8.桜佐武郎③

「サブロウ。お前には次の任務が言い渡される」

「次?」

「日本への潜入だ」


 ついにそのときが来た。サブロウの心臓は波打った。


「あらかじめ日本に潜伏させている工作員に“桜家”なる一家を偽装させている。お前はその家に産まれ……ほどなく両親に異能者だと気づかれた。彼らはすぐさまお前を抱え、姿を眩ませた。息子が異能者であると知られればただでは済まないと知っていたからだ。しかし、なんらかの事情によってお前は家出。そこで日本軍に捕らえられる。そんな筋書きだ」

「桜……下の名前は?」

「ああ、日本に渡るにあたって漢字は当てておいた方がよいだろう。これでどうだ」


 ササッと、ミハイル局長はメモ紙に書き記す。


「桜佐武郎」

「そうだ。“三郎”という表記もあるようだが、これは一般に三男につける名前らしい。設定上お前は長男になるはずだからな。“佐武郎”の表記なら違和感は持たれないはずだ」

「桜家の資料は?」

「後日渡す。なに、すぐに日本へ向かえというわけじゃない。しばらくは準備期間だ。それに、日本に入ってからもすぐ捕まれというわけじゃない。イリーナの潜入と合わせて、適切なタイミングでカードを切りたい」

「イリーナも学園に?」

「ああ。“交換留学”の制度を捩じ込めたからな。相互に“軍縮”を監視するという名目でロシアの学院リツェイと日本の学園同士で生徒を二名ずつ交換する。つまり、イリーナとイワンのための枠だったのだが――」


 イワンは死んだ。彼らが殺したのだ。


(裏切りの兆候……? いつから気づいていた? だとすれば、俺のことも……本当に気づいていないのか?)


 だからこそ、彼は急いで「仕事への熱意」を示し、「忠誠」を表した。

 つまり、恐怖していたのだ。


 ***


『さぶろー、やっぱりおかしいよ』


 今は話しかけるな、と佐武郎はジェスチャーでリッシュに示した。

 今は、指向性成型爆薬によって時計塔跡の地下に大穴を穿ち、“管理者”のもとへ向かおうという佳境だからだ。

 つまり、すぐそばにはイリーナがいる。リッシュに返事をすることはできない。


『じゃあさ、別に返事はしなくていいから、聞いてよ』


 いつもの無駄話ではないらしい。イリーナにはわずかな違和感も抱かれたくなかったので佐武郎は手振りによる返事も自重した。ただ、リッシュの意を汲み、話を聞く姿勢だけを見せた。


『あのときから、ずっと考えてたんだけど――』

「行くぞ」

「……ああ」


 リッシュの話を遮るように、イリーナが手招きする。

 穿たれた大穴の底には人工物が見えた。地下空間がたしかにある。

 日本に潜入してから頃合いを見て捕まり、こうして学園に潜入することができた。あえて卒業式開始直前という時期を狙うことで最低限の検査ですり抜けた。

 そしてついに、目標の工作が叶う。日本が期待する新鋭の異能者へいき――星空煉獄を事実上の形で抹殺する。ポイントを失い死亡扱いとなれば、実際には生きていたとしてもルールの上で日本軍が彼を掬い上げることはできない。


(俺の方は、来年にでも卒業しておさらばだ)

『ねえ、だからさぶろー。おかしいんだって』


 ロープを伝って地下へ降りる際にもリッシュは話しかけてきた。彼女なりに重要な話であるらしい。イリーナに見られていないことを確認し、佐武郎は「勝手に話せ」と手振りで伝えた。


『なんだろう、その、なにがおかしいっていうと、難しいんだけど……』

「…………」


 だが、リッシュの言葉は要領を得ない。聞き返したい気持ちがあったが、佐武郎はただ黙って聞いた。


『つまり、その、本当に気づかれてなかったの? ってことなんだけど』


 地下空間に降り立つ。コンクリートで覆われた長いトンネルだった。両方向で先が見えない。ただ、どちらが目指す先かはわかる。もう一方は方角から「外」へ向かう道だったからだ。


『日本に潜入するために“桜家”なんて偽装したり、それっぽいカバーストーリーを用意したり……つまり、異能者の身元についてはそれくらい調べるってことでしょ? だけど、さぶろーの本当の身元は、いくら調べたって出ないわけじゃん?』


 イリーナの後ろについてトンネルを進む。リッシュの話は続いている。

 桜佐武郎に本名はない。「サブロウ」という名も、自身の姿がどうやら日本人らしいことから日本人らしい名を調べ、勝手に名乗っただけだ。元はといえば“二十三人の子供たち”の一人。どれだけ調べても「突如として出現した」以上の情報は出ない。

 つまり、佐武郎の出身を追うことは決してできない。


『あの局長ハゲも、絶対調べたはずだよ。でも、追及してこなかった。まるでさぶろーのこと信頼してるみたいに振る舞ってた。でも……』


 なぜ今になってそんなことを、と思う。

 おそらく、イリーナと出会ったからだろう。イリーナと出会ったことで思い出したのか、あるいは。


(俺もに気づいているはずだと思っていた……?)


