12.網谷葵

「クハ。なるほどな。会話を発動条件とする異能か」


 網谷葵は目の前に立つ男の異能を速やかに看破した。廊下を一人歩いていたときに話しかけてきた、見知らぬ男である。


「……私は、転入生で、この学園に慣れぬものだから道を尋ねただけなのだが……」


 狼狽え、瞳孔がわずかに開く。呼吸と脈拍にも変化があった。よく抑えているが、網谷の眼は見逃さない。これだけ近ければ手に取るように男の精神=身体状態が把握できた。


「アンタ、嘘が下手だな。いや違うな。いきなりの想定外にしちゃよく対応できてる。ただ相手が悪い。話しかけたのがオレだってのが運がなかった」

「…………」

「式外だってのにいきなり異能を仕掛けてくるったあ、見た目派手な殺傷系じゃあねえよな。設置系か? 精神操作か? どっちにしろコワイねえ」

「驚いたな。君こそ、そういう異能なのかね」


 動揺しつつも、落ち着きを取り戻している。考え方を変えた。その兆候が網谷には見て取れた。


「……おっと、あまり話しすぎると危ねえな。休み休みだ。少し移動しようぜ」

「移動?」

「転入生っつったよな。転入生だろ? あー、思い出した。二年だよな。三日前か? 早すぎるぜ。仕掛けるのが早すぎる。転入して三日で、もう異能を仕掛けて式の準備か? 覚悟決まってんな。興味が湧いた」


 注意深く男の様子を確認しながら話を続ける。「会話」が発動条件といっても、即時ではない。一言二言交わしただけで効果は出ない。それでも会話を続けることにはリスクが伴うが、この男とは話す価値があると網谷は判断した。


「移動といっても、どこへ?」

「図書館」


 図書館の新たな仲間として迎え入れられるのではないかと思ったからだ。


「ま、歩きながらでいいだろ。ほれ、あそこだ。見えるだろ。アレが図書館。オレたちの居城さ」

「君は図書館の一員だったのか」

「おー、そうよ。アンタもどうだ? 精神操作系の異能なら図書館オレたちとは相性よさそうだぜ」

「うむ。勧誘するつもりが、逆に勧誘されるとは……」

「なんだ、アンタ、オレを仲間にしたかったのか? クハ、やっぱ興味あんな。転入して三日で、自分から組織チームつくろうって? ふつう逆だろ。どっかの組織チームに入ろうってするだろ」

「私にはやることがある」

「やること?」

「星空煉獄を斃す」


 その言葉に、網谷は思わず足を止めた。


「マジか。おいおい、マジか。星空煉獄を斃すって?」

「ああ。だから、図書館きみたちとは仲間にはなれないだろう。卒業式には積極的ではなく、守りに徹する組織チームだと聞いている」

「ああ、そうだな。そうなんだよな。オレたちはずっとそうしてきた。実は、オレも留年しててな。ポイントも全然稼いでねえ」

「だが、君に私の異能が見抜かれたことが気になっている」

「そりゃオレの異能だぜ。いやまあ、図書館の方でもアンタのことは調査済みかもな。すでに把握されてんじゃねえか、アンタのことも。アンタの異能も」

「なるほど。これが学園か……」


 彼の挙動は明らかに普通の転入生とは異なっていた。概ね転入生というものは右も左もわからずに戸惑い、カモにされるだけの存在だ。しかし彼は事前に学園についてよく調べて、目的意識を持って転入してきている。でなければ、転入して三日目で「星空煉獄を斃す」など豪語するはずがない。


「面白え……なんか面白くなってきたぜ……? なあ、アンタ。名前は?」

「市瀬。市瀬拓だ」

「オレは網谷葵だ。アミャって呼んでくれ」


 これが、網谷葵と市瀬拓の出会いだった。


 ***


「なあ、長谷川のダンナ。オレァ、図書館を抜けるぜ」


 唐突な申し出に、普段は努めて冷静を装っている長谷川傑も驚きを隠せていないようだった。もっとも、網谷の〈慧眼〉だからこそわかるほどの小さな表情である。


「網谷さん。事情をお聞かせ願えますか?」

「あー、別に裏切ろうってわけじゃねえんだ。多分、図書館にとっても都合のいい話だぜ? 聞いてビビるな。ビビるだろうな。つまりアレだ、星空煉獄を斃そうってな」


 この言葉にはさらに驚きを示し、長谷川はズレたメガネを直した。


「まさか、生徒会にでもつくおつもりですか?」

「クハ! ああそうか、最近アイツらも活発だよな。二ノ宮ってやつが新しい会長になって組織を拡大してるんだよな」

「生徒会とはまた別に、星空煉獄を斃そうという組織チームが?」

「ああ。っても、オレを入れてまだ三人目だけどな」

「ずいぶん小さな組織チームですね。貴方ほどの方が図書館を抜けてそちらにつくというのであれば、勝算があるのですか?」

「そりゃな。でなけりゃつかねえ」

「そうですか。ですが、図書館われわれとしても貴方を失うのは惜しい。離脱は承服しかねるお話です。留まってスパイ行為を働かれるよりはよいですが」

「だからよ、図書館にとっても悪い話じゃねえだろ。オレをパイプ役に協力体制でもいいだろ。専守防衛っても限界がある。サンダーから生き残れたのはだ。星空煉獄からもで生き残るつもりか?」


