ寒い。

 そんな中、今日の俺は卒業式を迎えていた。


 冷え冷えした体育館には、大型ストーブの稼働する音が響いている。


 左右に並ぶクラスメイトたちとは、結局まともに話せなかった。

 守屋だけが俺の話し相手で、たまに水野さんが声をかけてくれる。それが俺にとってのクラスだった。


 けれど、野球をやっているあいだはまったく気にならなかったし、部活を辞めたあとの俺には五十鈴がいた。


 今日も大切な彼女はうしろのほうから見てくれているはずだった。


「新海恭介」

「はい」


 卒業生が順番に呼ばれ、起立していく。俺も堂々と返事をして立ち上がった。

 卒業証書を受け取るのはクラス委員長だ。俺はただ立っていればいい。


 校長先生、来賓の挨拶が進み、送辞と答辞が読み上げられる。


 トラブルはなにもなく、おごそかに式は進行していった。

 これで俺の高校生活は、本当に終わるのだ。


     †


「新海、野球部で写真撮るぞ」


 卒業式のあと教室が解散になると、守屋に声をかけられた。


「俺は途中で辞めたんだぞ……」

「なに言ってやがる。お前がいなきゃ、あのチームが勝ちまくるなんてありえなかった。外せないピースだろ、お前は」

「そうか……」


 俺はその話を受けることにした。

 それぞれのグループが教室を出ていく。まだ春の気配は遠く、教室の空気は引き締まっている。


 守屋と一緒に部室棟まで行った。もうみんな集まっている。久しぶりの顔が多すぎてちょっと気まずい。


「よう新海」

「来てくれてよかった」

「エースがいなきゃ締まらねえからな」


 みんなが俺を見てそう言ってくれる。


「さあみんな並んで~」


 写真を構えているのは光崎だった。あいつはクラスメイトと一緒に帰らないのかな。


 俺たちが並ぶのに手間取っていると、家族が次々と様子を見に来た。後輩たちも面白そうに眺めている。


 俺は遠慮して、真ん中よりやや左に位置取った。

 話し合いの結果、やはりキャプテンとしてチームを引っ張った守屋が中心になるべきだろうと結論が出たのだ。


「いきまーす、はーい」


 光崎のかけ声とともにシャッター音が響く。二枚、三枚と続く。両親たちから拍手が起きた。


「整列!」


 次は後輩たちが並んだ。新チームのキャプテンがみんなを並ばせる。右から三番目に立った片倉と目が合う。向こうはニコッと笑ってみせた。


「今まで、ありがとうございましたっ!」


 後輩たちが「ありがとうございました!」と声をそろえた。頭を上げた彼らは照れくさそうだ。


「どうする? 俺らもやっとく?」


 守屋が言うので、返事をする雰囲気になった。


「えーっと、ありがとうございましたっ」

「ありがとうございましたー……」


 三年生の挨拶はバラバラだった。部活から離れて半年以上。習慣がなくなると思ったようにできなくなるものだ。


 列がばらけると、片倉が駆け寄ってきた。


「新海先輩、俺らの試合結果くらいはチェックしてくださいよ」

「もちろん。行ける時は球場に行くからな」

「恥ずかしくないピッチングをします」


 じゃあ練習あるんで、と片倉は部室に戻っていった。

 両親たちも会話に花を咲かせている。俺の父さんと母さんもその中にいた。笑っているから、遠慮されているということはないはずだ。


「父さん、母さん。俺、昇降口行くよ」

「お、そうか? じゃあ一緒に行こう」

「皆さん、それでは」


 野球部グループと別れたところで、守屋が追いかけてきた。


「また連絡すっけど、とりあえず三年間お疲れさん」

「ああ、お互いに」

「たまには俺の相手もしてくれよな」

「約束する」


 守屋と握手を交わし、俺たち家族は部室棟を離れた。


     †


「恭介先輩!」


 昇降口に戻ると、五十鈴が俺に気づいた。いつもの制服。いつものカチューシャ。俺の彼女は今日も完璧なお嬢様だ。


「古野さん、それではまた」

「うん。またね」


 横にいた古野さんは、慌てたようにぴょこぴょこと教室のほうへ走っていった。


「お疲れさまでした。これで本当に、学校に来なくなってしまうんですね」

「さみしいだろうが、休まないでくれよ」

「体調さえ崩さなければ、わたしは皆勤賞も狙える逸材ですよ?」

「体調……ね」

「根本が駄目でした……」


 五十鈴がうなだれる。そこに俺の両親が話しかけた。


「五十鈴ちゃん、今日はこのあとどうするのかしら」

「恭介先輩とお食事に行こうかと。あ、もしかしてよくないでしょうか?」

「いえいえ、卒業式に彼女と一緒にいられるのが一番だと思うわ。ねえ恭介?」

