16話 嫉妬する後輩

 昼休み。俺はまっすぐ東棟のベンチに向かった。

 五十鈴が先に来ていた。今日は白いカチューシャ。飾りのないシンプルなデザイン。


「今日は調子いいのか」

「先週よりはマシですね」


 横に座って弁当箱を受け取ったら、それぞれ食べ始める。


「……」

「……」


 いつもならなにか話すところだが、今日は会話が発生しない。お互い静かに食事を進める。


 こういうのはよくないな。


「あのさ、朝のことを話しておくよ」


 ストレートに切り出すと、五十鈴が俺を見た。


「あいつは同じ三年の光崎って女子だ。新聞部の記者をやってる」

「まさか、わたしたちの関係をネタに脅しを……!?」

「どうしてそうなる」

「恭介先輩は憧れの的です。そんな人とわたしのような人間が一緒にいるんですから」

「なんでちょっと自虐入ってるんだよ。俺のほうがお前に釣り合ってないだろ」

「あ、自虐!」


 これは一本取られた。


「ともかくだな、あいつが聞きたいことがあるって近づいてきたんだ」

「なんだったんですか?」

「俺がお前を押し倒したんじゃないかと」

「え、えええっ!?」


 五十鈴が目を丸くする。


「どうしてそんな話に?」

「先週、名前を呼んだ時に近づきすぎただろ。それを見た奴が勘違いしたらしい」

「な、なるほど。それで、ちゃんと否定したんですか?」

「もちろん。納得してくれたよ」

「よかった……」


 ホッと息をつく五十鈴。


「恭介先輩の名誉に傷がついたら大変ですからね。深く追及されなかったならよかったです」

「自分の名誉を先に考えろよ。校内でなんかされたなんて噂が広まったら普通でいられなくなるぞ」

「なんかとは、具体的になにをされるんでしょう?」

「そういうのいいから」

「答えてください」

「食いつくな!」


 俺が必死で止めると、五十鈴はくすくす笑った。


「でも、もしその話が知れ渡ったら、いよいよわたしが先輩をお世話するしかありませんね。我が家で面倒を見てあげます」

「甘えるつもりはない。というか、お前の家に上がる流れにはならないだろう」

「学校に行けなくなった時、家に一人でいるのはさみしいでしょうから」

「大きなお世話だ。居場所がなくなっても俺は学校に来るさ」

「そうですか。それなら、わたしは絶対に味方でいますよ。野球部の皆さんだって、恭介先輩を信じてくれるはずです」

「うん……まあな」


 守屋や片倉の顔を思い浮かべる。俺に妙な噂が立っても、あいつらは一緒に戦ってくれそうな気がする。


 五十鈴は下を向いて黙り込んだ。

 俺はそのあいだに弁当を終わらせる。


「ごちそうさま」

「ええ」


 弁当箱をスクールバッグにしまうと、五十鈴は重たいため息をついた。


「やけに暗いじゃないか」

「朝のことを思い出して、もやもやしてしまって……」

「朝? ああ、確かにちょっとそっけなかったけど」

「はっきり言います。わたし、嫉妬してしまうんです」

「嫉妬?」

「先輩が他の女子と一緒にいると、心が落ち着かなくなるんです。おかしいですよね。わたしたち、そういう関係じゃないのに」

「いや……」


 歯切れの悪い返事になる。

 まさかこんな直球に切り出してくるとは思わなかった。


「わたし、ようやく人と仲良くなれたからはしゃいでしまって。先輩がわたしを見てくれなくなったらどうしよう、とか……」

「見なくなるってことはないだろう」


 俺ははっきり言った。


「五十鈴にはこれだけ面倒を見てもらってるんだ。弁当を持ってきてくれるし、喫茶店を教えてくれたし、服も選んでくれたし、すごくいろいろやってもらってる。そんな後輩をどうして見なくなるんだ」

「恭介先輩……」

「俺は一人前の大人になると言った。でも実際にはお前の世話になってばかりだ。それを忘れるような人間じゃないつもりだぞ」


 静かな時間が流れた。校庭で誰かが騒いでいる声が聞こえる。他に音はない。


「なんだか変な空気になっちゃいましたね。ごめんなさい」


 ようやく五十鈴がしゃべった。


「いいさ。弱気になることは誰だってある」

「朝、恭介先輩と光崎先輩が一緒にいたのを見てムッとしました。そんな風になる自分にショックを受けたと言いますか……」

「複雑だな。そっけなく当たるのだけは抑えめにしてくれると助かるが」

「……そうですね」

「ちなみに光崎とはそんなに仲良しなわけじゃないぞ。記者と取材対象の関係でしかない。クラスメイトですらないし」


 フォローを入れると、五十鈴は微笑んだ。


「もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」


 立ち直れたようだ。俺も安心した。


「あの、もうちょっとだけ近づいてもいいですか?」

「いいぞ」

「失礼します」


 五十鈴が体を寄せて、俺の左腕のすぐ横までやってくる。かすかな呼吸音が聞こえた。これだけ近いのに、今日はあまりドキドキしない。真剣な悩みにつきあったせいだろうか。


 そういえば俺、なかったことになってるけど五十鈴に告白されてるんだよな。


 いつかあらためて言うかもしれない、と五十鈴は口にした。

 俺はその返事を考えておかないといけない。

 つまり、俺から告白することはない。


 これが本気の恋愛関係だというのなら、軸は五十鈴の側にある。

 彼女が決めて、彼女が動く。俺はそれに合わせる。俺から始めた関係ではないから、相手の意志が常に先手を取ってくる。


「いいんじゃないか」

「……なにか言いました?」

「なんでもない。――そろそろ時間だぞ」

「ええ。行きましょう」


 俺たちはベンチを片づけ、渡り廊下を歩く。


 そう、これでいい。

 駆け引きは野球と同じだ。

 俺はバッターの構えを見て、投球を合わせてきた。

 それと同じ。

 五十鈴の動きを見てから対応する。

 ずるいだろうか?

 でも、俺はこんな関係がけっこう気に入っている。

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