 リッシュの要領の得ない訴えに触発され、佐武郎もなにか違和感を覚える。だが、その違和感に探りを入れようと思考すると、頭に靄がかかるような感覚があった。


(そうだ、リッシュは……何度かを俺に訴えている)


 リッシュの言葉が自信なさげなのは、それを何度も否定されているからか。根拠も乏しいのだろう。しかし。


(なんだ……? 俺はを忘れている……?)

「構えろ。見えた」


 現実へ引き戻される。

 トンネルの先に扉が見えた。“管理者”はおそらくその先にいる。


「……人の気配はないようだな。佐武郎」

「ああ」


 佐武郎の異能は「遠隔知覚」や「透視」の類いであると伝えている。実際、リッシュを使うことで実現でき、壁の向こうを見ることができる。口頭で指示を伝えることはできないが、リッシュも状況は察しているはずだ。


『うん。扉の向こうは見てくるけど、その……』


 まだなにか言いたげだった。だが、すぐに観念したように扉を抜けて偵察した。


『合ってる。ここで間違いないと思う。人はいないよ。コンピューターが並んでて……うわ! なにこれ!』


 壁越しに聞こえる声を、佐武郎はイリーナにも伝えた。安全を確認し、扉を開いて部屋に入った。


「これが、学園の監視システムか」


 壁一面のディスプレイとその操作盤コンソール。人はいない。ただ、生存を保証されているだけの異能者システムがあるだけである。

 水槽カプセルの中で、ただ生かされているだけの子供だ。

 呼吸器を覆う管からは酸素が供給され、流動食と点滴で生命が維持されている。深い昏睡状態のように眠りについていることから、薬漬けにされているのだろう。脊椎に繋がれた管は制御機構コンピューターに続いていた。ディスプレイを見るに、異能による監視結果を直接吸い出しているようだった。


「〈監死〉の異能。半径4kmでの死を判別する。なるほど、うってつけの異能というわけだ」


 イリーナは早速コンソールを操作してそんなことを呟いていた。

 高度に自動化されているにもかかわらずディスプレイとコンソールが存在しているのは、メンテナンス用だろう。少なくとも二十三基の端末を束ねる複雑なシステムだ。


「ハッキングはできそうか」

「大したプロテクトはかかっていない。ここに侵入されること自体あまり想定していないようだ」


 手際よくイリーナはロックを解除していく。この様子ならすぐに終わりそうだとその背を眺めながら思った。


『だから、さぶろー! おかしいんだって!』


 不意に、リッシュが大声を上げた。物理的な音波として聞こえてくるわけではないが、思わず佐武郎もつられて声を上げるところだった。


「……おかしい?」


 イリーナから距離をとって、佐武郎は小声で尋ねた。


『イリーナはずっと、さぶろーのこと疑ってたよ?』

「…………」


 わからない。たしかに、なにかが引っかかっている。


『たとえば、さ。第十三局あいつらがさぶろーの正体をすでに知っていたとしたら……どうしてたと思う?』

「俺が……〈始原〉の異能者だと知っていたら?」

『うん。その場合は、こんな任務につかせる?』

「いや。異能者を生産させ続ける仕事に就かせる……はずだ」

『でも、そうはなっていない。つまり、第十三局あいつらはさぶろーのことに気づいてない?』

「それもそれで考えにくい……なぜ第十三局あいつらは俺の素性について無視していた? 歳を取らないという異常についても……」


 気づいていたのに隠していた。ならば、その目的は。


『ねえ、?』


 あと少しで、答えに辿り着けそうな気がした。


『さぶろー! ポイント!』

「ん?」


“1252Pt”

 腕時計を確認して目に飛び込んできた数値は、すなわち学園一位を示すもの。星空煉獄のポイントがそのまま移ったことを意味する。


『後ろ! 伏せて!』


 意味を理解せぬまま、反射的に言葉に従う。

 その直後で、佐武郎はなにが起こったのかを理解した。


(撃たれた。背後から)


 そして、背後にいるのは。


(イリーナ! ここで俺を始末するつもりか!)


 すぐに銃を抜く。佐武郎には背後にも“目”がある。ゆえに、反撃は早い。

 立て続けに三発。うち一発が頭部に命中。イリーナからも一発、佐武郎の肩を抉った。


「ぐっ……! そういう、ことか……」


 システムを不正操作し星空煉獄のポイントを桜佐武郎に移譲。その後、ポイントシステムを無効化したうえで桜佐武郎を殺害。結果、1252Ptは虚空に消える。それがイリーナの狙いだった。


「そうか、やつらにとって〈始原〉は……もはやこれ以上は要らない存在。ましてや、日本人の姿をしている俺は……」


 彼らはイワンの叛意に気づいていた。同様に、佐武郎についても気づいていたのだ。学園に潜入し、正規の手順で卒業し、日本軍に入ったのなら――そのまま亡命する可能性がある。あるいは、二重スパイとなる危険性がある。

 ならば、ここで使い捨ての駒とする。それが彼らの作戦だった。


『……イリーナは?』

「即死だ。頭を撃ち抜いた。それより、すぐにここを出るぞ」


 ひとまずは生き延びることができた。

 しかし、星空煉獄の持つ1000以上のポイントを移されることなど、佐武郎は聞かされていなかった。

 その過剰なポイントは、佐武郎の生存を脅かす重い枷となる。

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