「管理部の人」:1
鬱憤(うっぷん)を抱えたままうずくまっていた和真の耳に、しばらくして、部屋の扉が開く音が聞こえて来た。
アピスが戻って来たのだろうか。
それとも、和真を移送するためにプリズンガードたちがやって来たのだろうか。
上半身を起こして顔をあげた和真は、自分の予想がどちらも外れていたことを知った。
そこにいたのは、黒髪に銀縁の眼鏡をかけた青年。
確か、ヤァスと呼ばれていた男性だった。
驚いた顔をしている和真に向かって、ヤァスは、あの、作り物のような柔和な笑顔を浮かべる。
「やぁ、蔵居 和真さん。大変でしたね」
ヤァスは部屋に入ってきて扉を閉めるとまず、和真に向かってそう親し気に声をかけ、ゆっくりと落ち着いた足取りで和真が座っているソファへと近づいてきた。
そこに、一切の敵意は感じられない。
だが、和真はその友好的な態度の裏に、妙に引っかかるものを感じ、内心で警戒感を強めていた。
何が、とは、具体的には言葉にできない。
ただ、何となく、[信用してはいけない]、そんな気がしたのだ。
ヤァスは、和真から向けられる不審の視線を受けても、少しも動じなかった。
柔和な笑顔を一切崩さず、和真と、和真の目の前に置かれたティーセットとを眺め、ヤァスは肩をすくめて見せる。
「なんだい? アピスさんは、和真さんにお茶も出さなかったのかい? まったく、冷たい人だなぁ」
その口調は和真に同情しているようではあったが、和真にはやはり、偽りの言葉であるように思えた。
「やれやれ、仕方がない。和真さんも、喉が渇いているのではないかな? せっかくだから、ボクと話す前にお茶にしようか」
警戒している和真にヤァスはそう言うと、まずアピスが残していったティーポットにまだ十分な量の中身が残されていることを確かめ、それから、食器棚へと向かって、二人分のティーカップを取り出した。
そしてそれをテーブルの上に、和真の目の前と、和真の左前の辺りに置くと、今度は別の棚から、角砂糖の入った銀製の器を取り出し、スプーンも二つ引き出しから出して、ティーカップと同じようにテーブルの上へと並べた。
ヤァスは何の断りもなく和真の左側に置いてあった一人用のソファへと腰かけると、用意したティーカップに紅茶を注ぎ入れ、それから、和真に「砂糖はいくつ入れますか? あいにく、ミルクは無いのですが」と聞いてくる。
ヤァスのことを警戒していた和真が無言のままでいると、ヤァスは苦笑し、それから自分の紅茶に角砂糖を四つも入れ、スプーンでかき混ぜる。
どうやら、相当な甘党であるらしい。
音を立てずに紅茶を一口飲んだヤァスは、微妙そうな笑顔を浮かべた。
「もう、ぬるくなってしまっていますね。でも、良い茶葉を使っていますから、十分美味しくいただけますよ。さ、和真さんも、どうぞ」
ヤァスはあくまで友好的な雰囲気だったが、和真はどうにも信用できないと思っていたし、その物言いは不満だった。
「この手じゃ、カップなんてうまく持てっこないでしょう」
和真は不服そうな顔で、両手を身体の前まで持ち上げ、ヤァスにもそこに手錠がしっかりと取りつけられているのがよく見えるようにする。
すると、ヤァスはそこで初めて、和真に手錠がかけられていることに気づいたかのように驚いた表情を見せた。
「これは、失礼しました」
それからヤァスはベストの内ポケットに手を突っ込むと、そこから鍵のようなものを取り出し、和真の両手の自由を奪っている手錠の鍵穴へと差し込んだ。
ヤァスが鍵をひねると、かちゃり、と音がして、和真の手錠が外れる。
和真は、そのヤァスの行動に酷(ひど)く驚かされた。
ヤァスが何者なのか少しも分からなかったが、こんなにあっさりと、誰に確認することもなく和真の手錠を外してもいいものなのだろうか?
驚いている和真を柔和な笑顔で眺めていたヤァスは、また音を立てることなく紅茶を一口飲むと、和真にもう一度、「紅茶をどうぞ」と勧めてきた。
言われた和真は、言われるままにティーカップを手に取ると、それを口に運ぶ。
決してヤァスのことを信用したわけではなかったが、驚いたせいで警戒心を一時的に忘れ去ってしまっていたし、何より、緊張で喉(のど)が渇いてしまっていた。
和真は紅茶のことなどよく知らなかったからそれが[良い茶葉]なのかどうか、少しも分からなかったが、ただ、美味しいとは思えた。
いい香りが口いっぱいに広がり、何だか気分が落ち着くような感覚がする。
和真が一気に二口、三口と紅茶を飲み進める様子を、柔和な笑顔をその顔に張りつけたまま眺めていたヤァスは、和真がソーサーにティーカップを戻すのを待ってから口を開いた。
「和真さん。貴方は今、いろいろなことを疑問に思っておられることでしょう」
その指摘は、当たっていた。
だが、和真の考えを的中させられたからといって、和真は少しも驚きはしなかった。
和真の今の状況を知っていれば、誰にだって予想がつくことだったからだ。
一時は忘れていた警戒心を取り戻した和真が、ヤァスの意図を計(はか)りかねて再び無言のままでいると、ヤァスは苦笑し、言葉を続ける。
「その疑問に、今からお答えしましょう。ですが、話す前に、ボクの自己紹介からした方がいいでしょうね。相手が何者かも分からないままでは、話もしにくいでしょうから」
ヤァスはそう言って、自身のティーカップを持ち上げ、音もなく紅茶を一口飲むと、宣言したとおり自分が何者なのかを名乗った。
「ボクは、ヤァスと申します。このチータープリズンの運営を監督する立場にある部署、管理部で、仕事をさせていただいている者です」
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