第13話:ものすごく説教されたそうです。アテナよりも怖かったらしいです:アイラ

「……疲れた」


 ぐったりとした様子のクラリスが、ソファーで項垂れる。リーナが紅茶を目の前のローテーブルに置いた。


「クラリス様、どうぞ」

「……感謝する」


 クラリスはリーナに頭を下げて、紅茶を啜る。


 と、


「それで、何の用でしょうか、クラリス様?」

「……もうそろそろ許してくれんかの?」

「許すも何も、最初から怒っていませんが」


 冷たい声音のアイラが〝念動〟で車いすを操作し、ローテーブルに〝念動〟で浮かしていた辞書ほどの厚さの書類を置く。


 クラリスが眉を八の字にする。


「怒っておる。絶対に怒っておる」

「いえ、だから怒っておりませんって」

「むぅ……」


 クラリス自身も自覚はあるのだ。アイラに無茶難題を吹っ掛けたと。嫌なところをまざまざと突きつけたと。


 だから、冷たくされてるのは予想していたのだが……


 少し雰囲気が悪くなったのを感じ取ったリーナは話題を変える。


「ところで、クラリス様。中等学園での祝辞はどうだったのですか? 随分とお疲れの様子でしたが」

「そうだ。それだ!」


 クラリスは慌ててリーナの問いに食いつく。


 それから何度か溜息を吐いた後、愚痴をいうように続けた。


「祝辞と聞いておったんだ。なのに、いつの間にか特別講義までする羽目になって、しかも中等どころか、初等や高等の者たちの多くがサインを求めてきての」


 クラリスは大きな溜息を吐いた。


 十数年前とはいえ、クラリスは英雄だ。いや、むしろ、その頃の話を小さい頃から聞かされてきた子たちが多い今、クラリスは憧れの人。


 普段はアイラの家庭教師で王城の一部に引きこもって会えない。


 確かに、大勢の子供たちに囲まれるのは必然だろう。


 アイラもリーナも納得した表情をした。


 クラリスはまだまだ続ける。


「だが、それは大した問題ではない。昔、それ以上のを日常茶飯事に経験しておったし、子供たちと接するのは好きだしの。講義もそれなりに楽しかったから、不定期で開くことにしたしの」

「あら、そうなのですか?」

「うむ。どうにも、ここ十数年は平和な時代が続いたからの。歴史をおろかにする者も増えてきた。過去の軋轢に囚われないという意味では、悪いことばかりではないのだがの。まぁ、老婆心ながら歴史とあとは、錬金術の一部について講義をしようかと思ったのだ」

「なるほど……」


 平和になる前の時代を経験したリーナが確かに、と頷く。アイラは言わんとすること分かるが、実感がわきにくいという表情をした。


 それを見やりつつ、クラリスは再度、大きな溜息を吐いた。心底、厄介と言わんばかりの表情だった。


「本当に疲れたのはあのアホどものせいだ」

「アホども?」


 アイラは首をかしげる。


「うむ。そうだ。ほら、留学生が中等学園に来ただろうて」

「ああ、グラフト王国の第三王子でしたか」


 アイラが思い出すように言った


 また、リーナがグラフト王国と聞き、目を細める。鋭い声音でクラリスに尋ねる。


「例のでしょうか?」

「いいや、違う。そっちは既に片付いただろうて」

「確かにそうですが……」


 やり取りの意味が分からず、アイラが首を傾げた。


「例の、とはなんでしょうか?」


 リーナとクラリスが一瞬だけ、しまったと目を見開くが、それから数秒。視線で語り合った二人は、静かに頷く。


「二年前、ちょうどお主に出会う少し前だの。現グラフト王国国王の甥が裏で違法な人身売買……つまり、奴隷だの。手を出しておった」

「ッ! 本当なのですかッ!?」

「知らないのは当り前だ。なんせ、この情報を知っているのは自由ギルドの幹部クラスか、各国の王くらいなものだ」


 それを聞いて、アイラはリーナの方を見やった。クラリスはまだ分かるのだ。自由ギルドに数人といない神金の冒険者だからだ。


 だが、何故一介のメイドであるリーナが? と思う。


 リーナは少し眉を八の字にした後、ゆっくりと話し出した。


「アイラ様はご自身の他国での噂を知っておりますか?」

「ええ。我が国で言われていた噂に更に尾ひれはひれがついてたわよね。なんでも赤子を喰らう妖精だとか。銀月の妖精からどうやってそこまで飛躍するのか不思議だったわ」

「……ええ。ですが、それだけではなかったんです」

「それだけではない? もしかして、何かいい噂でも出回っていた?」


 アイラは冗談をいうように微笑み、そしてリーナは真剣な表情で頷いた。


「はい」

「え?」

「というか、噂が真実だったというべきでしょうか。妖精ごとく美しく可愛らしく神秘的で、そして圧倒的な魔力量と魔法適正を持っていると。妖精という言葉からそこまで発展したようですが」