「まあな。もちろん、母さんたちとの時間も大切にしたいけど」

「わたしは遅くまで引き留めるつもりはありませんので、ご安心ください」


 父さんが笑った。


「優しいな、五十鈴ちゃん。息子がこんな素晴らしい彼女を作れて俺も誇らしい」

「そ、そんな……」


 五十鈴は照れたように微笑む。


「なあ二人とも、お願いがあるんだ。正門で写真を撮りたくてね」

「門のところに卒業式って書かれたボードがあったじゃない? あの横に立ってほしいのよね」

「わたしが一緒でいいんですか?」

「当然だ。恭介の高校生活に五十鈴ちゃんは外せない」


 俺たちは靴を履き替えて四人で校門へ向かった。

 門の右側には、〈長野清明高等学校 卒業証書授与式〉と書かれた大きな紅白の板が立てかけられている。


「じゃ、まずは恭介だけで」


 父さんの指示通り、俺は板の横に立った。


「うん、やっぱり姿勢がいいな、お前は。絵になる」


 楽しそうに写真を撮る父さん。俺は骨折した直後、両親とまともに会話できないくらいやさぐれていた。退学するんじゃないかと心配されていたようだ。

 だからこそ、こうして卒業式を迎えられて気分が揚がっているのだろう。


「よしよし、これもアルバムに入れられるな。それじゃあ五十鈴ちゃんも入って」

「では、失礼します」


 五十鈴は俺の右側に立った。


「やっぱり体格差あるねえ。事情を知らない人からしたら不思議な組み合わせに映るだろうな」


 シャッター音が連続する。何度か立ち位置を変えて撮ってもらう。

 撮り終わった父さんは満足げな顔をしていた。


「ありがとう五十鈴ちゃん。何枚か、君にも渡すつもりだ」

「いただけるんですか?」

「もちろん。そのうち恭介に預けるから」

「楽しみにしています」


 父さんはうなずき、カメラをバッグにしまった。


「それじゃ、あたしらは先に帰りましょう」

「だな。恭介、羽目を外すんじゃないぞ」

「気をつける」


 両親が帰っていき、俺と五十鈴だけになった。

 周りにはまだ、残っている卒業生たちのざわめきが漂っている。


「あんまり特別な日って感じもしないんだけどな」

「そうですか? あれだけの苦難を乗り越えて掴んだ卒業ですよ?」

「なんか、五十鈴と過ごしてたらあっという間だったな。短かったくらいだ」


 五十鈴の返事には少し間があった。


「大河原さんが待っています。コンビニまで歩きましょう」

「そうするか」


 俺たちは歩き慣れた道をゆっくりと進んでいく。たぶん、こうやって歩くことはもうないだろう。それすらも、まだ実感が湧かない。


「あの時、病院で出会っていなかったら、こうして歩くこともなかったと思います」

「ああ」

「わたしはただ先輩を見ているばかりで……最初は、今日までに先輩と連絡先の交換までいけたら上々と思っていたんですけど……」

「それどころじゃない進展だったな」

「自分でもびっくりしています。でも、先輩に惹かれた自分の感覚は間違っていなかった。それが嬉しい」

「俺なんかのどこがいいんだか――って、前は思ってた。今は五十鈴のおかげで自信が持てるようになったよ」


 五十鈴は上目づかいに俺を見て、微笑む。


「よかった。前向きな恭介先輩、大好きですよ」

「そういえば、久しぶりだ」

「え?」

「最近あんまり、好きって言ってもらってない気がする」

「……そうかもしれません」

「もう一回、言ってくれないか?」

「いいですよ。心を込めて、お伝えします」


 五十鈴が足を止めた。コンビニの駐車場に入ったところ。大河原さんの車はもう見えている。


 俺たちは真正面から向かい合う。

 人の話し声。車の行き交う音。すべてが遠くなっていく。

 俺と五十鈴。

 ここにはそれしかない。


 五十鈴が息を吸った。


「恭介先輩、卒業おめでとうございます。これからもずっと、大好きです」


 その言葉で、俺は笑顔になれる。力をもらえる。

 最高の彼女と、明日からは新しい日々を作っていくのだ。俺はあらためて、玉村五十鈴を幸せにしたいと思った。それを空想ではなく、現実にする。今日はそのための次なる一歩だ。


 俺は五十鈴の綺麗な瞳をまっすぐに見つめた。


「ありがとう。俺も大好きだ。これからもずっと、五十鈴の立派な彼氏でありたい」

「ふふっ」

「な、なんだよ」

「惜しいな、と思いまして」

「ど、どこが?」


 五十鈴はちょっと赤くなった顔に、イタズラっ子の笑顔を作った。


「ずっと彼氏は嫌ですよ。いつかは――旦那さんになってほしいですからね」

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