 平塚雷獣率いる“サンダー”は極めて凶悪な組織チームだった。誰彼構わず襲いかかりポイントを乱獲していた。誰も彼らを止められなかった。

 極めつけは、「中立の医療機関」として振る舞っていた“保健室”の襲撃である。治癒系異能者を多数擁し、分け隔てなく傷つくものを癒すという利益を振り撒くことで「中立」を維持してきた専守防衛の組織チームである。

 サンダーはその保健室を襲った。保健室の構成員メンバーはほとんどポイントを稼いでこなかったものばかりだ。総合ポイントは低い。費用対効果の低い相手に思えた。だが同時に、保健室は多くの怪我人が運び込まれる場所でもあった。絶対的強者であり、自前の治癒異能者も持つサンダーにとって保健室に利用価値はなかった。ただ無防備にポイントを晒しているだけの獲物カモでしかなかったのだ。

 図書館もまた同じだ。サンダーにとってはただ目障りな存在だ。何度か問答無用の襲撃が繰り返され、長谷川の〈障壁〉によって危うく退けてきた。図書館にとっても、サンダーは去るのを待つしかない嵐だった。


 サンダーの暴威は去った。もとより平塚雷獣は卒業予定ではあったが、彼の意思を継ぐはずだった下級生たちも根こそぎ絶たれた。

 そして、代わりに星空煉獄という新たな王が君臨した。 


「つまりよ、こっちから仕掛けねえと持たねえってこった」


 長谷川もサンダーのことを思い出しながら身震いしている。星空煉獄が第二のサンダーにならないとはかぎらない。前回の卒業式ではサンダーとの対決に終始していたが、来年の卒業式は? 再来年は? 星空煉獄にはまだあと二回の卒業式がある。


「来年だけなら耐えられます。生徒会という好敵手ライバルもいる。ですが、再来年はわからない」

「クハ。だよな。そうだよな。再来年は煉獄やつも卒業だ。“卒業制作”だっつって仕上げに図書館を潰しに来るかもな。あのサンダーですら潰せなかった図書館を!」

「あまり脅かさないでください」

「そういうわけだ。なあいいよな? 実のところ飽きて来たんだよ。図書館にただ引きこもって式をやり過ごすってのもよ。まあ、情報は共有しようぜ。協力しよう。最高のタイミングで仕掛けんだよ。っても、準備がいるから来年じゃなく再来年かもな」

「よいでしょう。貴方がそこまで仰るなら、同盟関係という形になるでしょうか。ところで、貴方がそこまで惚れ込んだ御仁というのはどなたなのでしょう?」

「ん? 知らねえのか? いや知らねえか。さすがのアンタも常に仲間を監視ってほど暇じゃねえか。だが名前を言えば知ってるかもな。抜け目ねえアンタのことだ」

「はい」

「市瀬拓だ」

「なるほど。転入生の方ですね」

「クハ。やっぱ目敏くチェックしてやがる」

「まさか貴方、彼に操られているわけではないでしょうね?」

「うお。マジか。そこまでか。いやいや、ちげえよ。オレの異能なら回避できらぁ。ただオレは、アイツに同意し同調しただけ。広義でいや“操られてる”とは言えるかもな。クハ」


 相手がなにを求め、なにを欲しているのか。網谷の〈慧眼〉はそれを見抜く。長谷川との交渉がうまくいく算段はついていたし、事実そうなった。

 長谷川傑は“なにか”のために戦っている。“なにか”を守るために生きている。

 網谷は彼を注意深く観察することでそのことを理解していた。その目的は、ただ怯えて生き延びるだけなら利害の一致するものだ。図書館への所属が彼の駒になることだとしても、ただ卒業式をやり過ごしたいというだけなら環境としては申し分ない。

 だが、網谷葵は怯えることにはうんざりしていた。決して「強い」とは言えない異能を持っていても、使い方次第では強者の足を掬えると信じたかった。


(オレもオレで、“なにか”のために戦わせてもらう。つまりは、“その先”を見るために)


 市瀬拓と共になら、それが叶う。

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