「……なるほど」

 

 いや、美しく可愛らしく神秘的とかの点は、あまり受け入れたくないというか、こう微妙な心境だが、言いたいことは分かった。


「つまり、私をも奴隷にする、などという話があったのですね」

「……はい」


 リーナは複雑な表情で頷いた。


「でも、それは解決したのでしょう? それよりも、グラフト王国の第三王子がどうかしたのですか、クラリス様」


 アイラはにっこりと微笑み、クラリスを見やった。まるで、どうでもいいと言わんばかりだった。


 しかし、リーナもクラリスもアイラの右手が少しだけ震えているのをきちんと捉えていた。


 当り前だ。自分を奴隷にするという話を聞いて、怖くないわけがない。


 だが、それでもアイラは気にしないように振舞っているのである。


 クラリスはその気丈さに感心しながら、アイラの質問に答えた。


「どうも何も、あれが王子かと目を覆いたくなるくらいでの」

「そんなに酷かったのですか?」

「……うむ。だが、あやつ自体はいいのだ。まだ、十一の子。これからどんどんと成長する。儂も講師として関わることになるしの。可愛げがある」


 だが、とクラリスは怨嗟と想えるほど、暗い声音でうなる。


「講義に来た使用人だ。いや、そもそも何故寮だけでなく、学園内にまで使用人がいるかも問題だったんだが……」


 そう言ったクラリスは少し荒々しい口調になる。


「あのアホども、いきなり儂の前に来てや否や、無理やりグラフト王国との契約を結ばせようとするとは。しかも、儂を召使呼ばわりしおって。挙句の果てにロイス達までをも馬鹿にしたのだぞ! それに、王子のことを自分たちの道具と言わんばかりに、都合よく使っておったしの」

「ッ、それは大丈夫だったんですか!?」


 リーナの顔が青ざめる。その使用人たちの顔と体が繋がっているかがものすごく心配になってしまった。


 アイラも同じようなことを考え、心配そうな表情になる。


 それを感じ取ったクラリスは呆れた表情になる。


「儂はそこまで愚かでないぞ? まぁ、学園長が直ぐに来なければ、十分毎に小指を何かしらの角にぶつける呪いを掛けておっただろうが」

「……ひとまずは大丈夫そうですね」

「ええ、良かったわ」


 リーナとアイラはクラリスの最後の呟きを聞かなかったことにした。


 それから、アイラは話を変える。


「そういえば、ハティアお姉さまはどうでしたか?」

「ああ、ハティアか。無難に過ごして……いや、無難だったかの、あれは?」


 クラリスはやや遠い目をした。アイラがどういうことですか? と言わんばかりに目でクラリスを訴える。


 クラリスは言葉を選びながら、答える。


「ほれ、エドガーが入学しただろうて」

「……エドガー・マキーナルトのですか?」

「そうだ。あやつがの、アホだったんだ。もう、ロイスはもう少し上手かったというのに……」


 クラリスは頭を抱えた。


 アイラとリーナが混乱する。


「あやつ、な。入学式初日にも関わらず、色々な令嬢を口説いておったんだ」

「く、口説いていた!? いえ、しかし、集めた情報によれば誠実な方だと……そんな軽薄な印象ではなかったんですが……」

「いや、確かに誠実というか、実直だの、あやつは」


 クラリスは紅茶を啜る。


「謝っておったんだ」

「謝る……」

「どうにも、以前にお近づきの話……つまり、婚約の申し出だの。それを断ったらしいんだがの、それがあまりにも適当だった。誠実さがなかった。悪かった、とな」

「それは、なんとも……」


 リーナは微妙な表情をした。アイラが首をかしげる。


「それが何故、口説きに繋がるのですか?」

「あやつ立場があるからの、直接そうやって謝ったわけではないのだ。それとなくそういう話をして、お詫びに何か、する的な感じだ」

「なるほど……。一度、拝見したことがありますが、あの顔立ちでその文句。しかも、誠実な方というのも加味すれば、令嬢たちは確実に口説かれていると勘違いします」

「そうだ。それで、初日にも関わらず口説かれたと勘違いした多くの令嬢たちが揉めに揉めての。ハティアがその収拾に駆り出されておったわ」


 可哀そうに、とクラリスは憂いの表情を浮かべた。


 と、その時、


「失礼します、アイラ様」


 新しくアイラのお付きとなったメイドの一人が、扉を叩いた。

 






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